ニートな吸血鬼は恋をする 第十一章
「……はぁ」
愛人は、自室で寝転がっていた。
ようやく念願のニート生活に戻れたというのに、ため息が止まらない。
「……ちっ」
それもこれも、全て灯のせいだ。
愛人には、どうにも灯の告白が頭にこびりついて離れなかった。
虚空に向かって愚痴ろうとする。
「……」
だが、なかなか言葉が出てこない。
むしゃくしゃして、取り敢えずゲームを開く。
(……はぁ……ったく……こうなるから引き受けたくなかったんだよ……)
愛人が今更ながらに、黒田を恨みながらゲームをしていると。
警察手帳から電子音が鳴り響いた。
いつもの鈴のような通報音ではない。
(黒田さんか……)
恐らく保護観察処分を完了したことへのフィードバックだろう。
「はい」
愛人はいつも通り声のトーンを上げて電話に出る。
「あ、轟愛人さんのお電話でしょうか?」
しかし、相手は黒田では無かった。
「はい」
「私は、警察の沢田と申します。この度は、神崎灯さんの観察役を担っていただいたそうで、一同を代表してお礼申し上げます」
黒田では無かったが、どうやら内容は同じようだ。
「……はぁ……ありがとうございます」
愛人は取り敢えず頷いておく。
「今回の保護司失踪事件のことで我々も手一杯だったので、本当に助かりました」
「……は? 失踪?」
不穏な言葉が聞こえて、愛人はつい聞き返す。
「えぇ、担当の黒田さんに聞いていませんか? 公にはしていませんが、黒吹市の保護司が、突如失踪したんです。だから、保護司の代理が用意できなかったんです」
「……私は、聞いていません」
「そうですか。でも、もしかしたら何か考えがあって言わなかったのかも知れませんね。今回、担当の黒田はかなりこの事件にのめり込んでいましたから」
「……のめり込んでいた?」
愛人は首を傾げる。
黒田にそんな様子は無かったし、そもそも仕事に精を出すようなタイプではない。
「えぇ、今回保護司の代理が必要となったとき、真っ先にあなたの名前を上げる程でした。……どうやら、あなたはかなり彼に信頼されているようでしたよ?」
「……そう、ですか……」
愛人は訳も分からず、頷いた。
「とにかく、今回は本当に助かりました。もちろん報酬は正式な賃金が出ます。来週の水曜日には入金される予定です。構いませんか?」
「……はい」
「それでは、失礼します」
「……はい」
電話は切れる。
愛人は電話が切れた後、その場でボーっと考えていた。
(黒田さんが……事件に……? 何故……?)
分からない。
(いや、よしんば事件に何かしらの思い入れがあったとして、何故俺を推薦する?)
分からない。
(そして何故、俺に何も言わなかったんだ……?)
分からない。
愛人は急激に不信感を増していく黒田に、連絡を取ろうとする。
(……)
だが、途中で辞めた。
(……わざわざ首を突っ込んでどうにかするなんざ、俺らしくねぇや)
自分は正義のヒーローではない。
何かまずいことが起こっていようと、自分には関係ない。
(……寝るか)
愛人は思考を止めて、ベッドに身を投げた。
「……はぁ……」
止まる気配のないため息を何度も繰り返しながら、愛人は目を閉じた。
目を閉じると、浮かんでくるのは灯の泣きっ面。
(……俺、は……)
自分が恋愛不適合者で、自分が人を傷つけることは間違いない。
故に自分の判断は、どうしようもなく正しい。
(……はは)
何度考えても、あの時の判断に間違いはない。
告白を断ってよかった。
(……なるほど……な……)
だからこれは、自分の落ち度だ。
(俺、は……好き……だったんだ……)
ようやく自覚する。
愛人は……灯に惹かれていた。
(……今更、だな……)
思い返せば、ずっとそうだったではないか。
あの天真爛漫で、高貴で、恋が大好きで。
(自由に人を好きになって、想いを伝えて……そんなあいつに、惹かれたんだ)
恋をくだらないと偉そうに吐き捨てたくせに、恋をする灯に惹かれていた。
(……馬鹿かよ)
忌み嫌っていたはずの色恋に惹かれた自分を、愛人は自嘲した。
ピンポーン。
「……?」
愛人は体を起こす。
宅配便かと思ってドアを開ける。
「なっ!? 真紀……ちゃん……!?」
そこには血だらけの真紀が、立っていた。
「あい、と……」
真紀は安心したように、愛人にもたれかかる。
「真紀ちゃん!」
愛人は真紀を抱き留めて、部屋のベッドへ運ぶ。
(なんだよこの血……!? 事故にでも遭ったのか……!?)
愛人は取り乱しながらも、携帯を取り出す。
「と、取り敢えず、救急車を呼ぶから……」
「いらない……!」
真紀は愛人の手を掴む。
「起き上がっちゃだめだよ! こんな出血量……!」
愛人の制止を振り切って、真紀は立ち上がる。
「……大丈夫。もう、輸血してもらったから」
「え……?」
「救急車の中で、さっき輸血してもらった」
愛人は固まる。
「……ってことは……救急車を抜け出してきたの……!?」
真紀は澄まし顔で頷いた。
「うん」
「うんって……! なんてことを……!」
愛人はせわしなく取り乱す。
「……と、とにかく、何があったのか話してよ……!」
「……わかった」
真紀は淡々と話し始める。
真紀が灯といるときに突如、黒い外套の者に襲われたこと。
真紀が黒い外套が人工心素を使い、【確心】を使っていたこと。
狙撃をされたこと。
そして、正体が新堂司であったこと。
「新堂司……だって……?」
「灯の、元彼だって言ってたけど……」
「……」
愛人は絶句する。
(新堂司が……復讐のためにあいつを狙った。それは分かる。だが何故真紀ちゃんが狙撃されたんだ? これじゃまるで……)
「……それで、その敵のことだけど」
真紀は確信を持って口にした。
「……『クラックス』だと、思う……」
「あぁ。僕もそう思っていたところだ」
心素が世界中に普及し始めると同時に、それを悪用する輩も出てきた。
その中でも、特に危険な犯罪組織が『クッラクス』だ。
目的、組織の規模、戦力、全てが正体不明の組織で、一般人には都市伝説とすら思われているような組織だが、実際に政府の要人や、財政界の有力者が時折被害に遭っている。
公にはされていない事件も多数あり、間違いなくその存在は確認されている。
そしてその確認されている者の戦力は、全てが一騎当千の殺戮者だ。
プロの恋愛警官でも、まず相手にならないことがほとんどなのだ。
真紀はその存在を事務所から知らされており、愛人はその話を黒田から聞いていた。
『クラックス』に遭遇したら、まず逃げ延びろと。
「間違いなく真紀ちゃんの実力を警戒しての狙撃だ。この周到さは組織ぐるみのものだろう。そして……もし本当に『クラックス』が相手だとしたら、僕らみたいな子供の出る幕じゃない」
愛人は静かに俯いた。
「……私は行く」
「なっ……その傷じゃ無理だっ!」
愛人は必死に真紀を止める。
「……愛人はいいの?」
「え?」
「灯が、居なくなっちゃうんだよ? 死んじゃうかも知れないんだよ?」
真紀は必死に愛人に呼び掛ける。
「……別に、いいだろう。それくらい」
だが、愛人は冷たく吐き捨てる。
「っ!」
愛人の冷たい正論に、真紀は咄嗟に手が出そうになるが、途中でそれを辞める。
「君でも敵わないんだ。僕らが言っても無駄死にするだけだ」
「……っ」
「それに……君まで失うことになる」
真紀はふと顔を上げ、目を見開いた。
「……!」
愛人の口元には、牙が出ていた。
感情が大きく揺れ動いている、恋愛不適合者の証。
真紀は俯いた。
「……ご、めん……なさい……」
気づけば出ていたのは、謝罪だった。
「え?」
「……愛人の言ってること……正しいよ……ずっと……」
「……真紀、ちゃん……?」
愛人は震える真紀の顔を覗き込む。
「……あなたはずっと……正しかった……!」
「!」
愛人は目を見開く。
「でも、愛人は今も後悔している。……私が、後悔させた……」
真紀は、泣いていた。
瞬時に蘇る二人の記憶。
真紀が虐待されている姿を無断でネットに流し、真紀の父親を自殺に追い込んだ。
そしてまるでそれを見越していたかのように、親権者が居なくなったのを見計らって、愛人は轟家の養子にならないかと真紀に提案した。
そして真紀は、愛人に激情を向けた。
『ふざけんなっ!』
真紀は感情のままに愛人を殴り、蹴り、あらん限りの暴行を加えた。
愛人は当然病院送りとなったが、事件として扱われなかったのは他でもない愛人自身が必死に両親を説得したおかげだろう。つまりもし本当に後悔していないのなら、この時愛人は真紀と距離を取っていたはずなのだ。そういう運命だったと真紀を見限っていたはずなのだ。
「なのに……愛人は……ずっと私を守ってくれた……!」
おかしな話だった。犯罪的なレベルで暴行を加えられた少年が、家事と勉強が出来ないことを知っていた、それだけの理由で献身的に世話を焼くのだ。しかし真紀はその本当の理由を知っていた。
「ごめんなさい……」
真紀は頭を下げる。
「もう遅いかもしれないけど……本当に、ごめんなさい……あなたは正しかった。私は間違っていた。……愛人は……ちゃんと私を守ってくれた……」
「ま、き……」
つい愛人の口から出てしまったのは、昔の呼び方だった。
「私は愛人の想いを、踏みにじった……」
それをどう受け取ったのか。真紀は顔を上げて、愛人にさらに近づく。愛人を逃がさないように、目を逸らさせないように。
「お、想い……? さっきから何を……?」
未だにとぼけようとする愛人に真紀は畳み掛ける。
「私、気付いてたよ」
真紀は顔を赤くしながらも、その言葉を当然のように口にした。
「ずっと……好きでいてくれたんだよね。……こんな、私のこと……」
「っ!?」
愛人が一気に顔が赤くなる。湯気が出そうなほど体温が急上昇する。
牙が更に伸びる。
「私はそれを踏みにじった。……それでも、愛人は私を守り続けてくれた」
真紀が精神的に、荒れ果てて疲弊していた時期から、愛人はずっと真紀を支えていた。
「だから……今度は……私の番……」
「……?」
真紀は心素をたぎらせながら、愛人に宣誓する。
「私は、必ずあなた達を守る。……絶対に、守るから……」
「っ……!?」
愛人驚きを隠せない。
「……君が? ……本気かい……?」
「うん……だからもう一度、灯に向き合ってあげて。……あの時は……私が壊してしまったから……。でも、灯なら大丈夫。……きっと、大丈夫だから」
愛人と真紀の恋路は、あの時から完全に停止している。
しかし同じように凍り付きかけていた灯との恋路は、まだ終わっていない。
「……そっか……はは」
真紀の気丈な姿に、愛人は今更ながら笑みがこぼれる。
愛人が何一つ後悔していないというのは確かに嘘だ。愛人は幾度となくあの選択を後悔したことがある。それはずっと自分だけのものだと感じていた。何せ、あのとき真紀は何も悪いことをしていなかったのだから。親を殺されたという極めて正当な怒りだ。
だというのに、まさか真紀も同じように後悔しているとは思わなかった。同じ思いを抱えていたことが、どうにも嬉しくて、愛人はつい照れ笑いがこみ上げる。
「……僕は――「ピーッ、ピーッ」――……!?」
愛人が何かを言おうとしたとき、部屋にその音が響き渡る。
「……神崎、さん」
警察手帳には「一件の通報」と表示されていた。
愛人は逆探知を設定する。
「……南の街はずれだ」
真紀はそれを聞いて、部屋から出て行った。
愛人はスピーカーに設定して、支度をしながら電話に出た。
「……はい」
「やぁ。初めまして、ではないかな……」
その声には、聞き覚えがあった。
「……新堂司、ですか?」
「へぇ……まぁ、説明が省けた。要件は分かっているんだろう?」
余裕のある司の声に、愛人は目を細める。
「……灯はどこです?」
「僕といるよ。まぁかなり血が出ているから、もうすぐ死ぬけど」
「……」
「じゃあね。待ってるよ」
電話は切れる。
ちょうどそこで、服を着替えた真紀が戻ってきた。
「……愛人」
「どうやら……誘われているようだ」
「……でも、行くんだよね?」
「……あぁ」
愛人は急いで支度を終えた。
ホルスターをベルトに装着して、警棒を吊る。
ロングコートを羽織り、靴ひもを固めに結んだ。
「私も、行くよ」
真紀は準備運動をする。
愛人はふっと微笑んだ。
「……助かるよ」
愛人は警察手帳を手に取る。
恐らく今の電話を聞いていたであろう警察からの電話が鳴りやまないが、マナーモードにして、警察手帳をポケットにしまい込んだ。
警察が来ても、灯を連れて行方を眩ますだけだ。
たとえ誘いであろうとも、灯を助けるために行かなければならない。
「……行こうか」
「うん……!」
そうして二人の子供は、友達を助けるため動き始めた。