歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑦ 「敦煌月牙泉に感動」

画像1 歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑦ 「敦煌月牙泉に感動」記録者:山本甚吉隊員 シルクロード三日目 嘉峪関から目指すはシルクロードの東西の交差点に位置するオアシス都市国家敦煌です。マルコポーロはラクダの背に乗って、探検隊は八時に観光バスで出立しました。最初の見学地は嘉峪関城の近くにある明代西端といわれている「懸壁長城」です。頂上の砦への道のりはポンチ絵のとおりです。入り口で説明を聞き、頂上を目指します。階段は約五〇〇段、急な箇所の勾配は四五度ありました。
画像2 さあ、登ろう。私は元気よく先頭になって頂上の砦を目指しました。でも下の段の砦を目の前にして急に体調が重苦しくなり先頭をゆずりました。砦にたどりついて石段に腰を下ろして水分補給。しばらくして頂上の砦に上った隊員が手を振って呼んでいます。「よし」と気合いを入れて十数歩歩きましたが、思うように足が動きませんでした。ここは残念でしたが、身体の安全が第一と考えて引き返すことにしました。下山中、ゆっくりゆっくりと無理のない登り方で頂上を目指す隊員とすれ違いました。
画像3 下山の途中、時間があったので長城の壁をスケッチしました。また、板状の岩石を採取し、持ち帰って岩石の種類を調べてもらうことにしました(薮下隊長に依頼)。 九時四五分 長城を後にして広大な平原の中、高速道路をひたすら走りました。時々日本の国道に相当する道路が併行してたりして貨物輸送のトラックが走行しています。※快速列車内の記録者山本甚吉隊員(右)と竹市秀男隊員です。
画像4 一一時一二分 進行方向右手に遠くにかすむ山並みの彼方まで、風力発電の風車が整然と立ち並び、その数は千基以上もあるのではと思うほどが稼働をしていました。さらに、左側にも風車が現れ、道路沿いには「花源電力」の看板。一〇分ほど風車を眺めていたら、今度は太陽光発電のソーラーパネルが整然と並んでいました。日本ではこんな大規模な施設は見たことがないのでびっくりしました。
画像5 一一時三〇分 風が強くなって砂埃で前方の視界がどんどん悪くなってきました。 一二時二一分 いよいよ砂嵐が激しく なります。前方の視界が五〇~一〇〇メートルほどの中で探検隊を乗せたバスは疾走していきます。日本の高速道路では考えられないことです。なにしろ速度制限の看板や標識などなにもありません。 一二時四〇分 左側に祈蓮山脈の雪解け水を集めた「双塔水庫ダム湖」が出現、甘粛省安西市ほかの水瓶だそうです。
画像6 一二時四九分 またまた大規模な風力発電施設が砂嵐の中うっすらと見て取れました。 一三時一三分 高速道路を降り、玄奘大通り記念碑の前を通過しました。 一三時二一分 宏金源大酒店に到着。お昼の時間です。お腹が空いていたのでほんとうに美味しくいただきました。その上、大好きなビールもあり、満足感でお腹一杯になりました。  楽しく会食を終えロビーに戻ると、見たこともない大きな六〇~七〇センチもある漢方薬「仏手サヨウ(聞き違い?)」が、それはそれは立派なのケースに納められ飾られていました。
画像7 一四時三〇分 高速道路に戻り敦煌まであと一二〇キロメートル、砂嵐の中を走行した景観の中、ときどき綿畑が顔を見せてくれます。 一五時四〇分 砂嵐の中、ライトを点滅して走行する車両が多くなりました。防風林があってもこの砂嵐には役にたたないような気がしますが、もし、防風林がなかったら建物が埋没してしますのでしょう。
画像8 敦煌市内に入りました。ガイドの方さんのお話では「敦煌は、海抜一一〇〇メートル、年間雨量三〇から四〇ミリメートルにたいして、蒸発量二四〇〇ミリメートルで、約六〇倍になります。夏は、気温三〇度前後、暑い盛りは四二度を記録し、湿度は五パーセント程度」という説明でした。  宇宙船から見た敦煌は、広い広いゴビ砂漠の中の小さな小さなオアシス都市でしょう。
画像9 ポーロの時代、シルクロードは中国文化と西欧文化の接点であり、多種多様な民族が仲良く交流し、繁栄していました。ラクダには「砂漠の船」という美称があり輸送手段でした。ポーロもラクダと共に敦煌に入りました。ポーロがカメなら探検隊はウサギ?。 一五時五〇分 敦煌莫高窟入場チケット売り場に到着。方さんが予約・購入の手続きに。車窓より空を見上げると砂嵐でぼんやりしたお日様が探検隊をぼんやりと見ていました。 さあ、これから始まる見学が私の担当する「月の沙漠に奇蹟の泉を見る敦煌鳴砂山と月牙泉を駱駝の背に揺られて」です。
画像10 一六時二〇分 鳴砂山・月牙泉に到着。ラクダ騎乗は砂嵐のために中止となり体験できませんでした。残念。方さんの話では、数日前に一頭のラクダが人間でいうところの過労死で亡くなったそうです。今日の砂嵐はラクダにとっては良い休日になりました。でも、飼い主にとっては、天気が良ければ良いほどお金が入って豊かな生活ができるので、今日の砂嵐には困っているでしょう、という方さんの話です。
画像11 ラクダの代わりに電気自動車に乗って月牙泉の入り口へ。砂嵐の中、月牙泉の近くまでふわふわした、足が沈み込む柔らかな感じの砂の上を歩きました。細かな砂粒が顔に当たります。近づいても月牙泉と寺院は、砂嵐のいじわるでぼんやりしか見えません。鳴砂山も見えませんが数人の人たちが登っている姿がぼんやりと見えていました。こんな砂嵐の中、腕時計、携帯など落とし物したら見つけることはできないので気をつけました。※写真は快晴の時(ネットから))
画像12 ぼんやりした月牙泉の写真は、薮下隊長のカメラで撮影されたものです。隊長とネットの写真を比較すると、隊長の写真は、隅が黒くなっていますが、これは砂嵐の微細な砂粒がカメラのシャッター装置に入って故障してしまったからです。帰国してからカメラ店で修理したら一万円かかったそうです。  私の人生でもう砂漠地域へ出かけることはないので「砂漠の砂嵐」に遭遇したこの日は、貴重な体験となり、思い出に残る出来事になりました。
画像13 一七時一〇分 砂嵐体験を終え、観光バスに戻って乗車。 一七時三〇分 ホテルに到着。部屋に入って早速、洗顔、着替えしてさっぱりしたところで月牙泉の砂の上を歩いてきたズボンの折り目に入っていた砂を採取しました。同宿の形山隊員の拡大ルーペで観察すると、赤、黄、緑、白、黒系の五色の砂粒がありました。形状もほとんどが角が取れ丸みを帯びていました。真珠に似た砂粒もありました。  この微細な砂粒もお土産にして持ち帰り、薮下隊長にお渡しして顕微鏡写真にしていただくようお願いしました。
画像14 一八時二〇分 ホテルロビーに集合、観光バスでレストラン「豊国大飯店」に移動しました。  一八時三五分 乾杯、砂嵐のことなど今日一日の出来事と体験話でわいわいがやがやと楽しい会食でした。  ラクダの騎乗が中止となり、方さんの提案で代案として夕食後に敦煌歌劇「絲路花雨」(シルクロードの花吹雪)を観劇することになりました。※写真、ガイドの方さんと石井美枝隊員
画像15 一九時二〇分 観光バスに乗り「敦煌大劇院」へ向かいました。観覧する「絲路花雨」は、唐代のシルクロードを背景に、敦煌莫高窟一一二窟の壁画を素材にし、全八幕で構成されていて、甘粛省歌舞劇院が一九七九年一〇月に創作した作品です。
画像16 壁画の素材は、中唐時代(八世紀後半)に描かれた「感無量寿経編」の舞楽図に八の字のように左右に分かれて座る伎楽が琵琶、横笛、笙などの楽器を奏でている。これらの伎楽の中央に、一体の舞人が琵琶を背に回してつま弾きながら、片足を上げ体を大きくひねって踊っている「反弾琵琶」と呼ばれる像がありますが、その「反弾琵琶」が登場するといいます。※右端が反弾琵琶です
画像17 二〇時一〇分 「絲路花雨」が開演しました。歌劇場内は薄暗くなりました。いよいよ東西交易の華やかな唐代、敦煌莫高窟の壁画を描く老画匠と娘と西域の人々との心温まる人間愛のドラマ、シルクロードの国々の絢爛豪華な舞踊と音楽と華麗に再現された歌劇が始まります。
画像18 二一時三〇分 あっという間の一時間二〇分、数々の場面が演じられ演劇が終わりますと歌劇場内は拍手の嵐に満たされます。私も気分は高揚し、よかったなと満足感を味わいました。
画像19 それにしても「絲路花雨」は初演から四〇年を過ぎ、二十世紀における中国民族舞踊の最高水準の作品で、敦煌で観劇できたことは本当に良かった。砂嵐のおかげです。  二一時四〇分 観光バスに乗り込みホテルに向かいます。  ポーロの夜はどんな情景であったのかなあ、ほの暗い明かりの中、いろいろな民族の舞踊を観覧しながら夕食を楽しんでいたのでしょうか。

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