イタい中二病よ、いま立ち上がれ
いわゆる「イタい感じの人」が最近、どんどん居場所を失っていってるような気がして、私はなんだか寂しくなっています。かくいう私も、その「イタさ」みたいなものを失っている気がしてならないので、今日はイタさと冷笑の話をしたいと思います。
「イタさ」みたいなものに関しては、私はかなり肯定派です。イタさ、っていうのはなんだか説明が難しいのですが、「たまたま評価されて嬉しくて調子に乗っちゃう」感じとか、「告白されたので浮かれて自分をモテてると思ってる」感じとか、俗に中二病と呼ばれる感じとか、「自分は絶対に普通の奴とは違う!」という感じとか、いわゆるその“調子に乗ってる感”みたいなものが根底にはある気がしています。
私はありがたいことに本当にイタい中学生時代を過ごさせていただきました。自分の中の謎の全能感とか、絶望するときも「私は他の奴とは違う、もっと深いところで絶望してる!そんな私はカッコいい!」と思ったりとか、清々しいくらいに思春期特有の全能感の中で過ごしていました。
ポエムを書くタイプの中二病ではなかったのですが、物語とか絵はしっかりノートの端に書いてました。丁度カゲプロが流行ってた時に中学生だったので、なんとなく察しはつくでしょう。今振り返っても、小中学生の自分は何もかもが「イタかった」と思います。
ただ、最近はこれを阻む風潮が気持ちとして増えてるような気がします。「冷笑」です。いわゆるこの冷笑主義みたいなものが広がってきて「アイツなんかイタいよねw」と言った言論が、これまで以上に広く受け入れられてる気がします。そういった言論が広く市民権を得た結果、「やっぱあいつイタいよねw皆で笑おうぜw」と言う結束に繋がってしまってるんじゃないかなと思います。これマジで危ないと思ってます。
これまでの“イタさ“に対する向き合い方が、「あ~なんかまたやってるよ」という放置・興味の無さであるとすれば、いまの向き合い方は「アイツのイタさ面白、皆で笑ってやろうぜ」という積極的なイジリなのではないかと思ってます。それも集団で。
こうなると、イタさをしっかり持ってる人も、これまでは放置で済んだのが今はいじめに繋がってきてしまうから隠そう、となっていくのではないでしょうか。そして、ポエムを書いたり絵を描いたりSNSでちょっとイタい言動をしたり憧れて覚えたばかりの言葉を使ったりする自分を殺し、イタい人間を冷笑する側に自分も回ろうとしてしまうんです。
なんてことだ、と私は思っています。イタさなんて、適切な範囲であれば全く有害ではないし、自分の個性を見つけるための第一歩だと思うし、どんどん出して行けよと私は思ってます。なのに、「笑われたくない」「笑われるぐらいなら、笑う方に回るよ」と自分のイタさから逃げているんです。こんな風潮、あっちゃいけないと思うんです。とはいえ、実を言えば私も最近はもう冷笑側に回ってしまってると思うので偉そうなことは言えません。
イタさって、まさに個性の卵です。イタさの始まりって、卵から孵った雛なので、皆大体同じ。ちょっと難しい言葉を使ってみたり、すごいぐちゃぐちゃなグロい絵を描いてみたり。いわゆる中二病みたいな。で、この雛の段階を皆「あ~また中二病おるわw」と冷笑して潰しちゃうんです。
そういう誰しもが通るイタさ(=中二病)を貫き通すと、段々そのイタさの解像度が上がって、雛から立派な成鳥になります。アーティストとして大成したり、もう誰にも笑われない個性になっていったりするわけです。
って考えた時、イタさを中二病という雛の段階で殺してしまうことの勿体なさ愚かしさが浮き彫りになると思うんです。冷笑してる人とイタい人って、構造的には前者の方が上だと見えがちです。「お前が気付いてないお前のイタさに、俺は気付いてネタにしてるw」と見えるので。でも、実際に成長してどちらの人間が価値を生んでいくかと考えたら、私は明らかに後者だと言いたいです。
ただ、最近は冷笑が幅を占め過ぎて、なかなかこのイタい人間のまま居続けること、良い意味で冷笑を無視したり受け流したりし続けられる人こそが、最後に個性を得ていくなって思っています。
いま自分の周りを見回して「すげえなあ」とか「個性あるなあ」と思う人って、私はほぼ例外なく【イタい時期に思いっきりイタい自分を肯定してきた人】だと思っています。だから、本当に強く言いたいです。自分の個性を出して「イタい奴w」と笑われている人は、絶対に貫き続けてください。冷笑側に回る方が精神的にも優位になれるかもしれないけど、あなたのイタさはあなたにしかないし、いずれ立派な個性になるから。誰からも認められなくても、少なくとも私はあなたのイタさを全力で肯定します。だから自信を持って欲しいです。
とはいえ、かくいう私ももう冷笑人間になって来てるかもしれません。インターネットではイタい人が見つかるたびに一斉射撃されるところを見たり、現実ではイタい人に対して陰口を言ってるのを聞いていたり、冷笑側の連帯感を見てしまってる以上、自分がイタさを出して、一斉射撃されるのが怖くなっています。
だけど、最近はインターン生とか演劇とかアートをやってる人との新しい出会いを通して、「やっぱり個性ある人間って美しい」と思えてきました。
冷笑されたくない。馬鹿にされたくない。そんな思いを経て、私はどんどん冷笑に体が蝕まれてしまいました。だけど、どうか、まだ蝕まれず残っている自分のイタさで踏ん張って、もっとイタく、もっと馬鹿にされて、羽ばたいていきたいなと思います。
イタいとか、香ばしいとか、言ってくる奴を、私の個性でねじ伏せる。これを目標にして生きていきましょう。戦え、中二病。