受験と努力
中学入試、高校入試、共通テスト、SPIなど世の中には様々な受験がある。
一発勝負で点数が出され、それで合否が決まるものが多い。
この『一発勝負』というのが私は気に食わない。
努力は、受験で必ずしも報われるものではないからだ。
そもそも努力とは、報われる前提でやるものではない。
努力が成功を保証し、自分の成長につなげてくれるとは限らない。
与えられた課題をただこなし、目的もなくひたすら勉強していると
自分は本当は何をやりたいのか、夢や希望を見失うことがある。
それでも、努力することが社会では求められている。
努力する行為が、美しいと思われている。
そしたら、努力していることをしっかり評価できればいいのだが、
一発勝負の受験でそれができるとは思えない。
受験当日の体調、コンディションだってどうなるか分からない。
いくら気をつけていても、体調を崩すことだってあるし、
緊張して普段通りのメンタルで臨めないこともあるだろう。
受験直前に勉強どころではない状況や環境に置かれてしまえば、
合否よりも、とにかく入試を無事に受けることができるのか、というそれ以前の問題にもなってくるだろう。
また、出題される問題は『もう既に決まっている』のも嫌である。
出題範囲は勿論教科書全部からだろうが、
当然全部は出ず、一部しか出題されない。
そして受験問題は、受験当日に作られるわけではない。
いつから作られるかは分からないが、何か月も前から作成が始まっているのだとすれば、受験に合格したいと思えば出題される分野を網羅しておかなければならない。
しかし、当日何が出るかなんて先生も受験生も当然分からない。
一生懸命ベクトルの演習問題を解いたって、当日ベクトルが出なければ意味ないからだ。
従って、私は受験というものが嫌いである。
合格、不合格という結果が、平等の上になりたっているとは思えないからだ。
受験なんか最初から平等ではない、と教えてくれればまだいいのだが、
「努力すれば必ず報われる!」なんてことを言われたら、
努力をすれば『誰でも』夢は叶う、みたいに、そこに一種の『平等性』を期待してしまわないだろうか?少なくとも私はそうだった。
変化の激しい社会、明日はどうなっているか分からない、と言うなら、
一発勝負で決めるような受験のシステムを今こそ見直すべきだと思う。
私は、入試だけでなく普段のテストの成績も加味するようなシステムにするべきだと思う。
例えば高校受験なら、中学3年の冬に行われる一発勝負の高校入試だけでなく、中学校3年間で行われる定期テストや期末テストの点数及びその平均点も、高校受験の合否に考慮するべきである。
定期テストや期末テストが各学校によって違う内容ならば、平等性を持たせるために外部の会社や塾で作っているテストや模試を市町村単位で導入して、例えば月一回複数の市の中学生がそれらを一斉に受けてもらうという形にするのでもいいと思う。
一回一回の何気ないテストが後々の高校受験に直結するから、当然生徒の気合もより一層入ってくるだろうし、逆に言えば『中3冬の一発勝負』だけでは合否は決まらないから、普段の頑張り、努力の過程を反映しやすいし、悪い点数を取っても次に挽回すればいい。
長丁場で、チャンスの多い戦いの方が、一人一人の力を発揮しやすいのではないかと思うのである。それで不合格になっても、一発勝負で負けるより納得がいくのではないだろうか?そういうシステムが作れないのなら、最初から「努力は報われるものではない」と言ってほしいものである。
ただ、努力は『絶対に報われないのか?』というと、そうではないとも思う。
『努力』は長い目で見て判断しないといけない類のものである。
中学校3年間だけではなく、時に人生を俯瞰して判断するべきものでもある。
私は受験に失敗したことがある。学校でたくさん勉強し、努力をしてきたのに、なぜ不合格に・・・。未だに思い出すと辛くなる。
不合格通知を受け取ってからもうだいぶ時間は経つが、あの時の努力が今の自分にどう生かされているのかと問われると、未だに答えが分からない。
しかし私は、確かに『努力』をしてきた。それは他人と比べても比べなくても、そう胸を張って言える。その痕跡は消えない。
もしかしたら、あの時の努力の結果が、将来思わぬ形で現れることがあるかもしれない。
受験に失敗してから努力についてあれこれ考え、今こうしてnoteに自分の考えを少しまとめられるようになったのも、『あの時の努力』を経験したからこそなのかもしれない。
合格したかったけれども、不合格によって見れた『景色』がある。
短期的に見れば努力は報われなかった。しかし時間が経てばいい具合に発酵して深みが増すかもしれない。だから今はまだ、『あの時の努力』の汗を、もう少し『寝かせておく』時期かもしれない。
あなたは今、なんのために『努力』しているのだろうか?
自分なりに考えてみてほしい。
答えは出なくてもいいから、時間をかけて考えてみてほしい。
そうすることで、盲目的に努力するよりも何倍も価値のある『本物の努力』をすることができると思う。
そして、本当に努力している人が報われるシステムができればいいなと思う。具体的なイメージは今は乏しいが、そういうシステム作りに、私は将来携わりたいと思っている。
「努力は必ず報われる」なんて、私は軽々しくは言えない。『努力』に裏切られることもある。身体を壊すこともある。しかし、『努力』は良いかどうか分からないけど、悪いものではないよね、と思えるようになりたいし、今はそう信じていたい。
それが、私が勉強や受験で学んだことである。