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『月刊OUT』

 「プク太の世界時事ニュース」はYouTubeでよく見ているチャンネルの一つ。10月1日に上げられた「ドラクエ3 HD-2D版検閲問題」に関する番組を見ていたら、堀井雄二さんが出ていて、また古い記憶が蘇ってきた。堀井さんが『月刊OUT』で「ゆう坊のでたとこまかせ(略して”でたまか”)」というコーナーを担当していた頃の記憶だ。
 「初めてパソコンを買い、プログラムを組んでみた」という話が印象に残っている。占いのプログラムで、名前や生年月日などを入力すると「⚪︎月×日生まれの△さんの運勢は云々」と画面に表示されるが、誰がどんな生年月日を入力しても同じ結果しか出てこない、という極めて素朴なプログラムの話だった。「ウィザードリィ」や「ウルティマ」で遊んでいると言っていた記憶もあるが、後に「ドラゴンクエスト」の生みの親となるとは、当時は想像もしていなかった。
 ちなみにその頃、さくまあきらさんも同誌でコラムページを持っており、新幹線(0系)の顔真似とかやっていた。

 『月刊OUT』はサブカルチャー系の雑誌として創刊されたが、次第にアニメ雑誌のようになっていった。アニメ情報誌というより、それに絡んだ企画記事が多く、「ガンダム体操(機動戦士ガンダムのOPに合わせて、体操のような振り付けがなされたもの)」が掲載されていたのはよく覚えている。
 あとは何と言っても、「シャア出世物語」の掲載だ。ガンダムのシャア少佐がその体を武器に(枕営業。受け、攻め、男女まである)ジオン公国内でのし上がっていく、という二次創作作品(むしろこれの方が本作より説得力がある、と思わせるぐらい凄い話だった)で、当時人気の出始めたそれを、誌面で数話そのまま紹介するという企画。おそらくこれが、大量の腐女子を生み出すきっかけとなったのではないかと思っている。
 当時はコミケの第一回、第二回が開催された頃で、各地で小規模の似たようなイベントが開催されていた。「シャア出世物語」を求めて私の友人も参加して購入、これを仲間内で回し読みしたのも懐かしい思い出だ。
 そういえば、当時は二次創作という言葉もなくて(否、あったのかもしれないが一般的ではなかったと思う)、「アニパロ(アニメーションパロディの略)」と呼んでいた気がする。

 読者からの投稿ページもあった。毎月テーマを決めてそれに沿った投稿を募集するもので、私事で恐縮ながら「コンピューターグラフィックス」に関する投稿募集に応募した私の文章が雑誌に載った。当時はパソコンを持っている人すら珍しく、どうやらそういうものがあるらしい、という認識しか持っていないような素人しかいなかったと思う。もちろん私もその中の一人だったが、「コンピュータは計算が得意だから、原画はともかく動画は描けるんじゃないかな」というような内容を書いて送った。
 今はAIがお題に合わせて絵を描いてくれる時代だから、当時の私の記事などお笑い草に過ぎないが、その頃は、これからきっと何か想像もできない凄いことが起こるんだ、という期待感があった。それすら飛び越えた時代になったなあ、と私なんかはしみじみ思う。

 Wikipediaによると「『月刊OUT』(げっかんアウト)は、1977年から1995年にかけて毎月27日に発行されていたみのり書房刊の月刊雑誌。日本初のアニメ雑誌とされる。判型はB5判」とのこと。
 廃刊の頃の記憶は無いので、その少し前には買うのをやめていたのだろう。それでも、私の青春の一頁を飾る面白い雑誌であったのは間違いない。

<追記>
 そういえば、OUTファンのことを「アウシタン」って言ってたの、今思い出した。

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