書評/『掏摸(スリ)』・『王国』 中村文則

書評/『掏摸(スリ)』・『王国』中村文則

 二作同時に書評を書くことにしたのは、『掏摸(スリ)』があまりに刺さりすぎてしまい、ほとんど間を開けずに兄妹篇である『王国』を買って、それもまたすぐに読み終えてしまったからだ。

 『掏摸(スリ)』は2010年に大江健三郎賞を受賞し、各国で翻訳もされて作者の世界的な知名度へとつながった出世作でもある。今まで、どうして自分がこの小説に触れることがなかったのかと、驚かざるをえない作品だった。

「自分が人混みに消えて通り抜ける時、特殊な感じがある。……時間には、濃淡があるだろ?ギャンブルとか、まあ投資詐欺が成立する緊張もそうだよ。……法を越える瞬間、ヤクザの女とか、やったらやばい女と寝る瞬間とかさ……、意識が活性化されて、染み込んでくるし、たまらなくなる。そういう濃厚な時間は、その人間に再現を求めるんだ。もう一つの人格を持ったみたいに。またあの感覚を、またあの感覚をって、自分に要求してくる……」(p27)

 このセリフ自体は、主人公の「スリ仲間」とでもいうべき人物のものだ。「時間の濃淡」とあるが、まさにこの小説は主人公が経験する、エキサイティングで「濃厚な時間」を100パーセント伝えてくれる作品だといえる。

 有体にいえば「犯罪小説」のジャンルに入るだろう。しかし主人公が行なうスリはもはや善悪の区別を超えて〈身体化〉され、生活の一部へと変貌している。主人公にとって「スリ」は自分の欲求と分かちがたく結びつき、果てには自己の存在価値にも絡むほどの行為になっている。

主人公が持つその欲求に触れながら、私は大江健三郎の『性的人間』を想起したが、中村文則の文体は聡明で乾いていながらも、時折「艶」を見せる。巧拙のレベルを超えた魅力がある、現代作家の中でも特別な一人だと感じた。


「お前の運命は、俺が握っていたのか。それとも、俺に握られることが、お前の運命だったのか。……だがそれは元々、同じことだとは思わんか」(p172)

 『王国』は『掏摸』の兄妹作でありながらも、今度は孤児院出身の女が主人公となる。共通しているのは、「木崎」という社会の裏で躍動する人物に主人公が抵抗する、という構図である。上のセリフはその「木崎」が発するものであり、言葉の一端だけでも彼の特異な人間性が窺えるだろう。

しかし『掏摸(スリ)』で興奮しすぎてしまったせいか、『王国』は幾分見劣りがした。風俗嬢になりすましてターゲットの弱みを握る、という主人公の姿とそのストーリーに、ほんの少しだけリアリティが足りなかったように思う。また、女性主人公の視点と作者の文体が噛み合っていないようにも思われた。

ただ、私が『掏摸』に刺激を受けすぎたことも問題だろう。禍々しい「木崎」の人物像は、『王国』でも十分に映えていた。半分エンタメという気概で読んだほうが、肌になじむ作品かもしれない。


個人的な趣味だが、私は「あざやかな黒」を見せてくれる小説が好みだ。例えば村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』や中上健次の『枯木灘』など、どす黒い欲求が満ちていながらも鮮やかな文体で描かれている小説。『掏摸(スリ)』は、かなりその趣味に近い作品だった。

とはいえ、普遍的に「刺さる」作品であることには間違いない。中高生の時に出会っていたら、と少し悔しいような気持ちにもなったが、その頃に読んでいれば「スリ」に憧れてしまっていたかもしれない。

それほど強い魅力を備えた作品だということだ。



装画もお揃いで可愛らしい。

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