あたりまえのいのちのはなし
人は死すべき存在であると古代から様々に論じられてきた
けれども現代人は「死」を「有るべきではない悲劇」であると勘違いしている
医療は延命を至上目的とし人が死するあたりまえを容易にゆるしはしない
ひとはいずれ死ぬ
それは10年後であるかもしれないし
50年後であるかもしれないし
明日であるかも今日であるかもしれない
死すべき存在であるというただ一点においてのみ
人間は平等で有り得る
だから私は今をせいいっぱい生きる
いつ死が訪れても後悔のないように
だから死をいつでも訪れ得るあたりまえの日常として
哀しくもいとしく受け止めてほしいとおもう