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徳永先生の思い出

 「『自分とか、ないから。』を読んで その5」を書いているときに見ていた本の中の一冊、『観無量寿経を読む』(発行:本願寺出版社 2005年)なんだけど、この本の筆者・徳永道雄という方の講義を私は受けたことがある。
 ってことで、以降は徳永先生と呼び、その時の思い出を話そうと思う。

 私の行った大学は浄土真宗系の学校だったので、「仏教学」が必修科目にあった。仏教学を教える先生は当時四人くらいいたような気がするが、もう一人、「極楽浄土ー3」で参考としてあげた本の筆者・瓜生津隆真先生もいらっしゃって、こちらもよく知っている。
 瓜生津先生は優しい方で、私は講義は受けてないけれど、話によると「出席さえしていれば単位をくれる」という方だったらしい。
 「仏教学」は必修なので、その単位がもらえないと卒業できないのだが、私たちのクラスは担当が徳永先生で、厳しいことで有名、ちゃんと試験で合格点を取らなければ、卒業させてもらえないのだ。

 徳永先生は「当たり前だろ」という態度で、まあそのとおりなのだが、学生からは不評だった。でも、私は大好きだったな。講義もわかりやすかったし、仏教を学ぶことも嫌じゃなかったし。
 いつも最前列で講義を聞いていたのは、四年間でも徳永先生だけだったと思う。

 先生はいつもしかめっ面で、にこりともしなかった。そして、講義の間におしゃべりをしている学生がいると、自分の過去のエピソードを披露して、脅しをかけてくる。
 曰く、「俺は、過去に警察沙汰になったことが二度あるんだ」。
 一度目は、とある大学で講義をしていた時、学生の一人が何人分かの席を使って寝そべったまま講義に出ていたので、腹が立ってその椅子の足を蹴ったら、転げ落ちた学生が腕を骨折してしまった、から。
 二度目は、その同じ大学での講義中に騒いでいる学生がいて、腹が立って黒板消しを投げつけたら、それが目に当たってしまい、危うく失明するところだった、かららしい。
 その話をしている時の徳永先生は、「ふん。警察なんて怖くないんだ。俺はやる時はやるからな」とでも言いたげな顔だった。

 またある日の話では、仏教のルーツを訪ねて敦煌の辺りへ何人かの学者たちと共に旅行に行った、と。
 その時、砂漠の中なのでラクダに乗っていくのだが、そのラクダに乗る時と降りる時に毎度案内人に声をかけてチップを渡し、ラクダの脚を折ってもらわなくてはいけなかったらしい。ラクダは背が高いので、おすわり状態にして乗り降りするということだろう。
 ラクダの脚を折ってもらってそれに乗り、目的地である遺跡に着いたら、ラクダの脚を折ってもらってそこから降り、その遺跡を見学し終わったら、またラクダの脚を折ってもらってそれに乗り、次の目的地に着いたら……。
 都度都度チップを要求されるし、繰り返しているうちに徳永先生は腹が立ってきて、「何で毎度毎度こんなことをしなきゃならないんだ。バカらしい。降りるのくらい、自分でやれるわっ」とその背から飛び降りたら、下が砂地だったので足首をグギッとやり、捻挫して以降はホテルから出られなかった、と。
 それがまた、自分から話し出したくせに「ふん。こんな話のどこが面白いんだ」と言わんばかりの仏頂面なので、私はおかしくておかしくて、四十五年くらい経った今でも忘れられない。

 冒頭紹介した『観無量寿経を読む』の筆者紹介欄を見ると、肩書に「勧学」とある。勧学は文字どおり「学問を勧める」ということだが、宗派の門主に講義をする方という意味で、いい加減なことを言うのは絶対に許されない、宗派における学問の最高権威者であるということだ。
 勧学は一人ではなく何人かいらっしゃることは知っているが、それを最初に目にした時、「ついにあの徳永先生が勧学さまに」と思って、とても感激したことをよく覚えている。

 ところで。最近の勧学名簿を見ると、徳永先生の名前がない。勧学は定年のない終身の肩書なので、亡くなるか、自分から「辞めます」と言い出さない限り、名前が消えることはないはずなのだが。
 相当なご高齢になっただろうことは間違いないだろうが、亡くなったとも聞かないので、やっぱり自分から引退したのだろうか。
 最近の宗派のゴタゴタの中で、チラッとその名を見たような気がするし、私はとても心配している。若い頃の癖を出して、カッとなっちゃったんじゃないだろうなあ、と。

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かんちゃ
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