ナニカの日記/エッセイ
私が小学生だった頃。帰り道には密かな楽しみがあった。
商店街を抜ける途中にお寿司屋さんがあった。その店には道路に面して大きな水槽があって、私はその魚をひとしきり見てから帰っていた。
今思えばなんてことない普通の水槽だったが、当時の感性ではそれが小さな水族館のように見えた。
市の掲示板くらいの大きさもある水槽を所狭しと泳ぐ魚たち。銀色や青色や黄色や赤色が、止まって動いて、止まって動いてを繰り返す。子供心にその魚たちに目を奪われた。
小学校を卒業し、商店街とは反対方向の中学校に進学した私は帰り道にその水槽をお目にかけることはなくなった。部活が始まり、勉強も忙しくなり、不思議なことにあれだけ目を奪われた水槽のことも1年生の夏になる頃にはすっかり忘れてしまった。
そんな薄情な私が水槽の撤去を知ったのは、その寿司屋が閉店してから2年経った頃だった。
好きな漫画の最新刊が駅前の本屋になかったので、諦めきれず商店街の本屋に向かった時のことだ。
寿司屋の水槽に水が入っていないことに気がつき、ドキッとした。水槽の張り紙が見えるのに数秒かかった。
「いつもおサカナをみてくれたこどもたちへ。ごめんなさい。おすしやさんをやめるので、おサカナにはおうちにかえってもらいました。」
そんな文章の下には、約2年前の日付を付してあった。
こどもたち…と書いてあるので私以外にも水槽を好んでいた者がいたのだろう。その子達にわざわざ謝るようなことはしなくても良いはずだ。
高校生の頃の私は変に捻くれていた。太宰治の人間失格だとか、闇金ウシジマくんだとか、ダークな匂いのする作品を読みふけて打算のない行動を素直に認めることがなかった。
そんな私でも、この張り紙から店主の誠実さを伺えた。
あんまり書くと住んでる場所がバレるので、ふわふわとさせておくが、私の住んでいる地域には「やさしいゾーン」なる場所がある。
地域の老人の荷物を持ったあげたり、妊婦さんに席を譲ってあげたりしようという運動だ。
わかりやすさがあって、実際に近所の小学生が爺さんの荷物を持ってあげたりしていた。いいことだと思う。
だが、その場所を離れればそんな気遣いはまず起こらない。もっと言えば、その場所で優しくされているのは掲示板で告示されている妊婦さんとか老人だけで、骨折している若い男はなんの施しも受けられなかった。
私が何もされなかったことに恨み節を書いているのではなく、こういう善意はやれと言われてやるようなことではないと思う。
やさしいゾーンだから優しくしなきゃいけない訳ではない。そこから外れた場所でもヘルプが必要な人には手を貸してあげるべきだと思う。
松葉杖に引っ掛けたエコバッグの紐が、今日、切れてしまった。刺身のサクが入ったトレーが飛び出した。
無理な姿勢で屈んでいる横を、青いランドセルを背負った子が通り過ぎていった。