2024/12/27 骨折した日
骨折前の数週間は忙しくて、
8月5日のバスツアー(桃狩り)が終われば
しばらくゆっくりできる予定だった。
山梨に行く桃狩りは千葉駅発。
その日は高速道路がとても混んでいて、
箱崎まで2時間。最初の休憩になった。
(バスでも、道路が空いていれば30分はかからない)
その後も渋滞は続き、目的地に到着するまで6時間。
夜行バス並み。この渋滞がとどめだった。
翌日から40度の高熱で寝込む。
コロナかもしれないと思ったけれど
一緒に行った友だち2人は何でもないと言うので、
病院には行かなかった。
8月9日、ようやく熱が下がりお風呂に入る。
お風呂を出た途端、
せっかちなオットが「買い物に行ってくる」と言う。
4日間、寝込んでいてワンたちに会っていない。
興奮して飛びついて来るだろう。
ソファに座るまではいて欲しいと思い、
呼んだけれど夫には聞こえない。
4日間、ほとんど食べていない状態で大声を出したので
そのまま気を失ってしまった。
夫のすごく小さな声(笑)で目が覚めた。
気づくと、洗面台に背中を向けて倒れていた。
グラグラして、洗面台に手をついたのは覚えている。
頭を打たないように背中を洗面に向けようと思ったことも覚えている。
(こういう時は意外と色々なことを考えるものだ。)
洗面台の下の部分に足が引っかかったまま180度回転して転倒したらしい。
目を開けたまま倒れていたそうで、死んでいると思ったそうだ。
それで、恐る恐るの小さな声。
起きあがろうとして、足の激痛に気づく。
歩けなかった。
激痛に耐えて、何とか階段を上りベッドに横になった。
それでも寝たらしく、
翌朝、起きた時に「階段はお尻をついて降りよう」と思った。
家から出る時はおんぶしてもらって、車に乗った。
幸い、お盆中も整形外科は診療していた。
左足の中足骨が4本折れていた。
全治3ヶ月。
「お風呂に入らないで、シャワーにすれば良かったな」と思った。
後悔しても仕方がないと思いながらも後悔した。
先生に何をしてもいいのかを聞いたら
「病人なんだから、とにかく安静に」と言われる。
しばらくは頭も痛かったし、とにかくお尻が痛かった。
頭は打っていたかもしれないけれど、
この状況で病院に行くのが面倒でやめた。
お尻が打撲だったのか、骨折していたのかはよくわからない。
どちらにしても、
お尻の骨が折れていても処置はないだろうし、
足の骨折で安静にしているうちに治るだろうと思った。
3ヶ月の療養生活が始まった。
今日で骨折から141日目。
今も土踏まずのあたりにあるはずの筋肉が足の底に落ちたままで
通常の歩行には戻れない。
走ることもできない。
骨折して、元に戻るまでの難しさは実感している。
それでも、療養生活は不自由ながらも本来の時間を取り戻す時間だった。
私は何が忙しかったのか、
何かに追われているような、いつも頭も体もフル回転していた。
今は日常生活に戻りつつある。
時々、頭がいっぱいいっぱいになるけれど
あの3ヶ月を思い出すことで、すーっと落ち着くことができる。
ゆっくりした時間。
やろうと思ったら、ゆっくりできると思える心の余裕。
59歳で毎日筋トレができても
ふくらはぎが6cm細くなって落ちた筋肉が元通りになるまでは
1年近くかかるという。
80歳を過ぎて骨折するということが
どれほど大変なことか、身をもって知る。
義母の圧迫骨折がどれだけ痛かったか
認知症を発症したのもよく理解できる。
接骨院の先生に「手術するという選択肢はあったのか」
聞いたことがある。
「場所的に普通はしないし、通常歩行に戻れなくなるかもしれない」
とのことだった。
桃狩りツアーは別のツアーが催行中止になったので参加した。
なぜだか気乗りしなかったけれど、友だちは楽しみにしているし、
行けば楽しいのかなと思い参加した。
自分で車を出して、
中止になったツアーと同じルートを回ることとも考えたけれど
「事故を起こしたら、大変だな」と思ってやめた。
普段はそんなことは考えないのに、無意識で限界を感じていたのだろう。
感覚に従うことも大事。
桃狩りも感覚に従っていたら良かった。
今日で骨折の話は終わりにします。
これからは自分と向き合って、ゆっくり回復を待つ時間。
骨折は絶対にしないと決めて、日々気をつける。