◉藍忘機、酒に酔う
1巻「第七章 朝霧」と2巻「第九章 佼僚」には、藍忘機が酒を飲んで酔う場面が出てくる。たった一杯でいきなり寝てしまい、その後起きてきたと思ったらすっかり酔っ払っていて、普段では考えられない奇妙な行動を繰り広げる。
魏無羨が酔った藍忘機を大好きだと言うように、私も酔った彼が大好きだ。清廉潔白、品行方正、冷淡孤高な存在である藍忘機が、一気に愛らしく滑稽で、純でいじらしい存在に変わる。アニメを先に観ていた私は、ずっと魏無羨が一番好きだったのだが、小説で酔った藍忘機を読んだ途端、一気に彼が一番になった。
藍忘機が最初に酔った場面を見てみよう。櫟陽で、一族皆殺し事件の起こった常氏の墓地から「左腕兄さん」の胴体を発見した後、酒を大量に注文していた酒屋で事件を振り返りながら飲み直す場面だ。
魏無羨が、一人で飲むのはつまらないからと藍忘機にダメ元で勧めたところ、何故か受けてくれて、一口飲んだはいいが途端に寝てしまう。仕方がないので宿屋へ運んで部屋を取り、靴を脱がせて衣類を整え、きちんと寝かせた後、こっそりそこを抜け出して、町外れの荒野で温寧を呼び出す魏無羨。
そこへ藍忘機が現れる、という場面だ。
魏無羨の見るところ、この時の藍忘機は顔色も表情もいつもと何も変わらなかったが、唯一つおかしなところがあり、それは靴を左右逆に履いていたことだ。
酔っているか確認するために、「これはいくつ?」と魏無羨が指を二本立てて見せると、藍忘機は答えずに、左右の手でその二本の指を真剣に握りしめる。そのせいで避塵が地面に落ちても気にしない。
酔った藍忘機は、魏無羨に心の内を素直に告げる。魏無羨が自分のことを指差しながら「これをどう思う?」と聞くと、「私のだ」と答えたり。
2巻「第九章 佼僚」では、藍思追たちの知らないところで藍忘機が酒をうっかり口にして、魏無羨の手首を大事な抹額で縛り上げた挙句、宿に戻って部屋の中で二人で追いかけっこを始めてしまう。
捕まって罰を受けたいための追いかけっこという奇妙さで、そうこうするうち……。
酔うと抑えていた心の中の欲望が如実に現れるのはよくあることだが、藍忘機のそれは、素直で子供っぽくとても可愛らしい。いつもはいたずらを仕掛ける側の魏無羨も、毎度それにすっかり振り回され、、藍忘機のペースに乗せられて、彼の心の奥底にある藍忘機に対する特別な思いまで、徐々に炙り出されていく。
だが。そもそも魏無羨は生前から、藍忘機には嫌われていると思い込んでいる。自分は親しくなりたいと願っていたが、相手には鬱陶しく思われるばかりだった、と。
だから、今でもそうに違いないという考えから抜けられない。どうやら思っていたほどは嫌われていないかったようだと思い始めているものの、好かれているどころか特別な思いを持って接してくれているのだとは、思いつくこともできないのだ。
ましてや自分自身の気持ちが、ただ友達になりたがっているだけじゃなかったなんて、認めるのは難しいし、同じことを相手に求めようなんてできるわけがない。
出すに出せない本音を酔う度覗かせてしまう藍忘機と、そんなことがあるわけないと思い込み、毎度無理やり別の解釈を捻り出そうとしてしまう魏無羨。
この後も、藍忘機の酔うシーンは何度か出てくるが、その度に二人の関係性が深まっていくようでもあり、ますますすれ違いを大きくさせてしまうようでもある。
この焦ったさが読者をヤキモキさせる。特に一度物語に接して結末を知ってしまった後にもう一度それらのシーンを読むと、藍忘機の純情と報われきれない切なさが身に染みるし、魏無羨の戸惑いと気持ちの変化に一喜一憂する。
だからこそ、二人の気持ちが通じ合った時のあの感慨が、とてつもなく大きくなるのだろう。観音廟のあのシーンを、幾度も幾度も読み返したくなるのだと思う。