◎脇役列伝その1:藍思追(4ー7)
(◎脇役列伝その1:藍思追(4ー6)の続き)
床に倒れていたはずの暁星塵は片手で頬杖をついて座り、微かな笑みを浮かべていた。そして彼は黒い手袋をはめた左手を上げると、パチンと指を鳴らした。
すると宋嵐は自分を押さえていた陰力士四体を一気に跳ね飛ばし、あっという間に彼らをばらばらの紙屑に変えてしまう。そして、長剣を莫玄羽(魏無羨)の首元にひたりと当て、少年たちを威嚇する。
「大人同士で話をするから、子供たちは出ていってね」
暁星塵が手で合図をし、宋嵐は世家公子を店の外に追い出し始めた。莫玄羽(魏無羨)も「お前らがここにいても助けにならないから、外に出な」と促がす。納得はできなかったが、剣技で宋嵐に勝てないことはわかっているので、苛立ちながらも金凌は率先して外に出る。
部屋をあとにする間際、何かを言おうとして藍思追がためらっていると、莫玄羽(魏無羨)が声をかけてきた。
「思追、お前は一番いろいろとわきまえているからな、あいつらのことは任せた。できるか?」
思追が頷くと、「怖がらなくていいから」と莫玄羽(魏無羨)が安心させるようにつけ加える。
「怖くありません」
「本当か?」
「本当です」と言ってから、思追は笑って続けた。
「先輩は、本当に含光君と似てますね」
「似てる? 俺たちのどこが似てるんだ?」
思追はただ笑うばかりで何も言わず、残りの少年たちを連れて外に出ていきながら、心の中で密かに答えた。
(うまく説明できませんけど……なぜか、すごく似ています。二人の先輩のどちらかさえいれば、なにも心配しなくていいし、なにも怖くなくなる)
世家公子たちは、近くにいる別の店の中に隠れ、現れた温寧と宋嵐の戦いに、首を伸ばして釘づけになっていた。二体の凶屍が繰り出す攻撃は苛烈なもので、生きている人間だったらとっくに腕か脚がもげ、脳みそが飛び散っていたほどのものだ。
先ほどの店の中では藍忘機が現れて、暁星塵と戦っている。世家公子たちのいる店には莫玄羽(魏無羨)がやってきて、少年らは一斉に彼を囲む。
「全員無事か?」
「はい!」
その時、四方八方から足音が聞こえてきて、長い通りの両側では大量の人影が動き始めた。藍忘機は袖を振って忘機琴を取り出す。店の卓の上に琴が落ちると、藍忘機は避塵を右手から左手に持ち替え、左手で薛洋と激しい攻防を続けながら、右手で琴をかき鳴らす。
琴から放たれた音は長い通りの果てまで届き、彷屍の頭が爆発する。左右同時に攻撃するさまには悠々たる風格が滲み出ていて、金凌は思わず口走った。
「強い!」
そろそろ夜が明けようとしていた。夜が明ければ、迷霧もまた濃くなっていく。一歩進むのも困難になってしまえば、逃げ出すのも容易ではない。そんな時、例の「カツカツ」「コツコツ」という竹竿で地面をつつく音が聞こえてきた。あの舌をなくした目の見えない少女の幽霊がまた現れたのだ。
「行くぞ! あの竹竿の音についていくんだ」
莫玄羽(魏無羨)は言った。
彼女は皆を町から追い出そうとしていた。つまり助けようとしていたのだ。含光君と戦っているのは暁星塵になりすました薛洋で、その薛洋がきた途端に彼女が姿を消したのだから、その仲間ではない、と。
彼女についていけば、何か罠に落としいけられるかもしれない。だが、ついていかなければ、屍毒の粉を噴き出す彷屍たちに囲まれる。
少年たちは思い切って覚悟を決め、莫玄羽(魏無羨)について地面をつつく音の方へ走った。彼らが動き出すと、音も一緒に動き出し、時折前方の薄い霧の中からおぼろげに小柄な人影が見え隠れする。
このまま離れて大丈夫かと藍景儀が聞き、莫玄羽(魏無羨)は振り返って大声で叫ぶ。
「含光君、ここは任せた。俺たち先に行くから!」
すると、まるで「うん」と答えるかのように、「ベン!」と琴の音が一つ鳴った。「それだけ?」と景儀。
「会話は時間の無駄だ。含光君はすごく頼もしいから、絶対大丈夫だって信じてる。俺はただ自分のできることをやって、あとはあいつが探しに来るのを待つか、俺があいつを探しにいけばいいんだ」
竹竿の音について半柱香足らず歩き、何度も角を曲がった頃、その音は突然前方でぱたっと止まった。
前方の迷霧の中には一軒家。家の扉がひとりでに開き、一行が入ってくるのを待っている。
「ここまで来たんだし、入ろうか」
莫玄羽(魏無羨)は皆にそう言ってたから、足を上げて家屋の中に踏み込む。「敷居に気をつけろ」と言うとおり、そこには寺のように高い敷居があった。
あちこちで明火符を五、六枚ほど燃やすと、部屋の中の様子が明らかになり、そこが義荘だとわかった。引き取り手のない死体、家に置いておくと不吉な死体、これから埋葬される遺体などを置いておく場所だ。
思追が聞く。
「莫先輩、なぜ義荘の敷居はあんなに高く作られているのですか?」
屍変者が外に出るのを防ぐためだ、と莫玄羽(魏無羨)は言う。屍変したばかりのものは四肢が硬直してあまり体を動かせない。歩くことすらできないから、跳んで進むことしかできないが、敷居が高いと跳んでもそれを越えられず外へ出ることは叶わない。
また敷居に躓いて地面に倒れたら、四肢が硬直しているせいですぐには起き上がれず、起き上がった頃には夜が明けて鶏が鳴きだすか、日が昇って義荘の管理人に見つかるかのどちらかだ。
「野暮ったくて子供だましに見えても、低級の屍変者には確かに有効だからな。仙門出身じゃない市井の人がこういう方法を考えついただけでもすごいと思うよ」
金凌は疑問を口にする。
「ところで、さっきの幽霊は俺たちをこの義荘に連れてきてどうするつもりなんだ? まさか、ここなら彷屍に囲まれないとか? そもそも、本人はどこに消えたんだ?」
「おそらく、ここは本当に安全な場所なんだと思う。中に入ってしばらく経つけど、お前ら彷屍の気配を感じたか?」
莫玄羽(魏無羨)が少年たちに問いかけたその時だった。
例の少女の幽霊が、突然ある棺の上にふっと姿を現した。
(以下、◎脇役列伝その1:藍思追(4ー8)へ続く。)