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☆29 おさらい:罪人坑

 ここで一度「罪人坑」について、おさらいしておこう。主に日本語版原作小説(以下、原作と略す)から罪人坑に関する記述を抜き出し、一体罪人坑とは何なのかを書いておく。そうすることにより今後の展開もわかりやすくなると思うので。
 但し、以下の文章はアニメ11話までの内容が含まれているので、ご注意を。

 罪人坑の大きさとその材質については、既に「☆27 阿昭の思惑」で書いた。その中で古い建物だということも述べたが、原作によると元々この建物は罪人を閉じ込めておくために作られた、一種の監獄のようなものらしい。当時底には有毒の蛇蝎と飢えた猛獣がいて、罪人は上から直接放り込まれた。生きて出ることの出来ない場所だったのだろう。

 さて。謝憐たちがこの場所に来た時、穴の中からは大勢の吠えるような声が聞こえ、また後に刻磨がこの穴に落ちた時、彼らを「兄弟たち」と呼んでいる。この「兄弟」は血縁者のことではなく、もっと広義の「仲間たち」というような意味だ。彼らは刻磨の仲間、つまり元は半月兵士だった者たちである。

 仲間なら助けようとはしなかったのか。この答えは、しなかったのではなく出来なかった、だ。何故なら、罪人坑に強力な陣が張られてしまったからだ。謝憐がこの穴に落ちた時、若邪を上に飛ばして何か支えとなるものを見つけようとする場面があるが、この時若邪は見えない何かに阻まれて戻ってきてしまう。この阻んだものが陣だ。
 この陣は、上へ行こうとするものを拒絶する。誰かが縄を降ろすなり梯子をかけるなりして助け出そうとしても、この陣の張られている地点まで来ると、強制的に下に落とされ底まで戻ってしまう。ここを通って下へは行けるが、上に上がることは出来ない一方通行の陣である。

 では、この陣を張ったのは誰なのか。それは半月国師である。そのことは、元半月兵士たちをここへ閉じ込めたのが半月国師であることを意味している。
 何故閉じ込めたのか。それは彼らを再び戦場へ、更には恐ろしい目的を持って永安国へ行かせるわけにはいかなかったから、そしておそらくはどうしても彼らを殺す(或いは殺させる)ことが出来なかったからだろう。

 六話で、三郎が半月国師の伝説を話す場面を思い出して欲しい。この話の中では「戦闘が最も激しくなったその時、国師が城門を開け、大勢の敵兵が押し寄せてきた。半月国は血の海と化し、国師は生贄を祀るという禁断の方法を使った。結果、凶の鬼となった」とされている。この「生贄を祀る」という部分が、実際には「半月兵士たちを罪人坑の中へ閉じ込める」ということだったのだろう。話が伝わる過程ですっかり変わってしまうことはよくあることだ。

 半月国滅亡から、既に二百年近い年月が過ぎている。この場にいる半月人たちは皆、生きているように見えても本来の人間ではない。彼らもまた土埋面と同じように妖と化した者たちである。
 妖となってまでこの世に居続けようとするには、何としてもこの世に留まろうとする強い執念が必要だ。自分たちを滅ぼした永安国に対する憎しみ、そしてそのような事態を招きあまつさえ仲間を永遠に罪人坑の中へ閉じ込めた半月国師に対する恨みの念が、彼らをこの世に繋ぎ止めている。

 刻磨たちが通りがかりの者たちを捉え穴の中に投げ入れるのは、底に閉じ込められている者たちの飢えを満たすためだ。おそらくは腹の飢えと心の飢え、その両方を満たすため彼らは人を喰うのだろう。中へ放り込まれた者は例外なく、彼らに喰われ跡形も無くなってしまう。
 「2人だけ落として残りは見張っておけ」と刻磨が言った理由について原作では、「砂漠で人間を捕らえるのは容易ではない。一度に全て食べきるのではなく、蓄えておいてゆっくり食べていくつもりなのだろう」と書いている。

 凶の鬼となった半月国師には、自らが幾度となく殺され、罪人坑の上に立つ竿(と原作ではなっている)に吊るされることしか彼らを慰める術がない。そして阿昭は、そんな国師の身を案じ、その負担を出来るだけ無くすために行動している。
 阿昭が非難されるようなやり方を選んだのも、それしか出来なかったということもあるかもしれないが、本当に非難されるべきは自分の方だ、という思いがあったのではないかと私は思う。戦乱当時はこれが正しいと無論思っていただろうが、後に国師の身の上を思った時、そんな気持ちになったのではないか、と。もしかすると当時そんな選択をせざるを得なかった状況へ彼を追い込んだ祖国、そして何も知らずに安穏とそこで生きる者たちへの、怒りさえあったのかもしれない。

 さて、次回は少し戻って、罪人坑に落ちた直後の謝憐について書く予定だ。かなり手こずっているので、少し時間がかかるかもしれないが、出来ればお待ち頂きたい。

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