退院したその日から仕事に復帰しましたが、異変はすぐに表れました。 ふとした瞬間に、言いようのない強いストレスを感じて暴れたくなってしまうのです。無口になって視線が落ち着かなくなり、同行者の手を強く握る。やり過ごすしか対処法は分かりません。 それ以外にも、満員電車に乗れない・電車で人が隣に座ると呼吸が出来なくなり震え出す・家から出ると無意識に薬局に向かってしまいそうになるなどなど、あらゆる症状が出てきました。 ひとつひとつは大きな障害ではなくても、他にも何か普通ではない欠陥が
病棟では、ナースステーションに最も近い病室に入れられました。それだけ手のかかる人だと思われているんだろうな…と感じました。 その日の夜はあまり深く考えずに眠りました。疲れ果てていました。一日がすごく長くて、まるで1週間が過ぎ去ったような気がしていました。 次の日の朝、病院食が出ました。 思っていたよりも普段の食事に近かったです。 食欲が無かったので半分残してしまいましたが、おいしかった。そして、残してしまったことをひどく申し訳なく感じました。 朝食と一緒に出された温かいお茶
病院に着いてからの私の受け答えは実に冷静だったと思います。もちろん申し訳なさで泣いたり謝ったりはありましたが、基本的に質問には丁寧に答えましたし、特段騒いだり暴れたりはありませんでした。 嘔吐が功を奏したのか、痛すぎて胃洗浄を拒否したものの活性炭を飲んだくらいで手術の必要などはありませんでした。 ただし、今日は入院だよと救命の先生に言われて入院の手続き書類を書くことになりました。 書類を持ってこられたあたりから足の震えが止まらず、落ち着かずにイライラして、書類を書き出すとつい
通行人の1人に呼ばれて駆けつけたお巡りさんにおぶられて、近くのコインランドリーに運ばれた私は、クーラーの効いた室内でベンチに横たえられました。 そこで救急車の到着を待つ間、熱中症の疑いと無線で告げる女性警官に朦朧としながら手を伸ばしました。 「薬を飲みました。助けてください。」 消え入るような声で告げるとあまりのみっともなさに大粒の涙がこぼれました。 異変を察した警官がもう一度聞き直します。 「死のうと思って、風邪薬を1瓶飲みました。」 あまり覚えていませんが、その情報は手早
身体に、すぐに変化はありませんでした。 だんだん実感が湧いてきた私はまず、自殺したら最も悲しむであろう恋人にLINEしました。 「ごめん。薬を飲んでしまいました。やってもうた…」 お昼頃だったためか、仕事中のはずの恋人からすぐに返信が返ってきました。 「どういうこと? なんの薬?」 「致死量の市販薬…」 「倒れそうなら人のいるとこに行きな。」 恋人とやり取りをしている間、不思議なほど私は落ち着いていて、普段通りひょうきんな節すらありました。 飲んでしまったことを完全には信じら
※前の記事からの続きです 駅のホームに立った時、「ああ」と何かがストンと腑に落ちた気がしました。 それがなんだったのか、明確に分かっていたのはその時の私だけです。 恐らく自分の行動の何かが心の深いところに触れ、おぞましく汚らしい者と認めた自分自身の存在を許せなくなってしまったのでしょう。 電車に乗ってからしばらく日記に延々と呪いのように言葉を綴り続け、 「死ななきゃ、死ななきゃ…」 と胸の中で呟いていました。 少し前から、体の調子を崩して2つの病院にかかっていた私は、それ
その日は朝からなぜか気分がどんよりして落ち着かず、仕事に行く恋人を見送るときも不機嫌そうだったようです。 気分を少しでも上げたかったので、もし追いつけそうだったら恋人と駅まで一緒に行きたい。 恋人が出ていってすぐ、私も恋人宅から自宅に帰るために急いで身支度をしたのですが… スマホがない。 昔からよくあることでした。 ちょっとの間だから…と、いつもの置き場所ではないところに物を置いてしまい、見つけられなくなってしまうのです。 私は部屋の中を3往復ほどしました。どんどん頭の中
なかがわは19歳です。 2023年7月31日、つまり今週の月曜日に市販薬と処方薬あわせて150錠弱を服用し救急搬送されました。 周りの人にもたくさん心配をかけましたが、元気に過ごしていたつもりだったなかがわ自身もびっくりしました。 私が自殺未遂をしたきっかけやら、その後の治療の様子をぽつぽつ書いていこうと思います。