【双極性障害】自己分析記録#1 R6・8・6 △

 最近、無性に人と話したくなっている。軽躁(そう)状態なのだろうか。人に何かを話していないと不安で、落ち着かない気がする。
 だからと言って、人と手当たり次第話したら解決するような、単純な話ではない。双極性障害の躁状態では、無意識に人を傷付ける言葉を吐き出してしまいかねないのだ。本当に悪気なく、むしろ善意をもって人を傷つけてしまうから厄介だ。
 思えば、私の周りに友人と呼べる人間は極めて少ない。親友となってはより限られる。かといって、周りから極端に嫌われているわけではない(と思っている)し、周りは自然と離れていくだけなので、自分からは社会生活に支障が生じていることが自覚できない。その為、躁状態による不適切な発言に気づきにくいのだ。私の場合、法思想・政治思想にただならぬ関心をもっており、思想に偏りがあることを自覚しているので、余計に不用意な発言をしてしまう。
 不用意な発言は、相手を萎縮させ、対話が成立しなくなる。しっかりと障害を自覚していなかった頃は、「どうだ!相手を論破してやったぞ、私の思想は正しいのだ!!」と盲信してやまなかった。SNSが発展して、個人間の情報発信が盛んになった現代、論破することがさも言論空間における勲章かのようにもてはやされるが、それは違う。論“破“までしてしまっては、それ以降に相手方と建設的な議論は望めず、一過性の快感しか残らない。
 さて、話を私の近況に戻そう。大して用事がないのに、大学院の施設を訪ね、頻繁に徘徊し、話し相手を探してしまっている。うつの時期はこれと真反対で、本当に誰の顔も見たくないので、現状、躁状態にあることは確かだ。今、ノートを書き殴っているのも、無性に人に話したい気持ちを発露させようとしているからだろう。
 ネットニュースを見ては、それに対する不平不満を口に出さずにはいられない。SNSが発展している現代、自分の「気に入らない」話題に事欠かない。それらを自分から見つけに行っては、毒を吐いてしまいたい。
 他人の気持ちが想像もつかない。高校現代文の登場人物を読み取って、設問に解答することのほうが何倍も容易である。なぜなら、「自分が納得できる」論理・理屈で答えを導き出すことが可能であるからだ。現実世界に生きる他人の言動は、必ずしも「自分が納得できる」理屈に則っていない。だから途端に分からない。躁状態という異常な精神状態だから、他人の気持ちを読み取る判断能力が低下しているし、そんな心の余裕すらないのだろう。
 一方で、他人から嫌われているのではないかと過剰に不安に思ってしまう。今自分と話してくれている相手は、実は自分のことが嫌いで、この話もつまらないと思っているのではないか。さっさと会話を切り上げたいのではないだろうか。
 私が双極性障害を緩和させるために服用している薬はラツーダという。本来は統合失調症のための薬らしい。双極性障害と統合失調症は類似点が多いため、同じ薬が使われているのだろう。漠然とした不安や妄想を抱きやすいのは、そのためかもしれない。

 ここまで序破急なく書き殴ってしまった。自分の感情の整理を優先して書いたため、非常に読みにくいと思う。明日心理カウンセリングを受診するので、後日改めて整理して記したい。

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