不登校だった時の話
私が不登校だった時の話です。
通えなくなったのは、中学3年生の時でした。
当時のことはあまり覚えていません。
何故通えなくなったのか、自分の中でもはっきりとした理由はないのです。
今回はまあ、それについて考えてみます。
確かに、部活ではいざこざがあったり(無視されたり輪に入れないなど)しましたが、
嫌になるほどでは無いし、クラスでも仲良い人はいたし、特にいじめられているわけでもありませんでした。
なんか、行けなくなった。
これは今になって思ったことですが、
私はその学校と合わなかったんだと思います。
中学受験をして入ったその学校は、地元では「お嬢様学校」と呼ばれる学校でした。
お嬢様学校と言われるわけですから、女子校です。
その学校のスローガンは、まあ、「清く美しい女性を育てる」みたいな感じで、校則もかなり厳しかった記憶があります。
・授業中に髪を縛り直していたら怒られる
・靴は革靴じゃないとダメ、他の素材は注意される
・スカートは必ず膝下
・リュックもカバンも髪ゴムも靴も全て必ず黒
・スマホ類は朝礼の際に先生が回収し、下校時間にならないと返して貰えない
などなど、まだまだ出てきます。
通えなくなった理由として、
小学校の頃海外に住んでおり、現地の小学校に通っていた経験があり、海外の学校では許されることが日本の学校では許されないことに疑問を感じた
ことが挙げられます。
海外をよく知る方(私はカナダの方に住んでいましたが)はご存知だと思いますが、
学校でお菓子を食べてOK、ぬいぐるみを持ってきてもOK、トランプを持ってきてもOK、かなり自由でした。
その環境を知ってしまって、日本の学校がとても閉塞的に思えてしまったのです。
その後は通信制に転校しています
(通信制に行った話はまた別記しますね)
海外に住んでいた経験があるからこそ、
その学校が周りと比べると異常だったことが分かりますが、
普通の人だったら、それが「当たり前」として確立されてしまい、気がつくことさえ出来ないと思います。
まあ、入学して最初の方はそれなりに楽しかったですし、今も中学時代の友達とは繋がっていて、たまに遊んだりしています。
でも、多様性多様性言われている時代に、ああいった校則を今も続けるのはどうなんですかねぇ。
軍隊じゃないんだし、「女は家で家事をするものだ」みたいな、亭主関白ではないですが、女は淑やかに家庭を築くべきだ!みたいな感じがして嫌でした。
私はもっと派手に生きたいです。
髪も染めたいし、好きなお洋服着たいし、
好きな髪型にしたいし、寄り道もしたい。
私みたいな自由奔放な人間は、由緒ある昔からの女子校には耐えられなかったわけです。
まあでも不登校でも、人生どうにかなるもんですね。
ちなみに、大学通っている今はめちゃくちゃ楽しいです。
「めちゃくちゃ」。
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