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◎脇役列伝その1:藍思追(9ー3ー2)
[◎脇役列伝その1:藍思追(9ー3ー1)の続き]
魏無羨に連れられて、乱葬崗の麓の町へやってきた阿苑は、迷子になって彷徨っていた時、藍忘機と出遭う。最初はその冷たく厳しい表情に、驚き怯えて泣き出してしまった阿苑だったが、天秤棒を担ぎおもちゃを売り歩いている行商人の前で、藍忘機から「どれが欲しい?」と聞かれ……。
半炷香後、温苑はようやく泣きやんでいた。しきりと触れている衣嚢には、藍忘機が買ってくれたおもちゃがいっぱいに詰め込まれ、パンパンに膨れている。彼がやっと泣かなくなったのを見て、藍忘機はほっとしたように息をついた。ところが、温苑は小さな顔を赤らめながら黙ってこっそり近づくと、彼の足にひっしと抱きつく。
見下ろすと、足に何かがくっついている。
「……」
言葉もない藍忘機の様子を見て、魏無羨は腹の皮が捩れそうなくらいに笑い転げる。
「ハハハハハッ! 藍湛、おめでとう。気に入られたな! そいつはいつも気に入った相手の脚に抱きつくんだ。もう絶対に離さないぞ」
藍忘機は二歩歩いてみたが、やはり温苑はしっかり彼の足に登ってしがみついたままだ。離れるつもりは欠片もないらしく、思い切りぎゅっと抱きついている。
半炷香……一炷香は焚いた線香一本が燃え尽きるまでの時間。半炷香はその半分で、約十五分。
衣嚢……衣服についている物入れ。ポケット。かくし。
阿苑が何も言えないでいたので、藍忘機は彼の表情を見ながら適当に選んで買い与えたのだろう。
魏無羨は藍忘機を食事に誘い、「昔話でもしようよ。俺がおごるから」と強引に一軒の料理屋へ連れ込む。
温苑は藍忘機の足のそばに座って、懐の中から小さな木の刀、木の剣、粘土でできた人形、草編みの蝶などのおもちゃを取り出すと、ござの上に並べてまじまじと見ている。片時も手放せないほどお気に入りの様子だ。魏無羨は、彼が藍忘機のそばにくっついて寄りかかったりもたれかかったりしているせいで、藍忘機が茶すらまともに飲めずにいるのに気づき、口笛を一つ吹くと声をかけた。
「阿苑、おいで」
温苑は、一昨日自分を大根のように畑の中に植えた魏無羨を見てから、今度は先ほど自分におもちゃをたくさん買ってくれた藍忘機に眼を向ける。尻を上げることはせず、その顔には正直に三文字の言葉が大きく書いてあったーー『いやだ』。
「射日の征戦」が無ければ、阿苑もそれなりに良家の子供で、皆に可愛がられておもちゃもたくさん持っていたかもしれない。
だが彼がおもちゃで遊ぶ年齢になった頃には、岐山の監禁地に入れられていて、とてもおもちゃどころではなかっただろうし、その後は乱葬崗に移り、おそらく飢えずにいるのがやっとという状態。
だから、それは彼にとって初めての「買ってもらった自分だけのおもちゃ」ではなかったか。
魏無羨は阿苑が藍忘機の邪魔をしていることを気にかけて、何とか自分のそばに来させようとするが、藍忘機は「このままで構わない」と言う。
寄りかかってくる子供の体温と重みを感じながら、田舎の素朴なおもちゃを手に大層嬉しそうな阿苑を見て、藍忘機はその子に何を思っていたのだろうか。
流石にその子と長い付き合いになるとは思えなかっただろうが。
藍忘機は阿苑のために、甜羹(穀物などで作った甘い汁物)を注文していたが、彼は遊びに夢中で食べようとしない。
温苑は俯いたまま、草編みの二匹の蝶を両手に持って何やらひそひそと呟いている。左側の蝶に声を当て、「ぼく……きみがすごくすきだ」と恥ずかしそうに言ってみたり、次は右側の蝶に声を当てると、「ぼくもすごくすきだよ!」と楽しそうに言ったりして、一人二役で二匹の蝶を演じ、かなりの時間ご機嫌で遊んでいた。それが聞こえると、魏無羨は脇腹が痛むほど笑い転げた。
「嘘だろう阿苑。その年で誰から習った? 何が『君が好き』、『僕も好き』だ。お前、好きってどういう意味か知ってるのか? ほら、もう遊ぶのはやめてこっちへ来て食べな。お前の新しい父さんがお前のために注文してくれた美味しいやつだぞ」
温苑はようやく小さな蝶たちを懐に収めると、碗と匙を手に持ち、藍忘機のそばに座ったまま甜羹を掬って食べ始めた。温苑はもともと岐山の監禁地にいて、その後は乱葬崗に移ったが、どちらの食事も一言では言い表せないほど粗末な物だった。
それゆえに、その甜羹は彼にとって目新しい上にとても美味しく感じられ、二口食べたらもう止まらなくなった。しかし、それでも温苑はわざわざ碗を魏無羨の方に向け、宝を献上でもするみたいに差し出す。
「……羨にいちゃん……にいちゃんもたべて」
魏無羨は満足げな表情を浮かべる。
「うん、偉いぞ。良い心がけじゃないか」
「食うに語らず」
藍忘機は一言告げてから、温苑にも理解できるように、わかりやすい言葉でもう一度言った。
「物を食べている時は話さない」
温苑は慌てて頷くと、甜羹を食べることに専念し、ぴたりとお喋りをやめる。その様子を見て、魏無羨は次々と不満を漏らした。
「どういうことだよ。俺の言うことなんて、何回も言ってやっと聞いてくれるくらいだっていうのに、お前の言うことには一回ですぐ従うなんて。どう考えてもあり得ない」
「食うに語らず。君もだ」
藍忘機は淡々と注意する。
中国語の一人称は基本的に(スラングや古語になると別の言い方もあるらしいが)「我[wǒ](わたし)」、二人称は「你[nǐ](あなた)」だけだ。これを「ぼく」「きみ」と訳した翻訳家の仕事が素晴らしい。
阿苑が甜羹を魏無羨に差し出すのは、おそらく周りの大人たちがそうやって食べ物を分け合っていたからだろう。
甜羹を食べ終わった阿苑はござに座り、また草編みの蝶で遊び始めるが、二匹の蝶の長い触覚が絡まってしまい、なかなか解けない。焦っているのを見て、藍忘機は蝶を彼の手の中から取ると、絡み合っていた四本の触覚をさっと解いて彼に返す。
また、懐から真っ白な手ぬぐいを一枚取り出して、阿苑の口元についていた甜羹を拭く。
藍忘機は何も言わず、無表情のままだが、その優しさは阿苑にも伝わったはずだ。
突然、瞬時に魏無羨の表情が一変し、懐から一枚の呪符を取り出すと、その呪符はあっという間にぼうぼうと燃え始める。乱葬崗で何か異変が起きた時に、自ら燃え上がって彼に知らせる警報の呪符だ。藍忘機の目つきも険しくなり、魏無羨は素早く阿苑を抱き上げて小脇に抱え、藍忘機に謝った。
「失礼する。藍湛、悪いけど先に帰るな!」
抱えられた弾みで懐から何かを落としてしまった阿苑は、「ちょう……ちょうちょ!」と訴えたが、魏無羨は支払いもせず料理屋を飛び出したあとだった。だがほどなくして藍忘機が追ってきて、魏無羨と肩を並べて走りながら、先ほど落としたあの蝶を阿苑の手に持たせる。
御剣しない魏無羨が「剣を忘れてきた!」と言うので、藍忘機は魏無羨の腰に手を回して、一緒に避塵に乗せ、空中へ飛び上がった。
阿苑は剣に乗るのは初めてで、怯えて当然のはずだが、避塵は非常に安定して飛んでおり、全く揺れを感じない。その上、町の通行人たちが皆、この唐突に飛び上がった三人の姿に大いに驚き、こちらを見上げて見物しているので、阿苑は珍しさに興奮して楽しそうに大声をあげてはしゃいだ。
[◎脇役列伝その1:藍思追(9ー3ー3)へ続く]
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