◎脇役列伝その1:藍思追(4ー3)
(◎脇役列伝その1:藍思追(4ー2)の続き)
「すみません。少し台所をお借りしてもいいですか?」
「勝手に使いな」と言う老婆。莫玄羽(魏無羨)が手伝いを募ると、すぐさま藍思追が「私が行きます」と応じた。
台所はひどい悪臭に満ちていた。ついてきた金凌に莫玄羽(魏無羨)命じて、悪臭の元になってたいた木箱を捨てに行かせた間に、思追と莫玄羽(魏無羨)は裏庭の井戸から水を二桶汲んできて、台所を掃除し始めた。
「お前ら、何をやってるんだ?」と戻ってきた金凌。
「見ての通り、かまどを掃除しています」
思追はせっせとあちこちを拭きながら答えた。
金凌も加わって三人でてきぱきと働くと、台所はあっという間に綺麗になって生活感を取り戻す。
莫玄羽(魏無羨)は別の木箱からもち米を取り出して水で研ぎ、、綺麗に洗った大きな鍋で沸かしたお湯の中に入れる。粥を作るつもりのようだ。
ふいに思追は閃き、「莫公子、もしかしてこのお粥は屍毒に効くんですか?」と質問する。
莫玄羽(魏無羨)は民間療法で、彷屍から受けた傷にもち米で対処する方法があると言う。通常は生のもち米を傷口に乗せるが、屍毒を吸い込んだ彼らにはお粥にして飲ませるのがいい、と。
「だから人が住んでいる家を探していたんですね。人が住んでいれば台所もあるでしょうし、台所があればもち米もあるかもしれませんから」
思追は目から鱗が落ちたというような顔で感嘆する。
金凌は一年以上も台所を使っていなかったらしい様子に、老婆について疑念を持つが、莫玄羽(魏無羨)は彼女がたまたまこの家に居ただけか、何も食べなくても平気のどちらかだと事もなげに言う。
声を低めて思追は、「食べなくても平気なら、つまり死者ということですよね。でも、あのお年寄りは明らかに息をしています」と。
「その通り」と言った莫玄羽(魏無羨)は話を変えて、彼らが義城に来た理由を訊く。
二人の少年の表情は急に重々しくなった。彼らは皆、別々の場所から同じものを追いかけてここに辿り着いたと言う。「俺は清河から」と金凌。「私たちは琅邪からです」と思追。
「何を追っていたんだ?」
「それがわからないんです。相手はずっと姿を見せなかったので、私たちにもそれがモノなのか、それとも人なのか……あるいはなんらかの組織なのかすらもわからなくて」
困りきった顔で思追は答えた。
「数日前、私たちは琅邪で夜狩をしていたのですが、ある日の夕餉の時に、鍋の中から猫の頭が出てきて……最初は、それがまさか私たちを狙ったことだとは思いもしなかったんです。でも宿を替えて部屋に入ったら、今度は布団の中から猫の死骸が現れて……それからというもの、毎日ずっとです。それで私たちも調べ始めて、櫟陽[れきよう]まで辿り着いたところで金公子に会いました。しかもどうやらお互いに同じ事件を調べているようだとわかったので、一緒に行動するようになって、今日もその調査のために初めてこの辺りまで来たんです。それで、道標のすぐそばの村で猟師さんに尋ねたところ、義城への道を教えてもらった次第で」
やがて、しゃがみ込んでかまどに風を送っていた思追は、顔を上げて莫玄羽(魏無羨)に目を向けた。
「莫先輩、おかゆができたみたいですよ?」
莫玄羽(魏無羨)は、先ほど思追が綺麗に洗った茶碗に粥を掬って味見をする。「上出来だ」と彼は言ったが、それを配られた藍景儀は一口食べるなり噴き出した。辛すぎたのだ。
思追もその味が気になって、お粥を手に取って一口味見すると、顔が一瞬でカッと赤くなった。
(これは……恐ろしい味なのに、なぜか懐かしいような気が……)
必死で口を閉じて、噴き出すことを何とか耐えたが、あまりの辛さに両目が赤くなっていた。
「辛いと汗が出るから治りも早い」と言う莫玄羽(魏無羨)に、皆は悪戦苦闘しながら粥を残さず平らげる。顔が真っ赤になって額から汗が流れ、いっそ死んだ方がマシだと思うような苦しみに襲われたが、莫玄羽(魏無羨)は「含光君は結構辛い物平気だったのに」と言う。
「そんなはずはありません。先輩、含光君の好みは淡白な味つけの料理で、辛い物なんて雲深不知処では作らせたことすらありません……」
思追は手でひりひりする口を塞ぎながら答えた。「そうなのか?」と莫玄羽(魏無羨)。
「……先輩、莫先輩!」
何事か考え込む莫玄羽(魏無羨)に声をかける思追。「うん?」と我に返った彼に、思追は小声で囁いた。
「あのお年寄りの部屋の扉が……開いています」
思追の魏無羨への呼びかけが、「莫公子」から「莫先輩」に途中から変わっている。段々親しく思うようになってきたのだろう。
姑蘇藍氏の教えは厳しいので、てきぱき掃除をする思追は想像がつきやすいが、金凌に掃除するイメージは無かった。彼も家では掃除していたのだろうか。江澄はやらせそうな気がするが。
義城に少年たちがやってきた経緯について、彼らが自分たちと出会うように何者かによって仕向けられた、と魏無羨は考えている。魏無羨と藍忘機が通った時には居なかった「猟師」という存在についても疑問を持っている。
「辛いお粥」は、思追が忘れている幼い頃を思い出すためのピースの一つ。これまでに「温寧」が出ている。
現在は小説第八章「草木」を書いているが、この章はとても長く二巻にまたがって<五>まであり、現在ようやくその<一>が終わったところ。引き続き「藍思追(4)」として書いていくことにする。
(◎脇役列伝その1:藍思追(4ー4)へ続く)