夏が終わらない。
なぜにこんなに暑いのだろう。7月、8月も動き続けた。いや、8月のお盆の時だけ、台風のために、シャッターを下ろして引きこもったけれども。
「あしもとてらす」というイベントをその期間に始めてもう6年目になった。
あまりにも寺の務めができておらず、子供たちを集めて昔ながらの遊びをし、おやつを配ったりする日曜学校も現住職の父が教員時代に行っていたが、自分には余力なく今に至る。
せめてなにかと思いついてはじめたそのイベントは、びわ湖テラスならぬ「あしもとてらす」。発想の発端となったびわ湖テラスは、山の上から壮大な琵琶湖を見渡すことのできるスケールの大きな施設だ。
テラスを文字って 照らす はどうだろうか。 そんなスケールは大きくなくても、 足元を照らす くらいで 大切な気付きはできるのではないだろうか。
「一隅を照らす」なら、比叡山天台宗開祖が言われた言葉で、浄土真宗本願寺派の開祖親鸞聖人もそちらで学ばれた過去がある。
あしもとをてらす くらいならいいじゃないか。転けないし。うん、そうしよう。ということで始まった。
準備が結構大変で、職場の業務員さんがご趣味で作られている竹細工をお借りするところから始まる。
20本の竹細工は1本が直径20cmほどの円柱が360度くり抜かれていて高さは、成人男性の腰くらいだろうか。つまり、大きい。
その上からライトを灯すことで、竹のデザインによって、様々な光の形を作り出す。準備は境内の砂利をナミナミに特別な木で形どることから始まり、約2時間が少なくとも必要になる。
コロナ禍もなんとか1人でせっせと準備し、開催ができた。だから6年続けてこられた。そして今年は初めて、門徒さんの発案で、紅茶ゼリーを作って、会場に来てくださった方に配付していただいた。
地域の子どもたちも全員きてくれた。所謂、限界集落に指定されている村、字(アザといいます)に幸い子ども家族が少し増えたのだ。花火をしてイベントが終了。例年に比べて満足度の高いものになった。
年々少しずつ規模や光らせるモノが増えて、よくクリスマスで各ご家庭が装飾をたくさんつけて増えていく、ような、それに似ているのだろうか。いや、ただたくさん光らせばいいというものではない。風情が大事なのだ。砂利のナミナミに写る光、であったり、本堂の中の畳の縫い目に間接的に当たる光であったり、オリジナリティが発揮される場所は意外に結構あるという事実。
成功してよかった。
9月4日の朝、気温が下がった。
夏が終わったのか?