中国歴史旅「敦煌と太白山」①はじめに

画像1 歴史探検隊中国歴史旅「敦煌と太白山」 はじめに 平成30年10月15日から23に実施した5回目の中国歴史旅は「中国敦煌莫高窟と宝鶏市太白山歴史旅」としましたが、サブタイトルにした「周原出土文物展開催三十周年記念」は、岐阜市制百周年記念に岐阜市歴史博物館で開催した「周王朝・豊かなる遺宝ー中国陝西省宝鶏市周原文物展」からちょうど三〇年を迎えた年ということでつけさせていただきました。  「中国陝西省宝鶏市周原文物展」は、岐阜市制百周年記念イベントの一つとして昭和六三年七月から八月末日まで開催されました。
画像2 特別展示室前で開催された開場式では、当時の宝鶏市の李 均市長と岐阜市の蒔田 浩市長がテープカットに臨んでいました。  向かって左端には岐阜新聞社杉山社長の姿がみえますが、特別展の開催には岐阜新聞社の大きな協力のもとに実現することができたことを忘れることはできません。
画像3 貴重な青銅器が日本に運ばれたのは六月の下旬。陝西省宝鶏市から陸路を延々と三日かけてトラックに乗せられて上海博物館に輸送されました。そこで点検後に空路で当時の大阪国際空港に運ばれ、日本通運の美術品専用車に乗せられ名神高速道路を走り岐阜市歴史博物館特別展示室に到着しました。通常は空港に到着した時点で税関の検査を受けるのですが、展示品の中には日本の国宝に相当する一級文物を一〇点ほど含んでいることもあり、盗難とか破損を避けるために、到着と同時に陸路を岐阜市に運び、通関手続きは岐阜市歴史博物館でおこないました。
画像4 二ヶ月間の展示会は八月末に終了しました。入場者も4万人を突破し、開館記念特別展「近世大名の生活と美展」を超えることができました。  十月に入ると、当時の高木 直助役を団長とし、展示会開催の御礼を述べるための岐阜市答礼団が組織されました。私も五名の団員の一人として答礼団に加わり、初めて宝鶏市を訪問することになりました。  十月十三日に大阪空港から上海虹橋空港に向かい、鉄路で浙江省杭州市に向かいました。十四日に杭州市関係者に蒔田岐阜市長の親書を渡し、翌日空路で西安に向かいました。
画像5 十六日早朝からマイクロバスに乗り、三時間後に修復の始まったばかりの法門寺を訪問しました。法門寺は唐の則天武后も帰依したという名刹の一つでした。ところが、三年前の豪雨により崩壊した十三重真身宝塔の地下から宮殿が発見され、唐代の仏舎利や香炉など貴重な宝物が多数発見されました。  宝塔は私たちが訪問する直前に修復が完成したばかりでしたが、新築なった博物館の館長には任周方さんが就任していました。周辺には酒店や土産物屋の整備が始まっていました。
画像6 二十年後の平成十九年に二度目の訪問したときには一大観光地として巨大な新本堂も完成し大賑わいをしていました
画像7 岐阜市歴史探検隊として5回目の中国歴史旅のはじまりです。平成30年10月15日先手レア空港から上海浦東空港に到着し、乗り換えで西安咸陽国際空港にむかいました。
画像8 5回目の中国歴史旅は敦煌莫高窟の見学と太白山見学がテーマでした。10月18日に敦煌莫高窟の見学をしました。
画像9 太白さんは10月22日、帰国する前日に見学することができました。岐阜市歴史探検隊中国歴史旅の記録を順次お届けしますのでお読みください。

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