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同志諸君、政治的に正しくあれ
ポリコレの話をします
すぐ終わります。
ポリティカル・コレクトネスとは、表現や語彙において社会的な中立性を担保し、弱者や少数派に不利益を与えないようにすることです。
……表向きは
そうなんです。社会的に中立であるかのように喧伝されるので、本当に中立、公正であると信じる人が多いんですが、基本的には誰かの価値観を他の誰かに強制するものです。
従って政党や宗教的思想のプロパガンダに利用されます。
「人類は平等であるから扱いを変えてはならない」
と
「人類には不平等があるから弱者はより多く利益を受けるべき」
どちらもその時々に応じて「正しい」判断基準だとされます。
社会には絶対的公正はないので、誰もが甘い汁を吸うためのプロパガンダ合戦を繰り広げます。
ですから、ポリティカル・コレクトネスそのものが誰かの「自陣営の地位を高めるための政治的宣伝」だと考えるのが妥当な理解といえます。
もちろんそれによる利益が公正であり、不利益の解消に繋がる、という可能性も十分考えられます。
えこひいきのプロパガンダだから全てダメだと言い切るのは気が早いかもしれません。
ポリティカル・コレクトネスのもうひとつの顔
それは「それ自体がプロパガンダ用語である」ことです。
「ポリコレ」と略すことで茶化したような効果をうみ、相対化をはかる動きもあります。
というか、僕もそんな記事を書きました。
ポリコレアフロは正義ポルノでありラッキースケベハーレム漫画として楽しめ
現状「反ポリコレ」とでも呼ぶべき立場に身を置く人が増えています。
しかしながら、そもそも「ポリティカル・コレクトネス」そのものが政治的に敵対する人びとを揶揄することばだったのです。
1930年代にはナチスドイツを、1940年代には共産主義を、その後は広い意味でのリベラルや新保守主義や表現規制容認派と、時代に合わせて、それぞれの思想によって、意見の異なる人を「政治的に正しい」とからかい混じりに風刺することが行われてきました。
自らのことを指して「政治的に正しい」と呼ぶならばそれは政治的どころか道徳的にも正しいのだと喧伝することになり、敵を指して「政治的に正しい」と呼ぶ時は一切正しいと思ってない、という意味を含んでいます。
誤解のないように書いておくと、このように二重の意味を持ってしまうことは「ポリティカル・コレクトネス」または「ポリコレ」特有の脆弱性ではありません。例えば「正義」や「正論」「主義者」「活動家」「配慮」なども似たような使われ方をします。
まとめます
「ポリティカル・コレクトネス」という単語は一見良い事を示しているのですが、その正しさは担保されておらず、使い方によって「お前は正しくない」という意味を含んでしまいます。
発言者や文脈をよく読み取って、今利益を受けようとしているのは誰なのか、それは許されるべき利益なのか、しっかり見極める必要があるでしょう。
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