「初めて、しゃべった」
最初に、私は、今のところ、「ですます調」や「知的障害や言語障害」ではなく、「自分の今までの人生や今後!?」を語る。
そして、今回も、長文の為、途中で、しんどく思われたりなど、色々あると思うので、小学校編は、何回かに分ける予定である。
では、本題に入る。
私は、幼稚園から、短大の途中まで、特別支援学級とは、無縁な生活、すなわちというか、障害があることを隠して、普通学級で、学校生活を送っていた。
今回のタイトルにある言葉は、私が、小学2年の時、体育の授業中、体育館で跳び箱をやっていた時のこと、順番待ちで、前に7いた女の子といつものように、お話をしていたとき、唐突に言われた言葉だ。
その言葉を投げかけた女の子とは、年長の時から、町の町民体育大会の時、一緒に、自販機にいって、ジュースを買いに行った。
自分からは、話したことがなかったからだろうか?
そういわれたことで、私の頭の中は、
一瞬、真っ白になった。
一件、何の変哲もない言葉で、何事もなくスルーできるこの言葉を当時の私は、変に捉えてしまい、そこから、暗い闇の中に入ったような下降した人生を歩む道を選んでしまのだ。
私の記事では、過去を遡り、現在と行き来するところが多い。
私が、分岐点を誤る前の人生は、
幼少期から、「おとなしい」と言われていたが、入学後は、心機一転、授業中や休憩時間は、誰とでも仲良くしていた印象をもっている。
保育所の「しゅっせきブック」によると、「周りから、寄っていかないと、自分から、輪に入ることは、少なかったようだ」
最初に入園していた幼稚園から、家から近い公立の保育所に転校した際も、
いじめを受け、私自身も、加害の子との話し合いができず、
周囲の頼みのツナは、先生で、
私が、泣いているとこを見かけると、
「先生、ゆりちゃんが泣いてるよ」と呼びにいってくれていた。
ある日、小学校の体験入学みたいなものがあった。
そこでは、当時、1学年上の児童の前で、年長組が、自己紹介をして、その後、二人一組になり、手遊びを交えて、歌を歌った覚えがあった。
学校生活にも、慣れた頃、
それまで、話したこともない上級生から、
「あ」と言って
「お名前は?」と聞かれることが、
何度というよりも、頻繁にあった。
その体験入学で、最初の幼稚園に通っていた頃、
一年だけ、一緒だった男の子もいた。
後に、小学5,6年の担任の先生と中学校の時の校長先生、その男の子のお父様は、父親と小中高の同級生と分かり、小学6年夏の個人面談は、同級生同士で、私の事を話していた。
発音については、
小学1年の「6年生を送る会」で、
舞台の段に上がり、一人一人短文で、呼びかけ時、
私は、「生活科でさつまいもを作りました」
と言うと、上級生から、笑いの的になった。発表が終わり、ある6年生から、
「ゆりちゃん、さっき、何て言ってたの?」だったらろうか?そう聞かれ、
それを聞いていた同級生の男の子は、
横から、「生活科でさつまいもを作りましたと言ったよ」と私に変わって、代弁と思いもよらず、個人的に面白い対応だった。
また、学校の詩のコンクールで、「レタス」という詩が選ばれ、全校生徒の前で、
「おばあちゃんが、レタスは、赤ちゃんみたいに育てるんだって。ナイロンをかぶせるんだって」と朗読した時も、
発想と発音のどちらもが、話題になっていた。
「初めて、しゃべった」と言われた時も、
それまで、幼少期からのいじめや
言葉を発すれば、発音練習や笑われいた為、
どう対応してよいか分からなかった。
それに、障害者より健常者に起点をおいてた
親からのフォロー等の薄かった為、
それ以降は、全く、自分から、話すことはなく、
「無口」「暗い」「何で、喋らないの」と言葉が行き交い、「何故、話をしなきゃいけないのか」さえも分からなくなっていた。
今回は、ここまでで、続きは、次回。
ありがとうございました。