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◎脇役列伝その1:藍思追(9ー3ー1)
タイトル画像は、アニメ『魔道祖師』公式サイトの「振り返りカットギャラリー・羨雲編『第六話 進むべき道』」より、魏無羨、藍忘機と共に乱葬崗の麓の町で食事をする阿苑。
雲夢江氏から追放された後、しばらくは魏無羨の身に特別なことは起こらなかった。
魏無羨は温家修士たち五十名を率いて乱葬崗で畑を耕したり、小屋を建てたり、傀儡を作ったり、道具を作ったりして過ごし、さらに暇な時間があれば、温情の従兄のところのまだ二歳のあの子供、温苑で遊んだりもした。温苑を木に吊るしてみたり、あるいは頭だけ出したまま土に埋めて、太陽を浴びて水をやればもっと早く大きくなれるぞとからかったりしては、温情にいつも叱られていた。
「温苑と遊ぶ」のではなく「温苑で遊ぶ」ところが、如何にも魏無羨だ。
さて。
ある日、阿苑は魏無羨に連れられて、乱葬崗の最寄りの小さな町に来ていた。二歳の子供を乱葬崗のような場所にずっと閉じ込めて泥遊びばかりさせるのは良くないと考えた魏無羨が、買い付けのために下山するついでに、彼も連れていくことにしたからだった。
魏無羨が買い物をする間、その脚に抱きついていた阿苑は、魏無羨がうろうろと歩き回りながらジャガイモを選んで値切っていたので、それほど経たないうちに短い腕が疲れて力尽きてしまう。
脚を放して少し休もうとしした阿苑は、たった一瞬のその間に、通り過ぎる人の波に巻き込まれ、方向を見失ってしまった。幼い彼の目線は非常に低いので、魏無羨の長い足と黒い靴を見つけようとするのだが、歩き回っても見つけられない、視界に入るのは、埃っぽくて薄汚い泥のついた靴や黒い下衣ばかり。
途方に暮れ、どうしたらいいかわからなくなったその時、突然誰かの足にぶつかった。
埃一つない真っ白な靴を履いたその人はかなりゆっくり歩いていて、温苑がぶつかるなり、すぐさま立ち止まった。
温苑が恐る恐る顔を上げると、まず目に入ったのは腰からぶら下がっている玉佩で、次に見えて来たのは巻雲紋が刺繍された帯だ。さらにその次は、きっちり整えられた襟、最後にようやく瑠璃のように透き通った極めて冷淡な双眸が見えた。
見知らぬこの人は冷ややかで厳しい表情を浮かべ、上から彼を見下ろしてくる。その途端、温苑は怖くなった。
この、阿苑が見た物の描写だけで、ここまで読み続けてきた読者なら、それが誰だか見当がつく。「全身に白い服を纏って避塵を背負った」とくれば、もう間違いはない。藍忘機だ。
阿苑は彼の足元に座り込んで涙と鼻水を一緒に流しながら、わーわーと大声で泣き叫ぶ。
子供の泣き声を聞きつけて、周りには人垣ができ、「どうしたんだ?」「お父ちゃんに叱られたんでしょう」と勝手なことを言う。
「私ではない」と藍忘機は否定するが、「お父ちゃん」に反応したのか、阿苑は、「とうちゃん! とうちゃん、ううう……」と亡き父親を呼ぶ。
「ほら! やっぱりその子のお父ちゃんだ!」
「きっとそうだ。鼻の辺りがそっくりだから、絶対間違いない!」
「ああ、かわいそうに、こんなに大泣きしちゃって。お父ちゃんに叱られたのかしら?」
「おい、どうなってるんだ? どいてくれないかな? 俺の荷車が通れないじゃないか」
「子供を抱っこしてあやすことも知らないのか! 息子を地面に座らせたまま泣かせておくつもりか? 父親だろう!」
「まだ若いし、きっと初めての子なんだろう。俺も昔はそうだったよ。何もわからなくてさ。でも妻が何人か産んだらわかるようになってきたんだ。なんでもゆっくり学ばなきゃな……」
「よしよし、泣かないの。お母さんは?」
「そうだ。お母さんはどこだ。お父さんが何もしないなら、お母さんは?」
周りは次々と好きなことを言い、最初は慌てて途方に暮れたようだった藍忘機の表情は、次第に微妙なものになっていく。
魏無羨は泣き声を聞いてすぐに駆けつけたものの、そんな状況になっていて、笑いすぎてどうにかなりそうだったが、阿苑も泣きすぎて呼吸困難になってしまいそうだったので、さもたった今二人に気づいたふりをして、驚いた声で話しかけた。
「あれ? 藍湛?」
その声が聞こえた途端、阿苑はいきなり立ち上がり、二筋の涙を激しく流しながら魏無羨に向かって走って行って、再び彼の足にしがみついた。
見物人を追い払った魏無羨は、振り返ってにっこり微笑む。
「偶然だな。藍湛、何しに夷陵へ来たんだ?」
藍忘機は「夜狩のために通りかかった」と言う。
魏無羨はまだシクシクと啜り泣いている阿苑を抱き上げて、二言三言あやし機嫌をとる。
道端で天秤棒を担いでいる行商人がこちらを見ながら歯を見せて笑っているのに気づいて、彼(魏無羨)はその荷籠の中にある色とりどりのおもちゃを指さしながら聞いた。
「阿苑、こっちを見てみろ。ほら、綺麗か?」
温苑は興味を惹かれ、くんくんと匂いを嗅ぎながら答えた。
「……きれい」
「いい匂いか?」
「いいにおい」
すると、行商人はすかさず勧めてくる。
「綺麗でいい匂いがしますよ。公子、一つ買ってあげたらどうです?」
「欲しいか?」
魏無羨が尋ねると、温苑は彼が自分に買ってくれるのだと思い、はにかんで答えた。
「ほしい」
しかし、魏無羨は反対方向に向かって足を踏み出した。
「ハハッ、行くぞ」
温苑は大打撃を受け、目にまた涙を浮かべる。それを冷静な目で傍観していた藍忘機は、これ以上見ていられなくなって口を挟んだ。
「なぜ買ってあげない」
魏無羨は不思議そうに聞き返す。
「なんで買ってやるんだ?」
「その子に欲しいかと聞いたのは、買ってあげるつもりだからではなかったのか」
「それは単に聞いただけだよ。買うのはまた別の話だろう。なんで欲しいかって聞いただけで必ず買わなきゃいけないんだ?」
魏無羨にもっともらしくそう問い返されて、藍忘機はなんとも答えに窮し、彼をしばらくの間睨んでから視線を温苑の方へ向ける。温苑は彼に見られると、また怯えてぶるぶると震え始めた。
少ししてから、藍忘機は温苑に話しかけた。
「君は……どれが欲しい?」
まだ訳がわからずにいる温苑に、藍忘機は行商人の籠の中にある物を指さすと、もう一度聞く。
「この中で、どれが欲しい?」
温苑は恐る恐る彼を見て、声を出す勇気もなかった。
魏無羨はいつでも人を揶揄っては笑っている。幼い子供に対する接し方のわからない藍忘機でも、これはひどいと思っただろう。
この後、阿苑は藍忘機におもちゃを買ってもらい……次回はその話から始めることにしよう。
[◎脇役列伝その1:藍思追(9ー3ー2)に続く]
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