絵になる美しい街並みを創造する為の粉本/大森銀山(おおもりぎんざん)/島根県太田市大森町/江戸時代のデザインガイドに沿って形成された街並み
銀の産出量が全世界の1/3を占める産出地として世界に知られた岩見銀山の開発と共に形成された大森銀山は、島根県大田市の南西約15kmの山間部に位置する二つの尾根筋に挟まれた谷間を流れる銀山川に併設する街路に沿った全長約2.8kmほどの街だ。
街割は今でも北東側の大森代官所前から羅漢町までの大森地区と、そこから先の龍源寺間歩までの銀山地区に分けられているが、大森地区は徳川家康が関ヶ原の戦いの後、石見銀山を直轄領とし、江戸時代初期に代官所や武家屋敷を配する行政の中心地として開発した地区、その頃から街全体を「大森銀山」と呼び、この大森地区を中心とした「街並み地区」約0.8kmには今でも街路に沿って切り妻造り平入り二階建ての町家やその間に混在する武家屋敷等が建ち並び、美しい街並み景観を形成、往時の面影を残している。
この街並みの殆どは地区の2/3を焼失させた寛政の大火(1800)後に建てられた建物で、代官所の「今般火災後普請、瓦葺・板葺に致すべし、茅葺は一統相成らず由、仰せ渡され侯」との沙汰により、言い換えれば今で言うデザインガイドにより、結果として地域独特の赤い施釉瓦である石州瓦で葺かれた特色ある街並み景観が形成されている。
この街並み景観が今でも修復しながら引き継がれている効力は昭和32年に結成された大森町文化財保存会の活動や重要伝統的建造物保存地区への指定、更には2007年のユネスコ世界遺産への登録、等々により生み出された各種の沙汰やデザインガイド。これらが街並み景観を支えているのだろう。