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◎脇役列伝その1:藍思追(1−3)

(画像は『魔道祖師』前塵編一話より 剣欄を作る藍思追)

(『◎脇役列伝その1:藍思追(1−2)』の続き。)
 思追が、莫夫人と阿童の二人を同時に手当てすることができず焦っていたその時、阿童が起き上がった。

 阿童は左手を上げ、いきなり自分の首を絞め始める。思追は彼の経穴(血液の流れや霊力の経路にあるツボ)を素早く続けて三か所突いたが、阿童の動きは止まらない。藍景儀も彼の左手を首から引き剥がそうとしたが、びくともしなかった。
 苦痛を感じさせる恐ろしい表情を浮かべていた阿童の頭は、間もなくだらりと垂れて、左手が離れた。頸椎が折れているらしい。
 莫家の者たちが震え上がる中、広間の明かりが少し揺らぐ。続けて一陣の邪気を含んだ風が頬を掠め、庭の灯籠と大広間の蝋燭の火が一斉に消えた。
 人々は恐慌状態に陥り、叫び声を上げて逃げ惑う。暗闇に乗じて騒ぎを起こし襲いかかるのは邪祟の本性、取り乱したり一人で離れるのは危険だ。
「そのまま動くな! 動いた者から捕らえる!」
 景儀は怒鳴るが、誰もその言葉を聞こうとせず、ほどなく大広間は静かになり、軽い呼吸音と微かに啜り泣く声しか聞こえなくなった。
 思追は明火符[めいかふ:火を起こせる呪符。邪気を含んだ風では消えない]を燃やし、灯籠と蝋燭に再び火をつけた。他の少年たちは怯えている人たちを慰めに行った。

 と、突然阿童の傍にいた阿丁[アーディン:阿童と仲の良かった下女]が泣き出した。思追が明火符を阿童の死体の上に掲げると、左腕が消えている。
 いきなり莫玄羽(魏無羨)が笑い出し、景儀は「このバカ、こんな時まで笑うなんて!」と言い放ったが、莫玄羽(魏無羨)は景儀の袖を引っ張り、首を横に振った。
「これは彼らじゃない」
 莫玄羽(魏無羨)が言うには、莫子淵の父親も阿童も右利きだったと。思追は冷や汗をかくほど驚きながら思い出す。莫夫人の夫が夫人を突き飛ばした時、そして阿童が自分で自分の首を絞めた時、使っていたのは左手だったと。
(突然こんなことを言うなんて……まぐれとは思えない)
(いずれにしても、助言してくれるということは、おそらく莫公子に悪意はないはずだ)
 莫夫人に目をやった思追は、その両手に目を留めた。右手の指は雪のように白く華奢で、裕福な環境で暮らしている婦人の手だ。だが、左手の指はーーどうみても女の手じゃない。明らかに男の手じゃないか!
「彼女を押さえろ!」

 数名の少年たちがすぐさま莫夫人を押さえつけ、思追は「失礼」と言ってから一枚の呪符を彼女に張りつけようとした。だが莫夫人の左腕はありえない角度で捻れて、思追の首を掴もうとしてくる。その時、莫玄羽(魏無羨)に蹴られた景儀が、彼の前に飛び込んできて、難を逃れることができた。
 莫夫人の左腕は景儀の肩を掴んだが、その瞬間、服から緑の炎が燃え上がり、すぐに手はこれを離す。藍家の校服の外衣には、その内側に服と同じ色の細い糸でびっしりと呪術と真言が刺繍されていて、守護の効力がある。
 これに気づいた蘭家の少年たちは、一斉に外衣を脱いで、今や干からびた死体となった莫夫人から離れた左腕に、これを覆い被せた。しばらくすると白い服の塊はボッと音を立てて燃え始め、緑色の炎は異様なほど高く燃え上がった。
 だが、これでは長く持たない。校服が燃え尽きたら、また左腕は灰の中から出てくる。
 藍思追は校服の効力が弱まってきたことに気づき、新たな手を打った。皆で剣を抜いて地面に刺し、剣欄[けんらん:封じたい目標を囲み、剣を地に刺して作った結界]を作ったのだ。
 左腕は剣欄の中であちこちぶつかって暴れ、彼らはそれが出てこられないように剣の柄を押さえつけるのに必死だった。

 ついに左腕は剣を一本打ち壊し、剣欄から外に出る。と、その瞬間、左腕をなくした三体の凶屍が左腕に襲いかかった。莫夫人と、莫子淵と、その父親だ。
 そこまで必死に耐えてきた少年たちは唖然とし、書物や噂の中でしか知らなかった光景に驚愕し、その迫力に圧倒されて驚嘆した。
 だが、左腕の凶暴さは彼らに勝り、莫家の三人は次々と押さえられてしまう。もうだめか、と思ったその時。

 遠い空の方から、弦を弾く音が二回鳴った。
 清らかで透き通ったその音は、まるで冬の風が松林を吹き抜ける時のような冷涼さがあった。
 庭で一塊になって激しく戦っていた凶屍たちもその音を聴き、一瞬動きを止める。
 姑蘇藍氏の少年たちは瞬時に顔を輝かせた。藍思追は顔についた血の跡を急いで拭うと、ぱっと顔を上げて嬉しそうに叫んだ。
「含光君[がんこうくん]!」
 また弦が弾かれる音が一音響く。今度の音程はやや高めで、微かなもの寂しさを帯びている。琴の音は雲を貫き、空を破った。

 三体の凶屍はその破障音[はしょうおん]に抗うことができず、逃げ場を失ったそれらの頭から軽い爆発音が聞こえた。左腕も力を失ってぼとりと地面に落ちる。指はまだぴくぴくと痙攣していたが、腕そのものは沈黙して動かなくなった。
 しばしの静寂の後、少年たちは喝采の声を上げた。心身ともに追い詰められた一夜が過ぎ、応援が来るまで耐え切った。生き残れた喜びに満ち溢れた歓声だった。
 月に向かって手を思いきり振りながら、思追はふとある人物がいなくなったことに気づき、藍景儀の腕を引っ張って尋ねる。
「あの人は?」
 景儀は莫玄羽に興味がないようだ。だが、思追は莫玄羽が評判どおりの人物ではないと感じていた。含光君が来たら、あの人のことも併せて報告しようーー。


 藍思追が魏無羨と遭遇した最初の事件「莫家荘彷屍退治」の場面だ。
 この時の思追はまだ魏無羨を莫玄羽だと思っていて、自分に何か関わりのある人物だとは考えていない。一度きりの出会いだと思っていただろう。
 読者もまだ思追をよく知らず、たまたまこの場にいた人物だとしか思っていなかったかも知れない。
 だがこの後、藍思追と魏無羨は何度も遭遇する。魏無羨のかつての評判をよく知らない世代である思追が、魏無羨に何を感じていくのか。これからも思追の活躍を見守って頂きたい。

 次回は10月12日投稿の予定。「大梵山夜狩」の場面だ。思追と関わりの深いもう一人の人物(?)が登場する。

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かんちゃ
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