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◉雲深不知処で

 うっかり「含光君みたいな男が好きだ」と言ってしまったために、雲深不知処へ連れてこられる羽目になった魏無羨。
 彼はそこで数々の奇妙な藍忘機の姿を発見する。

 たとえば、魏無羨がまだ門の前で、中に入りたくないと駄々を捏ねていた時、やって来た藍曦臣が藍忘機にそっと言う。
「珍しくお前が客を連れて帰ってきたかと思ったら、そんなに嬉しそうにして。大事にもてなしなさい」
 この時の魏無羨は、まだ藍忘機の微かな表情の変化までは見抜けないので、全く変わらない表情のどの辺りがそうなのかと、この言葉に大いに戸惑っている。(なので、「なぜ嬉しそうなのか」について考えることを忘れている。)

 静室に入れられた後、一枚の床板の感触に違和感を覚えて、それをめくってみると、中には「天子笑」が隠されていた。飲酒が禁じられている雲深不知処で、酒を全く飲まなかった藍忘機が、床下に穴を掘って酒を隠している、という事実に魏無羨は「あいつ、やっぱり変わったな」と思う。
 だが、そんなことをしていた理由に心当たりのある読者なら、胸の痛みを覚える場面だ。

 通行玉令を手に入れるため、冷泉へ行った魏無羨は、泉の中にいる人物の後ろ姿に、数十本の戒鞭の跡があるのを見て、驚愕する。
 更に、振り向いたその人物の左鎖骨の下、心臓に近い位置に、はっきりとした烙印があるのを見つけ、驚きと疑念が一瞬で頂点に達する。そしてその時、「避塵」が飛んできて、その人物が藍忘機であることを知る。
 この二つの消えない印の謎が解けるのは、物語の最終盤、雲萍城の観音廟へ行ってからのことだ。

 藍忘機の剣「避塵」から逃れた魏無羨が、門弟たち(藍思追ら)に捕まった時も、「解散だ」と一言だけで解放され、「藍家はいつから本家の名士の沐浴を覗くなんて破廉恥な罪を、寛大に許すようになったんだよ!?」と困惑しきりだ。
 藍家が許したのではなく、藍忘機が相手を魏無羨と知って騒ぎにしなかっただけなのだが。
 二寸余り背が低いとはいえ、それだけの差しか無い魏無羨の後ろ襟を猫の子のように掴み上げて、静室へ連れ帰る藍忘機の腕力が凄い。

 雲深不知処に連れてくるなんて、正体を見破られたかと疑っていた魏無羨は、この時「そうとは思えない」と考える。まして「笛の旋律だけで正体に気づいたなんてあり得ない」と。
 前世において、藍忘機との間に、何か強く心に刻まれるような出来事はなかったはずだ。確かにともに勉強したことも、ともに危険にさらされたことも、ともに戦ったこともあった。けれど、どれも散りゆく花、流れる水のように、深い縁を結ぶ間もなく過ぎ去っていった出来事ばかりだ。
 この描写。その折々に、魏無羨は常に藍忘機と仲良くなりたいと願っていた。江澄を始めとする周りの皆が無駄だと言っても、どうにか親しい間柄になりたいと強くこだわっていた。
 儚い縁の出来事ばかりと魏無羨は思っているが、逆に言えばそれらの出来事を彼は今もちゃんと覚えているということだ。

 この後、魏無羨は再び通行玉令を手に入れるために、藍忘機の寝ている隣の部屋に忍び込み、見つかって、嫌がらせのために藍忘機の上に跨って顔を近づけていくが、藍忘機に体を叩かれて指一本動かせないような状態にされてしまう。
 藍忘機の上で一晩中俯せたままで過ごし、夜明け前にうとうとして、気がつくと藍忘機は既におらず、一人寝床で仰向けになり両手を体の両側にきちんと置いた姿勢で寝かされていたことに気づく。

 魏無羨は眠れない夜の間、彼が復活するまでの十数年に藍忘機に何があったのかを考えていたが、藍忘機の方はどうだっただろうか。
 既に魏無羨が莫玄羽の体に入って復活したとわかっている藍忘機は、雲深不知処の規則に従って眠りながら、生き返ってくれた喜びをしみじみと噛み締めていたのかもしれない。

 藍忘機から見れば、眠っている魏無羨は全くの別人で、ほんの少し戸惑いながらも、これが彼なんだと少しずつ慣れている途中だと思う。起きている時の魏無羨の行動には、おそらく藍忘機が知っている生前の彼と何も変わらない印象を持っていただろう。だが外見は全く違っている。
 藍忘機が愛する人を目の前に手を出さなかったのは、自制心がとても強いこともあるだろうが、特に初めの頃は、その外見に慣れていなかったからでは無いだろうか。
 慣れてくるに従って、外見と中身が一致するようになり、むしろ過去の魏無羨の姿が次第に薄まっていって、目の前の彼こそが魏無羨だと完全に思えるようになった、そんなところではないかと思う。

 翌日になって魏無羨と藍忘機が会うのは、冥室の場面だ。閉ざされた冥室の中へ魏無羨が一人飛び込むと、中央の、莫家荘から持ち帰った左腕から、怨念、怒り、狂気が混ざり合ったような重苦しく黒い気が溢れ出て、室内を満たしている。
 冥室の大きさは、高さも四方も同じく三丈余り。既に招魂の儀式に参加した者は、外へ逃げ出した一人、そして東に座る藍忘機を除き、全員その場に倒れている。

 魏無羨は藍啓仁が座っていた西の位置に立ち、笛を構えて藍忘機と向かい合う。藍忘機の合図に合わせ、その琴の音に魏無羨も笛の音を重ねて、彼らは「招魂」を合奏する。
 だが、亡霊を召喚することはできず、左腕の持ち主である死者の魂魄が身体と共に引き裂かれてしまったことに魏無羨が気づいた時、藍忘機は旋律を変え、「安息」を演奏する。
 魏無羨もそれに合わせて笛を吹くが、わざと度々吹き間違え、息も足りないふりをするので、あまりに酷い演奏に、気を失っていた藍啓仁を起き上がらせて、激怒させてしまうほどだった。

 魏無羨がわざとそんな真似をしたのは、かつて笛の名手だった魏無羨のイメージを蘇らせたくなかったからだろう。
 そんな状態でも左腕には効果があり、笛と琴の音色が合わさって鎮圧するうち、腕は大人しくなっていく。

 二人で合奏する場面は、ずっと昔、彼らが心を合わせてともに戦った場面を、(それを知っている読者に)想起させる。彼ら二人にとっても、同じだったのではないだろうか。
 仲が悪いと周囲には思われていた二人だったが、実際の戦いの場面ではむしろ息の合ったところを見せていた。

 邪祟となった左腕を鎮めるために、その原因を探る必要があると感じた藍忘機は、魏無羨とともに旅に出る。
 藍忘機からすれば、二度と魏無羨を見失わないために連れていくことにするのだが、魏無羨からすれば、ともかく一刻も早く雲深不知処から外に出て、藍忘機を巻き、自由を獲得するためだ。
「やったあ、これでやっと下山して駆け落ちできるね!」
 魏無羨は莫玄羽に成り切って、嬉しそうな声で嫌がらせを言うが、意識のない中でも聞こえたらしい藍啓仁が、顔を引きつらせ今にも起き上がりそうな描写が笑える。

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かんちゃ
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