☆53 鬼の巣穴
これぞ「鬼の巣穴」という感じの青鬼戚容[あおおにチーロン]の洞窟。暗くて、湿っぽくて、食べられる予定の人間が捕えられていて、角と牙があり鉈のような刀を手に持つ「いかにも鬼です」といった感じの魔物が大勢うろついている。頭に蝋燭を刺しているのだけは奇妙だけれど。
謝憐と花城はここに潜り込んだ、手下の鬼に化けて。
一瞬で姿を変える花城の手際が見事だ。直前まで謝憐は若邪を動かして、鬼の群れに対抗しようと考えていたのに、次の瞬間にはなんの気配もなく、鬼たちと同じ姿になっている。
頭の上の蝋燭を触ってみようとする謝憐が面白い。
「青鬼の洞窟は君が消し去ったはずでは?」「そうだよ。本人は逃げたけどね。五十年かけて、ここにまた巣を作った」
戚容に「挨拶」した時に血雨探花の異名ももらったはずなので、花城が血雨探花と呼ばれるようになったのは、ここ五十年の間ということか。否々、もっと前から何度も根城を滅ぼしてきたのだろう。それだけ何度も戚容に会いに行っていた。その理由は、戚容と謝憐の関係を見れば想像がつく。根城だけ壊して、毎度戚容は逃がしていただろう理由も。
縄で繋がれてどこかへ連れて行かれる人間たち。中に一人子供がいる。この子は「谷子[グーズー]」という名前で、後に何度も登場する。可愛くて女の子みたいだが、男の子だ。
メソメソと泣きながら歩く人間たち。鬼たちはこれを急かす。中国語で「急げ」は「快走」。「もたもたすんな」「早くしろ」は「快走」「快走」になり、日本語とのイメージのギャップに少し笑ってしまう。二つの言葉は似ているようで、微妙に違っている。
またも姿を変えて、引き立てられる者たちの後ろに着く花城と謝憐。彼らに比べて二人は身なりが良さげだが、気づかれないのは鬼たちの頭に蝋が詰まっているせいか。
花城の手をとり、その手のひらに文字を書く謝憐。書いたのは「救」の字だろう。触れられてハッとする花城も好いが、指を折ってその字を握る顔は「もう一生洗わないでおこう」とでも言いたげだ。
少し歩くと、今度は花城が謝憐の手に字を書き、頭上に注意を促す。逆さ死体吊るしの森だ。しかも干からびて塩漬けになっている。それに触れてしまった男は、顔についた物(塩)を舐め、上を見て恐れ慄く。何故舐めてみようなどと思ったのだろう。普段から何でも舐めて確かめる癖のある男なのだろうか。そうなら長生きできそうにない。
花城は一瞬でこれを焼き払う。弔いのようだ。
たどり着いた場所は、宮殿のような装飾のある広間だった。傍にはぐつぐつと煮えたった巨大な鍋がある。これから起こることを想像して、人間たちは逃げ出そうとするが、鬼たちはこれを許さない。
と。隣にいる花城の様子がおかしいことに謝憐は気づく。怒りに満ちた目で前方を睨んでおり、視線を辿って謝憐はそこにある物を見、凍りつく。
この場面、少し長いが日本語版原作小説から、謝憐の見た物について書かれた文章を引用しよう。
一見すると人間のようだが、改めてよく見れば等身大の石像だということがわかる。この石像はずいぶんと奇妙で、こちらに背を向けて膝をつき、力なく項垂れている姿は「喪家の狗[そうかのいぬ:見る影もなくやつれて元気のない人のたとえ]」という言葉を体現したもののように見える。こんな石像を彫った目的はただ一つ、言うまでもなくその相手を辱めるためだろう。
そしてこの石像を正面から見なくても、きっと自分にそっくりな顔をしているだろうと謝憐にはわかった。
理屈で言えば、人は自分の後ろ姿がどんなふうなのかわからないはずなのだが、謝憐は違う。自分の後ろ姿をこれ以上ないというほど知っていた。
仙楽国の滅亡後、人々は鬱憤を晴らすために八千もの太子殿を焼き払い、すべての太子像を引き倒しては剣の柄についた宝石を盗み、衣服から黄金を剥ぎ取った。ところが、それでも気が治まらず、次第に新しい憂さ晴らしを考え出した。それが、こうして地面に跪く石像をわざわざ彫るということだった。
以前は自分たちが高々と祭り上げていた太子殿下を跪いて懺悔する姿勢の像にして、人通りの多い場所に据え、通りすがりにこの間抜けな姿の像に唾を吐いたり叩いたりすれば悪運を取り除けるなどと吹聴したのだ。さらに歯止めはかからず、直接地面に叩頭する姿の像を造り、敷居の代わりに何千何万もの人々に踏ませた。仙楽国が滅亡したあとの二十年あまり、多くの町や村でそういった石像を見かけたのだから、跪いた自分の後ろ姿を謝憐が知らないはずがない。
花城が怒りを露わにし、謝憐が遠い記憶に凍りついた理由がよくわかるだろう。八百年以上も前の出来事だから、本来ならこの石像も壊れて無くなっているはずだ。だがここにそれがあるということは、誰かが懲りもせずにまた新たにそれを造ったということなのだ。
そこに誰かの声が聞こえてくる。謝憐は聞き覚えのあるその声に首を傾げる。
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