靖國神社とは!

本日は「第4回靖國神社勉強会」に参加させて頂きました。テーマは「例大祭と合祀臨時大祭」

靖國神社は明治2年に明治天皇の勅命より
東京招魂社として設立されたが、
だれが、いつ、どこで
祀るのか決まっていないそうである。

明治7年1月27日の例大祭の行幸のみぎりに下降された明治天皇御製

我国のためにつくせる
       人々の
         名もむさし野に
              とむる玉垣

が存在するだけである。

我が国の歴史は素晴らしい。我が国は素晴らしい。

明治39年1906年4月30日、陸軍凱旋観兵式の日
これは日露戦争勝利の翌年である。
今の神宮外苑、青山練兵場では3万人の兵士を2時間掛けて観兵される明治天皇の姿を気球から撮影したと言う史実があった。ただ、ただ感動する。

明治天皇が崩御されてからも、大正天皇は、
例大祭おいては、今だけを想うのではなく、戦地にて絶命された時までも想いを馳せることの重要性を命じられたと言う。

例大祭の日を決めるに当たり、昭和22年1947年、占領下において、春分の日(3月21日)と秋分の日(9月24日)を旧暦と読み替えて、新暦として決められたのが、4月22日、10月18日となった経緯があるそうである。

本来は
4月30日 明治39年4月30日陸軍凱旋観兵式の日
10月23日 明治38年10月23日海軍観艦式の日

なのである。ここでも日本が歴史から消されてる。

靖國神社境内には、「招魂斎庭」と言うところがある。
戦地で国の為に命を捧げらた英雄を大社に招き入れる為に集まるところである。

英雄は、ここから「御羽車」と呼ばれる神職により担いで運ぶ車に乗り靖國神社に運ばれて祀られることになる。
「御羽車」は明治天皇が殉国の英霊の為に御料車をお差し回しなられたと解される。

野村玉枝さんの昭和17年刊「御羽車」より

ぬばたまの夜目にも白くまなかひに
近づきませる御羽車のかげ
なんと言う荘厳なその列なりであろう。

父は息子の顔を知らない。父は息子が母のお腹にいる時に出征した。息子は父の存在を知らない。
父親が御羽車にのりやってくる姿を理解出来ていないはずだ。
母は息子にささやいた。
「二度と見ることの出来ないお父様のお姿。あの御羽車を良く拝めよ、そして良く記憶せよ」
息子にとってはこれが世における親と子の最初の対面であり、最後の対面であるのに。
突然息子は立ち上がり声を発した!
「お父ちゃん」

夫からの遺書の最後
「なほ生まれ出づる子も大切に育てよ」

もう、泣けて書けません。

男は戦え‼️働け‼️
女は子どもを大切に育てよ‼️

これが男女平等なのだ‼️
日本には、人間として尊いものが残っている。
世界にない尊いもの、それは八絋一宇に表れている「愛」である。

それを無にするな‼️
大切して行こうではないか‼️

この国は必ず護る、この先人のたち想いを忘れない。

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