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◉窮奇道

 阿苑アーユエン魏無羨ウェイウーシェンが出会った場所、窮奇道きゅうきどう。この地名は作中何度も登場する。
 誰もが思い浮かべるのは、「窮奇道の惨劇」だろう。「◉金凌の字[あざな]」の記事で触れたが、此処は金凌ジンリンの父・金子軒ジンズーシュエンが暴走した温寧ウェンニンによって殺された場所だ。
 小説『魔道祖師』3巻「第十六章 剛毅」の中に、その場所が「窮奇道」と呼ばれる由来について書かれた文章があるので紹介しよう。

 窮奇道は、ある山の谷間を通っている古道だ。言い伝えによると、その道はあの岐山きざんウェン氏の開祖である温卯ウェンマオが、一戦で名を成した場所だという。数百年前、彼は一匹の上古じょうこ凶獣きょうじゅうと八十一日もの間そこで激戦を繰り広げ、最後にはそれを斬り殺した。その凶獣というのが、すなわち窮奇ーー善を懲らしめ悪を勧め、世に混乱を招く邪悪な存在であり、正直で忠実な者を好んで喰い、悪事を働く者には贈り物をする神獣だ。当然、その伝説が事実なのか、岐山温氏の後世の宗主たちが開祖を神格化して誇張しただけなのかどうかは、考証のしようがない。
 それから数百年もの時が経ち、その古道は険しい要路から、功績や徳行を称えるための観光地と化していた。そして射日しゃじつ征戦せいせんが終わると、各世家せいかたちは岐山温氏の管轄地を分割し、窮奇道は蘭陵らんりょうジン氏の手中に収まった。もともと、窮奇道の両側は高く切り立った崖が続いており、そこには偉大な先賢せんけんである温卯の生前の足跡が彫られていた。だが、蘭陵金氏の手に渡ったあとは、当然のことながら岐山温氏の輝かしい過去の功績など残しておくわけもなく、今は再建に着手している。再建とは、つまり崖にある壁画をきれいさっぱり削ってから、新しい絵を彫ることだ。もちろん、最終的には道の名前も、蘭陵金氏の並外れた勇敢さを強調するような新しいものに変えるに違いない。

『魔道祖師』3巻「第十六章 剛毅」より

 「窮奇」は四凶(中国神話に登場する悪神。「渾敦こんとん」「窮奇きゅうき」「檮杌とうごつ」「饕餮とうてつ」の四神獣)の一つと言われ、一般には虎の形態を持ち、前足の付け根辺りに猛禽の翼を持っているとされているようだ。

 「窮奇道の惨劇」が起こった時、再建は既に終わってその道も新しい名前に変えられていたが、魏無羨もまた他の者も、新しい名を知らないか忘れてしまうかで、大抵は相変わらず窮奇道と呼ばれていた。
 この「再建事業」は、現代の感覚で考えると文化財の破壊のようなもので、数百年も前の人物のことまで称えるのを嫌がるなどちょっと異様な気がするが、自分たちの上に立ち、好き放題にやっていた温氏の開祖の絵物語が、自分たちの管轄地にあるなんて我慢がならない、と思われたのだろう。岐山温氏に関する良い評判はどんな些細なことでも許されない、という風潮がこの時はあったのだろうと思われる。
 まして当時の金氏は、修真界のトップの座(仙督せんとく)を狙っていたのだから、この世から温氏の色を全て消そうと躍起になっていたのだろう。

 窮奇道のある場所については、「ある山の谷間」とあるだけではっきりとした記述がない。
 元々岐山温氏の管轄地だったので、岐山からそう遠くない場所……その後蘭陵金氏の管轄地に変わったので、蘭陵に比較的近い場所……夷陵いりょうから蘭陵へ向かう魏無羨がその場所を通りかかったので、夷陵と蘭陵を結ぶ道の途中……と考えると、今の河南省のいずれかの場所だろうと思われるが、確証はない。

 神話の中の生き物・窮奇と戦ったとされる温卯は、姑蘇こそラン氏の始祖・藍安ランアンや、魏無羨の母・蔵色散人ぞうしきさんじんの師・抱山散人ほうざんさんじんと同時代の人物だ。
 温卯は気骨のある人物だったと見えて、温氏歴代宗主と名士の事績じせきや名言が書かれた『温門菁華録ウェンもんせいかろく』の中に「家名を笠に着て人を虐げるは、非道の輩である。悉く殺すべし。ただ殺すだけでなく、その首を刎ね、万人に唾棄させ、後世に警醒けいせいせよ」との言葉を残している(2巻「第十一章 絶勇」)。

 この言葉を忘れた温氏は滅ぼされたが、この時、取って代わろうとしている金氏も温氏と大差ない振る舞いをしている。
 魏無羨の怒りはもっともだが、この時既に彼は、鬼道きどうを修めた影響あるいは持っている陰虎符いんこふの所為で、ちょっとしたことに腹を立てやすく、我慢も効かなくなっており、残虐性も増しているようだ。雲深不知処うんしんふちしょに留学していた十五歳の頃や、献舎けんしゃによって甦った現在とは少し違って見える。
 そのことが「窮奇道の惨劇」を招いたことを考えると、当時の藍忘機ランワンジーの心配(その話は次々回辺りになる予定だ)は当然のことなのだが、これもまた悪い影響の所為で彼は自分の考えに固執するようになっており、周りの状況もあって、陽気でお気楽な性格は徐々に影を潜めていく。
 魏無羨の過去に関する描写を読んでいてつらくなってくるのは、彼が周囲に追い詰められていく所為ばかりでなく、この性格の変化もあるのだろう。

 江家の家訓「成せぬと知りても、為さねば成らぬ」を実行しようとした魏無羨は、周囲の思惑に翻弄され、孤独と理不尽と巡り合わせの悪さに、どんどん取り返しのつかない場所へと追い立てられていく。
 その決定的な分岐点となるのが、いずれも窮奇道で起こった二つの事件で、特に最初の事件(魏無羨が阿苑と遭った時)は彼自身が引き起こしたものだ。だが、当時の彼に他の選択肢を選ぶことはできなかった。否、現在の彼でも他の選択肢は選ばないだろう。
 いつもふざけているように見えて、根は情に厚く正義感の強い魏無羨だから。

 窮奇道は、楽しいことの何一つ起こらない場所で、小説の中でも出来ればあまり読みたくない場面が多いが、その名前は私の心に深く刻まれている。

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かんちゃ
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