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「しまい運」を考えた
現在住まいのダウンサイジングに向けて、断捨離中です。
越し方を思うと、どうも私は「しまいをつける」運があるような。
小学2年の夏休み直前、父方の古いお墓を引っ越しする旅で、学校を休んで父に同行した。母は父が親戚の家で呑み過ぎないよう目付として私つけたという。なぜか姉ではなく私が行くことに。
初めて行った遠方の、山奥の父方の親戚の家に泊めてもらい、五右衛門風呂に驚きました。
翌日山の中へお坊さん、親戚といっしょに入り、小さな墓石の群を拝むお坊さんの背中をながめたのを覚えています。
父は古い墓石を引き抜き車のトランクに乗せ、墓地の土を少しすくって持ち帰り、祖父のお墓に合祀しました。
その後私は40歳を過ぎたら、親戚の介護や弔いが続きました。
子のなかった遠方の大叔母の死後事務と永代供養
檀那寺住職が非常識すぎて離檀し、神道に変わってウチのお墓を市営墓地へ移転。
突然死した伯父の葬儀、墓地手配と埋葬
その4年後は、亡くなった伯父の妻の認知症が進んで、ある日伯母の知り合いからなんとかしろとウチに電話が来た。
アルツハイマー中期認知症の伯母と、25年以上家に引きこもっていた廃人一歩手前だったその息子
二人の世話を背負い込んだ。
伯母親子の世話の負担から、父はある日私の目の前で突然死しました。父の葬儀後、バタバタと伯母の成年後見人を父から受け継ぎ、伯母の葬儀と永代供養を終えた時、50歳になっていました。
息子の方は知的障害と重い自閉症、統合失調症と診断され、保健所に頼んで移送してもらい、医療保護入院させ、最終的には第三者後見人をつけて、障害年金と福祉サービスで一人暮らしに。
伯母親子による過酷な体験は、トラウマになってしまった。
いつか文章にして、お焚き上げしたい経験です。
そして今、暮らしを小さくして暮らしを立て直すために、家一軒まるごと断捨離中。
遺影や古いアルバムの数々の処分は、手ごわいです。
それでも家に残った者の務めと思い、しまいをつけます。
私が死ねば、全てゴミですから。