ニートな吸血鬼は恋をする 第八章
愛人は走りながら、通報を受けた。
「はい、特殊犯罪対策警官です。どうしました?」
「あ、あの……今、えっと男の人に追いかけられてて……!」
電話に出たのは可愛らしい声の少女だった。
だが息を殺していた。隠れているのだろう。
「人数は?」
「えっと、多分、一人……!」
愛人はホルスターに手を伸ばし、片手で注射器を取り出しながら電話を続ける。
「一人ですね。今どこにいますか?」
「え、っと……きゃっ!?」
ブチッっとそこで電話が途切れる。どうやら見つかったようだ。
「ちっ……」
愛人は躊躇なく人工心素を接種し脚に【確心】して、逆探知した場所へ向かう。
「あいと……!」
そこへ、真紀が愛人に追いつく。愛人は分かっている情報を簡潔に伝える。
「犯人は一人以上。被害者は若い女性」
「ん!」
少しすると、二人はその声を耳にする。
「だ、誰かぁっ!!」
「「っ!」」
「た、助け……」
その声は、途中で途切れる。二人はその声のした方向へと向かう。
「……動くなっ!」
それは、二人がそれを視認すると同時に響き渡る。一人の男が手を縛り、口に布を詰めた少女の首筋にナイフを当てていた。
愛人と真紀は目の前の少女が通報を掛けてきた被害者であると確信する。
「っ……!?」
真紀は固まってしまう。人質が捕られている以上、下手に動けない。
「おいお前ら! こいつが殺されたくなけりゃあ……」
男は吠える。
「悪いな」
しかし愛人はその合間に既に動き出していた。
「あいとっ!?」
愛人の踏み込みは、男に喋らせる隙すらも与えない。
「キレたぜ」
「っ!?」
驚いた男は、咄嗟に少女にあてがっていたナイフを引いてしまう。
「あっ……」
当然、刃は少女の首を切り裂いた。
切り裂かれた傷口から、血が滲みだす。
「はぁっ!」
しかし愛人はお構いなしに、男のナイフを持っている方の手首を掴み上げる。
「ふっ!」「がはっ!?」
拳に【確心】した愛人は、男の腹を殴る。
「よっ!」「がふっ!?」
さらに背負い投げで男を地面に叩き落とす。
男は肺の空気を押し出され、ナイフを手放した。
「あぁ……」
その傍らで、崩れ落ちていく少女。
「んっ!」
真紀は全力で少女まで駆け、地面に落ちる前に少女を優しく抱き留める。
そして少女を縛る縄を引きちぎり、布をとる。
「はっ……! はっ……!」
呼吸をするたびに首の傷口から血が噴き出す。
「くっ……!? あいとっ!」
「分かってる」
愛人は既に警察手帳で救急車を呼んでいた。
「はい、今すぐに……ん……?」
そこで、愛人は気づいた。何かが、こちらに近づいてくる。
その正体は、すぐに現れた。
「「っ!?」」
それは車だった。大型のワゴン車だ。運転手とおぼしき男は、愛人を見つけたと同時にさらにアクセルを踏む。
(一人じゃねぇのかよ……!)
ワゴン車はこちらに向かって速度を上げて走ってくる。
「真紀ちゃん!」 「んっ!!」
真紀は、飛んだ。弾丸のように水平に飛んで、瞬時に真紀はワゴン車の前に出る。
「な、なんだっ!?」
運転手はいきなり現れた真紀に驚愕する。この距離ではブレーキも間に合わない。
「……んっ!」
しかし真紀にその必要など無い。
真紀が裂帛の気合と共にコンクリートを踏み砕きながら構えをとる。
「【バレット】……!」
真紀は零距離で、紅い拳をぶっ放す。
ズガンッッッッッッッ
ワゴン車は真紀のいる地点で、跳ねた。
浮き上がった車体は、重力によって落ちてくる。
破壊音を響かせながら落ちたワゴン車は、大きく凹んだボンネットから煙が噴き出す。
エアバックで顔が見えないが、動かない男の姿が割れたフロントガラスから見えた。
(流石に焦ったぜ……)
真紀の代わりに少女を抱いていた愛人が、安堵のため息を漏らす。
「……よし」
真紀は運転席の男を引きずり出していた。どうやら気絶しているようだ。
「ふー……! ふー……!」
もはや訳が分からず混乱状態の少女が喋ることも出来ずに呼吸を荒げる。
「……あぁ、あまり呼吸を荒げないでください。傷口が開いてしまいます。落ち着いて、落ち着いて……ゆっくり息を吸ってください」
愛人は出来るだけゆっくりと話しながら、少女を呼吸のしやすい体勢に保つ。
「……愛人っ! きゃっ!?」 「っ!?」
愛人は少女を抱えたまま振り返る。
「……へへへ……」
いつの間にか回復していた男が、今度は灯を捕らえていた。
「灯……!?」
遅れて真紀も気付く。
「……」
愛人はゆっくりと少女を降ろそうとする。
「おっと」 ズシャッ!
「灯っっっっっ!!!!」
愛人は叫ぶ。灯の腹から、貫通したナイフが見える。
「今度こそ、動くなよ……?」
「……っ」
愛人は歯を食いしばる。
(さっきとはまるで状況が違う……! 本当に死んじまう……!)
さっきは首に当てられていただけだった。心素を利用した現代の医療技術を持ってすれば、首を斬られた程度で死にはしない。場合にもよるが、この少女のように綺麗に首を裂かれた程度なら、後遺症もなく完治できるだろう。
だが今の灯は、まるで違う。多少心素が増えたとはいえ心素不適合症の灯が、もしナイフを動かされて内臓をえぐられれば……。
(……クソッ! 何で来たんだ、灯……!)
愛人は最悪の状況に、冷や汗を垂らす。真紀も動くことが出来ず、固唾をのむ。
「動けば死ぬぞ……!」
「……あ……あぐ……あい、と……」
灯は息も絶え絶えに、愛人を見つめ続ける。
(……ちっ)
愛人は仕方ないと、少女を見る。
「……はぁ……はぁ……」
少女の眼は、助けを求めていた。
支えている肩からは、恐怖による震えが伝わってくる。
「……」
しかし少女を見る愛人の目は、どこまでも冷めていた。
「……よし」
男は愛人が動かないことを確認し、灯を連れながら移動していく。
「あぐ、あぁ……!」
そのまま、男は角を曲がろうとする。曲がる瞬間、男は一瞬愛人から目を離す。
「……っ!」
刹那。
愛人は持てる全ての心素を腕力に【確心】する。同時に少女を手放した。
「うおらぁっ!!!」 「っ!?」
愛人は渾身の気合と共に、持っていた警察手帳を投擲する。
ガッ
警察手帳は見事にナイフの先端に当たり、ナイフは灯の腹から吹っ飛んでいく。
警察手帳は、頑丈なのだ。
「うおおおおおっ!」
愛人は間髪入れずに男に踏み込む。
「くっ!?」
男は牽制に灯を愛人の方へ突き飛ばす。
愛人は灯を受け止める。逃げる男を前に、愛人は叫ぶ。
「真紀ちゃん!」
愛人が叫んだ時には、真紀は愛人の側を駆け抜けていた。
「ん!」
「う、うわ……!?」
全速力で逃げる男は、一瞬で追いつかれて、殴り飛ばされた。
「神崎さん……! すぐに救急車が来るから……!」
「え、えぇ……」
愛人は抱き留めた灯に、必死に呼びかける。
「……わ、私、よりも……その、子を……見た方が……」
灯はちらりと少女を見る。愛人がいきなり手放したので、強く体を打ち付けたはずだ。
何より呼吸が乱れて、血が噴き出している。
「そ、そうだね……!」
愛人はゆっくりと壁際に灯を座らせて、少女の元へ駆ける。少女は首を抑えて、うずくまっていた。愛人は少女を仰向けにして、呼吸のしやすい体勢で寝かせる。
「……ふー……! ふー……!」
少女は過呼吸気味に呼吸を繰り返しながら、目に涙を溜めて愛人を睨んでいた。
「……安静にしてください」
愛人はまるで逃げるように、少女と目を合わせなかった。
救急車の音が聞こえる。
愛人が少女の視線を無視しながら、その事件は幕を閉じた。