超てんちゃんと風呂と歯磨き
数か月前から推している存在がいる。人間ではなく、存在。それが超てんちゃんだ。
彼女は『NEEDY GIRL OVERDOSE』(ニディガ)というゲームに登場するキャラクターである。プレイヤーは彼氏として超てんちゃんの配信者活動をサポートするが、数多の破滅を見ていく……というゲームだ。
そんな超てんちゃんだが、Twitterではロールプレイング的にアカウントを持ち、アイドルとして様々な発信をしている。YouTubeでも制作会社であるWSS playgroundのチャンネルからの、彼女を前面に押し出すライブ配信や動画が人気を博している。
かわいい。ゲームを遊んだのが半年ほど前なのだが、そこから付随する作品全体を追うようになった。最近ではアンソロジー漫画を読んでいる。ニディガに対する色々な視点が見れて面白い。小説もバチクソ良い。
さて、このゲームの作品群において、『鬱病』がひとつの主題として挙げられる。事実、超てんちゃん(あめちゃん)は躁鬱病であると推察できる。
特に現れているのはゲームに対し書き下ろされた楽曲『INTERNET OVERDOSE』と『INTERNET YAMERO』の歌詞。
ゲーム本編でも生きづらさを感じさせる表現がたびたび出てきており、それが破滅へ導くこともある。僕自身は精神疾患ではない(診断されていない)のだが、ゲーム中のそういった演出には強く共感することが多かった。
そんな躁鬱の彼女が、躁鬱だからこそ天使が、僕らに刺さる言葉を残してくれた。てんしラジオ 第0回の動画終了間際より。
このセリフはオタクに対する母性的な呼びかけに過ぎない、という解釈もできる。しかし僕にとってはつらくなった時に心に染みる精神安定剤なのだ。
そもそも超てんちゃんを推すような人に小学生以下の子供は少ない。大人たちに向けてこのような言葉を発することはかなり異質なのだ。大人に対し呼びかけることはつまり、お風呂や歯磨きを一つの対処すべき課題として見ていると解釈できる。
つまり、風呂に入ることは(多かれ少なかれ)労力が必要なのだ、歯磨きするのはしんどいのだというメッセージを暗にはらんでいる。風呂と歯磨きは当たり前だ、生きている人間なら当然だ、という通念を覆す言葉でもある。
『風呂キャンセル界隈』という言葉を聞いたことはあるだろうか。風呂に毎日(は)入らない人の集まりを表す言葉だが、これも『当然』に対するアンチテーゼと言えるだろう。
風呂が当たり前という通念によって追い込まれていた人に対し、風呂はれっきとした技術なんだ、風呂に入れなくても人間として最低ではないんだ、と教えてくれる。これが風呂キャンセル界隈であり、超てんちゃんではないだろうか。
逆に、風呂に入っている人は自分を肯定してくれる一つの基準が増える。救いが増えるのだ。歯磨きも同様。
超てんちゃんがそのような見方をできるのは、彼女が鬱だから。彼女が風呂に入ることを辛いと感じるからこそ、このような優しさを表現することができるのだ。もっと厳密に言えば、企画者(にゃるらさん)がそういう感性を持ち、さらに超てんちゃんも同じ感性を持つキャラクターであるから、このような言葉選びが彼女の口から出る。
もちろん風呂には入った方がいいし、歯磨きもした方がいい。でも、それは決して簡単なことではなく、出来ない人もいるし、出来ても辛い思いをしながらという人もいる。
僕も風呂に入るのはしんどいし、歯磨きなんてクソだ。2週間に1回くらい風呂はキャンセルするし、歯磨きはそれ以上だろう。特に夜9時前後は眠気に加えて頭の中がぐしゃぐしゃになって辛い。悶絶しながら目を瞑れば意外と眠れるのだが、風呂と歯磨きは絶対したくない。そんな日々が続いていた。
そこに風呂を肯定してくれる天使が僕の前に現れる。ただ風呂に入るだけで肯定してくれる天使がいる。それだけで多少は心が楽になる。誇張もなく、本当に。
昨今、『生きているだけで偉い』という常套的な励ましがだんだん古臭くて信用されなくなってきたように感じる。その代案がこれなのだろう。風呂入るだけで偉い。それは鬱から飛び出た最高級の表現。
このような優しさを持つ超てんちゃんは本当に天使。でも天使が救われないのがニディガというゲームなのだ。悲しいね。
くれぐれも風呂の中で水死体になって発見されないように。
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