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◎脇役列伝その1:藍思追(6ー8)
[◎脇役列伝その1:藍思追(6ー7)の続き]
乱葬崗を下り、夷陵から船で雲夢江氏の拠点・蓮花塢へ向かう一行。
藍思追が酷い船酔いに悩まされている中、いつの間にか水に浸かりながら船体に張り付いていた温寧が、甲板へと上がってきた。
温寧は思追の顔を見据え、彼に近づいてくる。
少し原文を書き出してみよう。
彼(温寧)が自分に向かってくることに気づいた思追が冷静になろうとしていると、目の前まで来た温寧は彼に質問した。
「君……君の名前は、なんて言うんだ?」
思追はやや呆然としていたが、きちんと背筋を伸ばして立つと彼に答えた。
「私は姑蘇藍氏の門弟、名は藍願です」
「藍苑?」
繰り返され、藍思追は頷いた。
「藍願」と「藍苑」、同じ読みだが文字が違う。これは、思追は自分の名を「願」だと思っているのに対して、温寧は「苑」という名に心当たりがあるからだ。温寧は思っている、「この子は苑という名の、かつてよく知っていたあの子なのではないか」と。
「君……君はその名前、誰がつけたのか……わかる?」
温寧は必死に問いかけた。
それは明らかに表情がない死人の顔のはずなのに、まるで錯覚でも起こしたかのように、藍思追には温寧の目が輝いて見えた。
彼はさらに、温寧の心は今非常に高揚し、話す時につかえてしまうくらい興奮していることがわかった。いつしか藍思追もつられて微かな興奮を覚え、まるで間もなく長年封印されてきた秘密が明かされているみたいに思えた。
「名前はもちろん両親がつけてくれました」と思追は慎重に答え、その両親は幼い頃に他界したことも明かす。この時温寧は、傍らの少年の一人が彼のことを「思追」と呼ぶのを聞き、またその字をつけたのが「含光君」つまり藍忘機であることを知ると、俯いて、声に出さずにその名を呼び、何かを悟ったような顔をする。
「ユエン」という名に「願」という字を当てたのも、藍忘機だろう。彼は幼い思追が「アーユエン」と呼ばれていたのを知っている。
思追の失くしてしまった記憶(彼の生い立ち)を知っている人なら、藍忘機が彼の名に「願」という文字を当てたこと、そして「思追」という字をつけたことに思うことがあるだろう。
私はほとんど泣きそうだ。
思追は温寧に「将軍」と呼びかけようとしたが、なんだか変な感じがして言い直す。
「温殿? 私の名前がどうかしたんですか?」
温寧は思追の顔をまじまじと見据え、聞かれたこととは違うことを答える。
「君……君は私の、遠い親戚の一人によく、よく似ている……」
それは本家の公子に取り入ろうとする者が使う言い方によく似ていて、思追もどう答えたらいいかわからず、「ほ……本当ですか?」とだけ返すが、温寧は嬉々として、「本当!」と答えた。
彼(温寧)は懸命に口の両端の筋肉を上げて、おそらくは無理やり笑顔を絞り出そうとしているようだ。なぜかはわからないが、「鬼将軍」のその姿を見て、藍思追の心の中に深い悲哀と切なさを帯びた親近感と、あるぼんやりした思いが込み上げてきたーー彼はおそらくどこかで、この顔を見たことがあるのだ。自分にはある呼び名があって、それはもう少しで何かの壁を突き破って出てきそうだった。無意識にでもその名で呼ばれれば、その他の様々なものもすぐさま湧き出てきて、彼は全てを悟るに違いないという予感があった。
しかしこの予感は、すぐさま現実にはならなかった。
金凌がひどい顔色で、自分の父親を殺した仇である温寧を見ていたからだ。
[◎脇役列伝その1:藍思追(6ー9)へ続く]
乱葬崗・伏魔洞から続いた話も、おそらく次回で終わる……はず。
船の中の話の続きと、雲夢についてからの話が少しだけあるので、合わせて紹介するつもりだ。
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