勝ち組が負け組になっていた話
未来を考えるために 第七回
今回は、技量や適性がないのを承知で
昔話風にやってみます。こう語るしか
できなそうな内容だったので…。
むかしむかし、あるヒトの集団が、山で
暮らしていました。その集団は、木の実を
採ったり、獣を狩ったりして暮らして
いました。彼らのナワバリは獲物が豊富で、
集団は充分暮らしていかれました。
ナワバリでの暮らしは上限の人数が
決まっています。ナワバリ内の移動に
ついて行けない者達を見捨てたり、後継者
競争から脱落した若い男が出て行ったり
して、人数は保たれていました。
時が流れて。
ナワバリ内の人数調整で出て行った者の
中に、新たなナワバリを持てた者が出て、
集団の子孫は、細胞分裂するように群れを
増やし、広がっていきました。もちろん、
その影では、ナワバリを持てなかったり、
ナワバリに属せなかったりして死んで
しまった者たちもたくさんいます。
しかし、全体で見れば、集団が拡大した
ということです。山だけでなく平地の森林や
草原へも広がり、草原では獲物を飼うように
して暮らす者たちもあらわれました。
けれど、人数調整で追放者を出して分散
していくナワバリ暮らしは変わりません。
それでナワバリ内の生活は保たれ、
全体としてもは拡大に成功し続けているの
ですから、そのことに疑問を持つ者など
いませんし、いたとしてもナワバリ内では
不適格者とされて追放されてしまいます。
追放された者たちは、彼らの生活に最も
不向きな低湿地くらいしか、行くところが
なくなってきました。
また時が流れて。
集団の子孫たちは縮小し出しました。
これまでの暮らし方や分散のしかたで
拡大できる限界を超えたのです。外部に
分散に適した土地が少なくなった上、
内部でも古くからいた場所ほど、食料や
燃料などの資源不足が起こりやすくなり、
今までどおりの生活に適さない場所が
増えてきました。
代わりに、低湿地へと追放された者たちが
増え始めました。彼らは獲物が少なく、
飼えもしない土地で、植物を育てて収穫する
暮らしを身につけたのです。
このことは、彼らの価値観に、大きな
影響を及ぼしました。これまでは狩猟に
関する能力が価値の中心でしたが、彼らの
暮らしでは、それは、それほど重要とは
限りません。もともとが追放された者たち
ですから、それらの能力が高くない者ばかり
でしたし、そういう前提で集団が形成された
からです。その暮らしの中では、腕力や
技量といった、特定の者の特定の能力に
頼るのではなく、体力、技術、頭脳、
社会性など、多様な人々の多様な能力が
必要とされ、ナワバリ暮らしよりも規模の
大きな集団を形成しました。
さらに時が流れて。
追放された者たちの子孫が繁栄するように
なりました。安定した食料源を持ち、大きな
集団を形成する彼らが優位となったのです。
元の集団の暮らしを続ける人々は、耕作に
適さない山や森に点在するくらいになって
しまいました。
追放された者たちの子孫は、知識や技術の
伝承をし、その中で元の集団の人々は異人、
鬼、妖怪などとされ、討伐の物語が生まれ
ました。
また、少しずつそれぞれの交流が生まれ
ました。元の集団の人々の子孫は、その
特性を活かして職人や運送業者になったり
しました。もっとも、社会も歴史も彼らと
立ち位置の違う者たちの視点ですから、
彼らは差別されていましたが。
その他にも、狩猟能力を活かして武士と
呼ばれるようになった者もいたこと
でしょう。
こうして、元の集団の人々は、同化して
いなくなったのでしょうか?
そんなことはありません。
これはこれで、お互いにあぶれた者を
お互いの集団へ追放することで、結果的に
バランスが取れていたのです。だから
戦乱の世が終わっても、流れ者、山などで
暮らす者はいなくなっていません。
そうした者たちがいなくなっていったのは
もう少しあと。
土地や戸籍の管理が厳しくなり、さらに、
里のあぶれ者たちを、国が兵士として
引き受けるようになってからのことです。
(おしまい)
以上、神話、物語、歴史とその成り立ち、
歴史以前の縄文人と弥生人(どちらも同じ
ホモ・サピエンスなんですけどね)、
そしてヒトの持つ習慣への依存性
(現状維持バイアス)と、それに相反する
分散性(DV、反抗期、追放の物語)……
そういったものを組み合わせたら、
だいたいこんなところに落ち着くような
気がしますよ、というお話でした。
主な参考文献
高野秀行, 清水克行著
『辺境の怪書、歴史の驚書、
ハードボイルド読書合戦』
(集英社インターナショナル 2018)
次回は、
「都市と楽とシーシュポスの岩」
とでも題して都市論をやろうと思います。