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★中国人と賭け事
(画像はアニメ『天官賜福』二期第一話より、鬼市の賭場)
花城の支配する鬼市の賭場。ここでは様々なモノが賭け事に興じている。
中国人の賭博(ギャンブル)好きは有名らしい。そのことを記した文章があるので紹介しよう。戦前のシナ通・井上紅梅の言葉から。
船に乗るとわかるが、支那人は決して日本人のよう睡ることはない。暇さえあれば賭博をしている。暑さ寒さ、祝儀不祝儀、痛さ痒さ、喜怒哀楽等の避くべからざるショックをみな賭博でまぎらわしている。賭博は真に飯よりも命よりも大事である。
賭博はどの民族においても、大抵、もとは神の意思を問う神事であったらしい。そのため中国では、平日には禁止されているが、祭などのハレの日には解禁される、と。
アニメ二期一話でも、「また鬼市が開かれるなんて嬉しいねぇ」という会話が出てくるので、あの賭場も常に開かれているわけではないことがわかる。流石に神事は関係ないだろうが。
鬼市の賭場で行われていたのは賽子賭博だった。「丁半」つまり賽子二個の合計数が偶数か奇数かで勝ち負けが決まるものと、「大小」つまり賽子二個を振って出した目の合計数がより大きい(あるいはより小さい)者が勝つという二種類が紹介されていたが、台座にいろいろな文字や絵柄があったので、もしかすると他の賭事もあるのかもしれない。
賽子の発明は中国の賭博における大事件だったようで、特に唐代に正六面体の賽子に定型化されたことを、『中国賭博史』という本の中では「第一次革命」と呼ばれているとか。
この統一定型化した賽子ができたことで、賽子賭博の主役あるいは他の賭博の脇役として、なくてはならない必須の賭具となった、と。
たとえば「除紅譜」というゲームでは、四つの賽子を振って、あらかじめ決められている特別な組み合わせが出ると、それにより「勝ち」「負け」が決まるらしい。(「除紅· Chú Hóng」という遊び方を書いたネットのページがあるので、よければ。但し、元は中国語のページなので、翻訳ができないとわからないかもしれない。)
鬼市の賽子は「6」が赤く塗られていたけれど、ここでは「1」と「4」が赤くなっていて、それがいくつ出るかで「特別な組み合わせ」というのが決まっているようだ。
ネットで「中国 サイコロ」で検索すると、現在の賽子を使ったゲーム、コンパのノリで「負けたら一杯飲む」的なものがたくさん紹介されている。中国で「お付き合い」をするには、こんなゲームに参加しなければいけない場面もちょくちょくあるのかもしれない。
さて。中国の賭事というと、私は真っ先にマージャンを思い浮かべるのだが、これに関して面白い話があるので紹介しよう。「賭鬼迷人(賭博好き幽霊、人を迷わす)」という話だ。
寧波(浙江省)呂威卿というマージャン(麻鵠)好きの男は、今年の夏に劉という親友を亡くして、落ち込んでいた。先日の夕暮れ時、彼は居酒屋でしこたま酒を飲み、酔っ払って居酒屋の門を出ると、ニコニコ顔の龍に出会う。呂は劉が死んだのをすっかり忘れていたので、劉の家に招かれて家に入った。家には先客がすでにおり、劉はすぐにマージャン牌(麻鵠牌)を出してきて、先客と一緒にゲームを始めることになる。その日は、呂はついており大勝ちして、洋銀貨数十枚を儲けた。まもなくニワトリが鳴き出したので一眠りしたが、寒気がしたので起きると、そこは劉の柩の仮安置所だった。急いで勝った銀貨を取り出すと、みな紙銭だった。
これは清の時代の話なので、「洋銀貨」が巷にも出回っていたのではないかと思う。亡くなった親友とまた遊べて、この男は楽しかったのだろうか。死んだ後にまでからかわれて、ちょっと悔しかったりしたのだろうか。
話は賭事から離れるが。
冒頭に書いたように、鬼市には様々な格好をしたモノたちがうろついている。中国の祭でも、いろいろな格好をした参拝客がいたようだ。
日本では見られないだろうものとしては、枷や鎖をつけて罪人の格好をした者たちがいたらしい。罪人の格好をすることで、神や仏に懺悔し、少しでも罪を軽くしてもらおうという狙いなのだとか。
今日紹介した話は、『中国社会・遊戯図譜』という本に載っているものだが、絵がたくさんあって様子がよくわかるので面白い。
私事になるが、この中の「棋癖(囲碁に夢中になり娘の嫁入り支度を忘れる)」という項目を見ていて、四十年くらい前の出来事を思い出した。
最初の旦那との嫁ぎ先で、九十を超えた祖父さんが亡くなった時の話。
姑は病院で危篤状態の祖父さんにつきっきり、私は嫁ぎ先の家で家事の手伝いをしていたのだが、いざ「亡くなりました」となった時に、舅にも旦那にもなかなか連絡がつかなかった。
もう危ないということはわかっていたはずなのに、どちらもどこへ行ったのか全くわからない状態になっていたのだ。
小一時間くらいが過ぎ、ようやく双方に連絡できた時、舅は碁会所に、旦那は雀荘にいることがわかった。似たもの親子で、もはや怒る気にもなれなかったことを覚えている。
賭事にはつくづく夢中になり過ぎないように。
<参考>
『中国社会・遊戯図譜』
著者:相田洋 発行:中国書店 発売:集広舎 2024年
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