2023-07-22T15:57-趣味;世間体
世間体が良い、ダミーの趣味を持っていると、都合が良い場合があります。今に始まった話ではありませんが、少数派の趣味を吊るし上げて嘲笑し、優越感に浸ることが「趣味」である御仁は、時代を問わずいらっしゃる様です。私の場合、趣味は何ですか、と聞かれた場合には(本命ではありますが)オーディオや楽器関連の話をすることで、当たり障りの無い返答をする準備をしています。しかしながら、いわゆる、けしからんとされる趣味も私は持っています。それを言うと面倒な態度をとられるので、対面では言っていません。他人が私の趣味を知り、やべえ奴だなお前、といきなり言ってきたところで「私の趣味は貴方に関係ない」の一言で終わるのですが、耳障りですし五月蠅いには違いないので、意図的に秘匿するようにしています。蠅よけです。
フランスの哲学者であるミシェル・フーコー(1926-1984年)は、著書である『狂気の歴史』の中で、「社会を支配する権力と結びつき正当化され『なかった』ものが『狂気』である」(筆者要約)という旨を指摘しているそうです。趣味の件に例えて、非常に強引な解釈をすれば、「市民権を得られ『なかった』ものが『狂気』である」といったところでしょうか。昨今で言えば、二次元界隈の話がしばしばニュースに出ていますが、今に始まった話ではないかと存じます。この件については、他人を糾弾して快楽を得る為に、都合がいいような「声を上げにくい」と思しき場所に矛先を向けた上、虐めている様な印象を受けます。
ドイツの哲学者である、アルトゥル・ショーペンハウアー(1788-1860年)は、「『芸術』は根底意志に対する『鎮静剤』である」との指摘をしているそうです。根底意志は何なのかという話は専門家の方に任せるとして、「芸術は、ある種の鎮静剤である」と理解しても大幅に間違った解釈ではないかと思われます。専門家の方には怒られそうですが、ここで言うところの鎮静剤に、「単なる趣味」も含まれていて欲しいと私は考えています。Testosterone『ストレスゼロの生き方』きずな出版,119(2019)によれば、次の様な提言がなされています。
「自分だけの世界に没頭できる趣味を1つ持っておくことは、ストレス社会と呼ばれる日本では必須のストレスマネジメント法といっても過言ではないだろう。」
「現実逃避バンザイだ。(中略)二次元のキャラクターは信頼できるし、映画や本があなたを拒否することもない。(中略)趣味による現実逃避は根本的な問題解決にはならないが、現実を走り続けるためのストレス解消、モチベーションになる。」
他人の趣味や興味に気に入らないことがあれば、何かのきっかけを利用し、鬼の首をとったかの如く狂"気"乱舞して糾弾する場面が、今まであちらこちらで起こって「いた」ことが、可視化される時代になったのだと私は考えています。犯罪行為(この定義についても専門家の方にお任せします)でなければ、誰が何を「芸術」と感じ、自分にとっての「鎮静剤」が何であるかを定めることについて、他者からの口出しを受ける意義は非常に小さいように思われます。自分に合わない鎮静剤なら、黙って使わなければ良いと思いますし、自分に薬が合わないからといって、その薬を使っている人を非難する意義はないと考えています。
残念ながら、「けしからん」と言われる趣味を開けっ広げにすると、肩身が狭くなりやすい現状が無くなることはないはずです。そうであれば、デコイを作っておいて、それを身代わりにすれば実害を減らすことができます。私の場合は、オーディオも楽器も本命なので気は楽です。しかしながら、各個人の状況によっては、デコイ自体をどう作ろうか、という問題が生じます。私としては、やろうとすればできるけど、別にそこまで好きじゃないもので、かつ、独りで完結できる趣味がオススメかと思います。複数人で行える可能性が少しでもある趣味だと、巻き込まれる可能性が出てくるので要注意です。とにかく「『独りで』ナントカするのが趣味です」と返せればいいかと思います。一番手っ取り早いのは、独り飲食店……でしょうか。もし、じゃあ一緒に行こうと誘われたとしても「自分はコミュ障だから緊張して箸が止まってしまうので……」みたいに返して頑なに断りましょう。例外を除けば、誰しもが食事をしなければなりませんし、そこに何らかのこだわりは少なからず生じるはずです。そのこだわりを満たすために、例えば「自分は独り焼肉が趣味だ」と言い切ってしまえばそれでヨシだと思います。自分の好きな味の話であれば、自然と話を広げることが出来るかもしれません。3回くらいは必要経費として、実際に興味の持てるお店に行ってみて、話のネタを用意しておくと便利かと思います。
以上をもって、私は『デコイ趣味』作りをオススメいたします。本記事が、誰かの心にある淀みを、万が一にでも取り除くことが出来たのであれば、私にとって望外の喜びです。