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童貞男:年末年始に集まる意味
童貞男です。
年齢を無駄に重ねた年月、一年の時間軸が早く感じてきた今日この頃。何もなく、無味乾燥で無感動、無関心で潤いのない日々を淡々と過ごす事で人間性が錆び付いてきてるような気がしています。
そんな自分だからなのかはわかりませんが、忘年会とか新年会とか銘打って、飲み会をする意図というものがこの年になっても理解できないのです。
ただの時の流れ。
一年という時間を無事に生きてこれた事には感謝しています。365日、働ける体と精神であり続けられた事にはすごくありがたく思います。
でも、忘年会ってなぜ、開くのでしょう?
慣習になっている今、さぞかし当たり前になっている感じなので、そこまで疑問に思うことはないのかもしれませんが、呉越同舟の場で忘年できますか?って、ふと思う時があります。
仲良し同士の飲み会だって、年末年始にしなくても、時間の合うときにすればいいだろうし、さあ、長期休暇だってところに飲み会入るのって、気分的にどうなのかとも思ってしまいます。
自分に至っては、大晦日にやろうとかいう強者がいるので、この行事の実施期間を設けてほしいなとか勝手に思っています。
今のご時世は多様化と個々の尊重の流れで、自分の時間を重視しするような流れになってきた気がします。自分は1人でいる方が落ち着くので、この流れに関しては悪くないかなとは思いますが、年々、酒で人を繋ぐ力が弱くなっている感じがします。
もう少し、違う形での年末年始の慣習が出るかもしれませんね。