偏頭痛

 体調が悪い。それもここ最近はずっと。恐らく天気の影響によるものではあるが、ここまで体調が悪くなるとは思わなかった。過去にアレルギー反応で救急搬送された私にとっては、体調が悪いことなど当たり前のことで気にするほどでもないことだと思っていたが、最近のやつは群を抜いている。まず期間が長い。一週間ほどだろうか。風邪のような風邪でもないような状態が続いており、そろそろ飽きてきたころだ。休めばいいものも、事前に計画していたものを崩したくないという自分勝手な理由で活動を続けていたら、ものすごく悪化してしまった。自業自得。まいったまいった。

 体調が悪い、ということは私の場合同時にメンタルもやられていることが多い。絶賛元気がない。こういう時に「絶賛」なんて形容するものでもないと思うけど。メンタルがやられると自分の心を余計に傷つけることも多くなり、そして他人を妬む気持ちが強くなってしまう。そのため、できるだけ外界と自分を遮断するべきなんだけれど現実はそううまくいかないもので、心配してくれるしどこかに連れ去ってくれるしで人に恵まれているなとよく感じる。優しい。優しい人になりたい。聖母的な、どんな災難だろうと受け止めてくれるような存在。少しぼんやりとしているけれど、明確すぎても気持ち悪くなってしまうからこれ以上は考えたくない。考え事といえば、部活。最近、部活を辞めようかよく悩む。音楽が嫌いになったとかではなくて、単純に自分の人間関係の枠組みの中に彼らを取り入れることは自分には不可能なことだと悟ったからだ。人間どうしてもそりが合わないことはあって、寧ろそれを今の今まで経験したことがない自分に対して反省をするんだけども、ようやくその壁にぶつかった。歌うことは好きだしその姿を恋人は好きだと言ってくれるし、友人も歌がうまいと褒めてくれる。ただ、部活はうまくいかない。スランプとでもいうべきか。なんにせよ、部活という一つの空間が今の自分には恐ろしくって苦しくってたまらない。きっと彼らは「君の好きなとおりにするといいよ」と言ってくれると思うから、多分、やめます。そんで外部でやったり趣味でやったりします。それはそれでちょっと楽しみ。よろしく。

 ある夜、友人が電話をかけてきてこういった。「友達が死んだ」と。正直なんて声をかけようかさっぱりわからなかったけれど、とりあえず彼が今何をすべきか、何をしたいかを考えてもらいそれが現実的なものかどうか考えてもらった。以来、「死」について考えることが増え自分が死んだ後のこと、身内や友達が死んでしまった後のことをよく考える。一年先のことを考えると鬼が笑う、とはいったものの鬼からしたら今の自分はさっぱりわからない何十年先のことを考えている大爆笑物であろう。ただ、それが明日かもしれない、一時間後かもしれないと考えると想像できるのは鬼の笑い声なんて聞こえてくるはずもなく逆に大焦りしているところ。後日彼は私に「君は死なないでくれよ」と言ってきた。死というものについて考えていた私にとって、それはとてつもなく強い呪いだった。「死なないでくれ」という言葉は私にとってあまりに強すぎる。「じゃあ死にません!」となるかはわからないけど、ちょっとやめておこうかくらいにはなる。死ぬのが簡単ならもうちょっと生きてみよう、と誰かが言っていたところを思い出す。あなたの、あなたちの言葉はしっかり届いてます。それも呪いの一種のように。

 遠出がしたい。一人でも誰とでもいいから、遠出して一日何も考えなくていい日を作りたい。あれこれ考えるには24時間はあまりに短すぎる。今が辛すぎる。再起不能だったはずのロボットが目を覚ましてこちらにむかってきているような、そんな感覚。昔抑え込んだはずの自分が少しづつ帰ってきてしまっている。気を強く持たなければ、迷惑をかけてしまう。親にも、恋人にも、友人にも。どこへ行こう。ディズニーに行きたいし、お金かからないところでもいい。とにかくどこか遠くへ逃げ出したい。愛想を振りまかなくれもいいような、そんな場所。考えることから一回逃げ出したい。とりあえず次の給料日まで待とう。話はそれからだ。

 そういえば最近、ようやくギターの機材を買った。部活はやめたいけれど音楽を辞めるつもりはない。全部合わせて中古で7千円。ちょっとばかし高かったけれど、まぁ安い方だろと言い聞かせて使ってみたけれどすごくいい。楽しい。なによりアンプを買ったのでギター特有のあの電子音がいつでも聞けるようになった。素敵。上達目指して頑張りたいな。


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