あなたの「働き方改革」が、だれかを不幸にしてませんかっていう話
ワークライフバランスフォーラムっていう名前のイベントに参加したときのこと。
そこで、お話ししたある小学校の校長先生が言っていた言葉がある。
「『働き方改革』じゃなくて、ただの『サボり方改革』になっている人がいる』。
ああ、納得。
僕が「働き方改革」という言葉に対してもっていた、なんだかモヤモヤっとした雑味のある感じは、こういうことだったのかと府に落ちた。
そう。なんでも「働き方改革」だと見せかけて、単純に仕事をサボりたいがための言い訳にしている人がいる。
「働き方改革」が「サボり方改革」になっている人の特徴
僕が考える、こういう人が「サボり方改革しがち」な特徴をあげてみる。
これは全部があてはまったら「サボり方改革」している人、というわけではなくて、一部だけ当てはまる人の中にも「サボり方改革」をしている人がいる。
当てはまる特徴が多ければ多いほど、その人の「働き方」は、本人の意識しているかしていないかに関わらず、単純な「サボり方」になっていることが多い。
朝、ギリギリの時刻に出勤する。
退勤時刻に執拗にこだわる。
仕事を「終わらせる」ことが目標になっている。
「働いている感」だけ出して、実際はそこまで密度の濃い仕事をしているわけではない。
創造的な仕事には取り組もうとしない。
自身の勤務時間をいかに短くするかについては考えているが、会社全体の仕事の削減や効率化には、特に役立っているわけではない。
自身が成長する喜びよりも、刹那的な楽しみを選びがち。
人からの指示や注意を、なんでも「ハラスメント」だと捉えがち。
自身にとって「都合が良いか悪いか」という観点で人間関係を選びがち。
「尊敬できる」「尊敬できない」という言葉をよく使う。
アドバイスや注意を、そのまま受け止めることができない。自身の在り方を振り返ったり、良い方向へ変えていったりすることができない。
「何も言ってこない」人が、「(都合の)良い人」だと思う。
仕事が楽しくない。そもそも「なぜこの仕事をしているのか」について考えることがほとんどない。
一体、何が問題なのか。
「働き方改革」が「サボり方改革」になっている人が増えると、何が問題なのか。それは当然「他者にしわ寄せがくるから」だ。
あなたが早く帰った後に、その分の仕事を遅くまでしている人がいる。
その人にもちゃんと家族があったり、それぞれのプライベートな事情を抱えているにも関わらず、平気で「これが働き方改革だ」と言わんばかりに退勤する。
「無理をしてはいけない」
「会社の人間関係なんてほどほどに」
「自分の心を守る」
こういう言葉で自分を正当化して、他人にその分のしわ寄せがされているのを見て見ぬ振りの人がいる。
また、どこか他力本願的なところがあって、自分が会社全体の仕事量を減らしたり、効率化したりすることはほとんどない。いつも「早くだれか何とかしてくれよ」と思って嫌々仕事をしている。仕事がいつも消極的なもの、受動的なものになっている。
そして、自身の成長やキャリアップのために時間を作るという意識が乏しい。当然、仕事上のスキルが上がるわけもなく、仕事に対しての自信もつかないので、自分に仕事が回ってくるのをいつも恐れている。
自分に仕事が振られそうになると「えー」「それ私がやるんですか?」「やりたくないなぁ」「絶対やらなくちゃいけないですか?」などと平然とぼやく。その仕事の価値は何か、なぜその仕事が自分に任されるのか考えることもないままに。
「働き方改革」と「サボり方改革」の違いは何か
簡単に言うと、「利他」よりも「利己」になっている人が「サボり方改革」をしている人だ。
自分だけ良ければいい、自分に都合よく周りが働いてくれればいい、こういう考えをもとに行動をしてしまうのが「サボり方改革」の正体だ。
個人の幸福のために、他者や社会全体の幸福が損なわれるのは「働き方改革」でもなんでもない。
「働き方改革」とは、その仕事をともに行う全ての人が納得し、幸福になる働き方をすることをいう。
いつまでも「サボり方改革」をしている人は、はっきりいって子どもである。
どんなに歳を重ねたとしても、こういう「子ども大人」みたいな輩はいるのだ。
最後に、言いたい。
あなたの「働き方改革」は、「サボり方改革」になっていませんか?
あなたの「働き方改革」は、だれかを不幸にしていませんか?