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許せないこと *HSP

今日のお話はわたしの中のこだわり、
正邪、善悪、、みたいな気持ちが
大きく影響しているので、
HSPだからと言っていいか
わかりません。。

だからHSPの方、繊細さんが
みんなこんなふうではないということを
最初に強く断言しておきます*


わたしは
誰かの役に立てることに喜びを感じて、
その機会を見逃さない敏感さを活用して
自分の思う正義のもと、行動しています。

自分で分析した結果なのですが
許せないこともおそらく
気づき過ぎる自分の特徴や
思い込みなんかも深く
関わっているように思いました。



わたしが許せないこと。
それは、
他人のことを
まったく気にかけない行動です。
これは、
完全に自分の価値観を押し付けてしまっている
とっても独りよがりな物差しだと、
重々承知なつもりなので
わたしと関係ないところにまで行って、
その行動を批判したり
咎めたりはしないけれど、
自分に関わったときに、
それを許して受け入れたりはしないと
決めています。

とっても些細なことなのですが、
例えばバスや電車の順番を抜かす
そんなことが許せないのです。。


わたしの住んでいる地域では、
だいたい列が決まっていて
みんなそこに並びます。
(それを無視しても良しというような
文化の地域もあると聞いたので 
 そこに住む人を許せないわけではないです。。)

あとから来たのに、
電車の列ではないところに来て
電車がきた途端ドア前にスタンバって
列に並んでいた人を完全無視で
乗り込む人がたまにいます。

それを受け入れてしまうのが苦手で、
自分が列の最前にいたときは、
必ずその人の前に移動します。
そして、
そこで降りる人がいなくなるのを待って
乗車します。
そういう方は、
降車の人を優先することもできないことが多いので
わたしは強制的にそこの価値観も押し付けます。

なんだかとっても
意地悪で感じの悪い方法なのですが
これは老若男女例外はありません。

重い荷物を持っている人、
ご高齢の人、
小さいお子さんのいる人。
みんな事情はあるけれど、
たいがい列に並ぶか、
次を待って最前に並ぶかします。

それを列に並ぶ人たちになんの断りもなく
一番乗りで電車に乗ってしまおうとする人の
根性がなんだか許せないのです。。

年をとっているから辛いの。
思い荷物を持っているから
最高尾まで並べないの。。
それは、
無条件に順番抜かしをして良い言い訳に
ならない気がするのです。


きちんと後ろに並ぶ姿勢の見えた方、
最高尾までは並べなくて、
列に並ばないけど、
最後に乗り込もうと
わきまえている方には
わたしは必ず順番を譲ります。
当然自分より後に
人が並んでいない場合ですが。。

もしわたしの後ろに人が並んでいる場合、
その方の順番がひとつ遅れてしまうので
その場合はわたしが最高尾に移動するようにしています。
なんの断りもなくきちんと並んでいた人の
順番を変えるのはそれこそ自分勝手な行動に
なってしまうので。。

だから、
例えどんな事情があったとしても
どうぞ、と言われてから
優遇されてほしい。
優遇されるのが当たり前という方には
譲りたくなくなります。

「大変だから前に並んでも良いですか?」
こう言えないのは、悪いなって思っているから
許されないだろうなと本人も理解しているからだと
思います。
なら、
わかっているのだからそれを強行突破する形で
実行しないでほしい。

すごく大変で順番や席を譲ってほしいとき、
そう言ってくれたら、いくらでも譲ります。

見た目ではわからない理由もあるから
理由なんて聞かずに譲ります。

だからその場で咎められないことをいいことに
知らないふりして、順番抜かしをするのは
良くないと思うのです。

もちろん「は??」ってあからさまに
気分を害する人もいる、
だから譲ってくださいとは
なかなか言えないかもしれない。
でも、だったら心の中で
「は〜?!」って不快になられることも
怖いと思ってほしい。

どうしてそれはOKで
直接お願いすることはできないことなのか。

正当な理由があるからと自分にだけ甘く、
人に負担をかける自覚が足りないのは
良くないと思います。

障害のある方に必要なのは優遇ではなく
是正だと、乙武さんがおっしゃっていました。

まったくその通りだなと思いました。
一般にできることが身体的、
あるいはその他の事情でできないこと
それは、
同じスタートラインになるよう
是正することが最重要ではあるけれども
レースをしないでゴールをするのとは
少し違うと思っています。

このような考えは
少し厳しい、意地悪と感じる方もいるかも
しれませんね。。

でも、なにかを背負っているのは
ご本人の責任ではもちろんないことも
多いのだけれど、
周囲の責任でもないと思うのです。

誰かが犠牲になっていいなんて
決まっていない。

だからたすけてね、と言われたら
どうぞどうぞと言える世の中になればいいし
助けが必要な人がたすけてほしいと言える
世の中になってほしいなと思います。

実際にはそうじゃないからと
言い訳するのは
そういう世の中にしないことを
手伝っていることになると思うので

わたしはどうぞと言うし
助けてほしいと言います。

自分がそうすることでしか
そうなってほしい世の中なんて
実現しないと思うからです*

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