生きてるうちにアーティスト転生 ~ライアー奏者編 前編~
アートなんかで食べていけない! 芸術なんて腹の足しにならない!
非常事態が起きれば真っ先に目の敵にされるモノなのだから。
でも、簡単に諦めがつかないほどアートの世界は魅力的。
つまらないけど腹の足しにはなる日常を人生とするか、可能性が未知数でもアートの世界に飛び込んでみるか。
葛藤は尽きません。
それならば、まず、一線を越えて表現の世界に飛び込んだ先輩方の話を聞いてみませんか。
その決断をした人は現に存在するのです。
その軌跡をたどってみましょう。
ライアー奏者 三野友子さん
「押し込めてきた表現したい気持ち。それがライアーという道具を通じて解放されたのでしょう」
やさしい笑顔の穏やかな演奏家さんと思いきや、それだけではないようです。日本中、小さな喫茶店から千人規模のホール、果ては日本を飛び出して中国での演奏活動やワークショップなどを精力的にこなされているパワフルなライアー奏者、三野友子さん。日本でライアーという楽器の知名度がぐんと高まったのは映画「千と千尋の神隠し」のテーマ曲としてライアーが使われた頃でしょうか。あのやさしい音色に興味を持たれた方も多かったのではないかと思います。その数年前に三野さんはライアーにまるで引き寄せられるかのように出会って今年で25年だそうです。
しかし、三野さんは音大に通ったわけでもなく、楽器といえば子供のころにエレクトーンを少し習ったきり。そんな三野さんはいったいどんな経緯で現在の活躍があるのでしょう。
三野「大学を出て会社で働くこともなく結婚して主婦をしていたのですが、夫の仕事の都合でドイツに8年半滞在をしました。そのときに子供の通う幼稚園でたまたまライアーという楽器に触れる機会があって。それでいわゆる『ハマっちゃった』んですよね」
ーハマるきっかけがあったのですか?
三野「私、山あり谷ありの人生でしたので(苦笑)そのときは切実に心の支えになるものが必要でした。その支えになってくれたものがライアーです。でも今思い返すと、本当に必死だったのでしょうね。片道80キロをアウトバーンをすっとばして月に何度もライアーの先生のところに通っていたくらいに! それくらいライアーという楽器を必要としていたのだと思います」
ーひとくちに「ハマる」といっても、演奏家になるレベルまでのめりこむって並大抵のことではないですよね。
三野「そうですね。私自身、表現をしたいという思いが小さいころからあって。でもそれが環境やいろいろなことで叶わなくてずーっとその想いを押し込めてきたのだと思います。それがライアーというツールを見つけて一気に放出されたというか。ちょうど魂が渇望していたところにギフトがきたのです! ドイツから帰国してすぐに、友達が『ライアーが弾けるのならちょっとクリスマスのホームパーティで弾いてみて~』なんて言ってくれたのも軽い気持ちでOKして、自分で手作りのプログラムなんて作っていきましたよ。それで友達たちが喜んでくれたってことが心の底から嬉しかったし楽しかった。緊張したけど、こういうことって嫌いじゃないかもって。そこが人前で表現することのはじまりかなと思います」
ー友達にパーティで弾いてって言われるシチュエーションとかって結構尻込みしちゃいそうな場面に思えるのですけど。
三野「ええ?! やりたいと思うことと、やることの間に段差なんてないかもしれませんよ。確かに、自分の場合だと『できるかな?』の前に『表現してみたい』って思いのほうが強かったというのもありますけれど。やりたいと思ったらそのままやってもかまわないのではないでしょうか。それで違うなと思えばやめたらいいし、続かないなと思ったらそこでもう一度『これは心からやりたかったことなのか、何をゴールにしてやっているのか』って自分に質問してみればいいのではないかと思います。『人に褒められることとか認められるためにやってるんじゃないか?』ということもあわせて自分に聞くのもいいのかもしれませんね。やってみてから立ち止まって、自分に聞いてみても大丈夫ですから」
ーでも自分の趣味から一歩踏み出して人前でとなると緊張されませんか?
三野「緊張、、、もちろんしますよ!! でも1回目とか2回目とかで緊張するのは、むしろあたりまえじゃないかと思うんです。それが100回200回と続けてもまだ最初と変わらないようなら、なにか別の問題を考えてもいいかもしれませんが。それから緊張することに対する罪悪感て、別に持たなくてもいいんじゃないかとも思うんですよね。場数を重ねていくうちに、こういう準備をしておけばいいんだなと学ぶことはたくさんありますし。私も初めの頃、大きなホールでやるとなった時に、いつもより大きなスタジオを借りて、本番で着るドレスをきて入場・退場、MCにいたるまですべて台本を書いて一通りやるなんてこともしました。できる限り準備して、緊張して挙動不審になりながらもこなす。もちろん手は震え、足は震え、声はうわずる状態です(笑)私の場合、それの繰り返しですね。でも表現したい気持ちは大きくて、年間に50~60回ステージに立っていた年も何年もありますよ。でもそんなこと言いながらも『お客さんの顔や反応を見てしっかりそれに対応しながらできるようにちょっとはなったかな』なんて思えるのはここ数年なんですけどね(笑)」
過去を振り返る表情の中で時々ふわっと微笑まれたり、緊張されたというシーンは身振り手振りを交えてコミカルに伝えてくださる三野さん。思わずこちらもお話に引き込まれてしまいます。
さて、ここまで三野さんがライアーに出会い、その魅力にどっぷり浸かり、どのように表現の場に飛び出していったのかを伺ってきました。
後編では、どのようにプロとして活動されるようになったかをお聞きしていきたいと思います。
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ライアー奏者三野友子さんのホームページ
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