ニートな吸血鬼は恋をする 第十七章
三人の日常は一変して、実に穏やかなものであった。
土曜日。
「愛人ー来たわよー」
「おう」
「あいと、これ……」
「サンキュー」
そう言って真紀が手渡したのは、愛人の好物であるチョコレートだ。
真紀はすっかり回復して、右手が無い生活に挑戦中であった。
しかし驚くべきは、灯の方だ。
(まさか真紀よりも回復が早いとはな……)
出血多量、司の暴行により全身打撲、脳震盪、骨折多数。
灯も当初は重傷と言われていたが、準吸血鬼ということもあり、心素を増幅させて治癒能力を高められるようで、真紀よりも早く回復していた。
(生きた心素増幅器と言われる由縁か……)
「あなたの好物なんて、そういえば聞いたことも無かったわ」
「そうか? 結構色々あるぞ、まぁお前に教えたことはないかもな」
「じゃあ今、教えてくれる?」
「そうだなぁ……」
愛人は顎に手を当てて考える。
「食べ物で言えば、海苔とか、刺身とか、焼肉とか……」
「……あなた、野菜はちゃんと食べているの?」
「それは問題ない。毎日トマトを塩で一個食べているからな」
「トマトだけじゃ偏るわよ。全く……」
そう言って、灯は弁当を取り出した。
「お前、今日も作ってきたのか?」
「そうよ。感謝して食べなさい……」
「……今の話の流れだと、俺の嫌いなものが入ってそうなんだが」
「いいから食べなさい。今日はあなたの家に帰るんだから、さっさと食べなさいよね」
今日は一次帰宅という形で、愛人は家に帰ることを許された。
と言っても、今の愛人は何とか一人で歩ける程度の運動しか許されず、二人の付き添うが必須の条件だった。
「うえ、俺マヨネーズ無理なんだけど」
「……いいから、食べなさい」
「あいと、頑張れ……!」
愛人は仕方なく灯の作った弁当を平らげて、早速病院を出た。
ちなみにかなり美味しかったが、愛人はそれを灯に告げることは無かった。
「ついたよ、あいと……」
「うぇ……気持ち悪い……」
「女の子におんぶさせといて、情けないわね……」
真紀の背中から降りた愛人は、鍵を探してポケットを探る。
愛人を降ろした真紀は伸びをして、体の調子を確かめていた。
(……体力落ちた……のかな……)
あの戦い以来、自分は弱くなっていると感じていた。
人工心素の代償は予想以上に大きいのかもしれない。
(……鍛え直さなきゃ……)
真紀は人知れず決意する。
「はぁ、久しぶりのマイホームだぜ」
三人は愛人の家に入り、まず掃除をした。
あれから2週間は経っているので、少し汚れている。
掃除を終えてから、灯はティーセットを用意した。
「真紀ちゃんは、どうする?」
「私コーヒー飲めない」
「じゃあ、ミルクコーヒーね。愛人は?」
「俺もミルクコーヒーにしてくれ」
「……了解」
(チョコ好きといい、甘党なのね……)
愛人の意外な好みを知りながらも、灯は飲み物を用意する。
「そういえば、右手の方は大丈夫か?」
「うん。もう左手の生活にも慣れたし、心素も回復してるから、大丈夫」
「そうか……」
愛人は安心したように息を吐く。
(……嘘だな)
しかし愛人は真紀の嘘に気付いていた。
真紀に背負われているときの感触が、前と違ったのだ。
そして真紀が正直にそれを話さないということは、間違いなく体に何らかの影響があったことを意味していると愛人は考察する。
(きっと、俺に気を遣っているんだろう……)
しかし恋愛不適合者たる愛人は、真紀の感情は一切見抜けない。
例えば今、二人相手にすっかり猫を被ることが無くなった愛人を真紀は嬉しく思っているのだが、愛人はそのことを露ほども知らない。
故に愛人は勝手な罪悪感に襲われる。
「はいこれ、砂糖は自分でいれてね」
「ありがと、灯」
「ん……うめぇ……」
「それはよかった」
コーヒーを楽しんでから、真紀はテーブルに教材用タブレットを出した。
「あいと、勉強教えて」
「ん……あぁ、いいぞ」
愛人は真紀との約束を思い出して、勉強を手伝う。
「ここだ。この因数分解が間違ってる。そう。んで、ここでさっきの公式が使えるから、はめてみろ」
「うん」
二人の様子を、灯は見守っていた。
(何というか、兄妹みたいね……少し羨ましいわ)
肩を寄せ合って、丁寧に真紀の理解する速度に合わして説明する愛人。
そんな愛人に真紀は順調に課題を終わらしていく。
灯は一人っ子であり、幼馴染と呼べる人もいたことが無い。
自分のことは自分でしてきたし、下心もなく人を頼れるほど純粋でもない。
いつも男を誘惑するために頼ってきたし、それ以外は自分一人でやってきた。
憧れこそすれど、灯には到底真似できることでは無かった。
「ん、できた……」
「よし、えらいぞ。これで終わりか?」
「うん」
少しすると、どうやら出された課題が終わったようで、真紀はタブレットをしまう。
「そういえば、お前は勉強ができるんだったな」
「まぁね」
「じゃあ灯が教えてやれよ。多分俺より賢いだろ」
「……」
「いえ、そんなことないわ。それに私は人に教えるのが苦手なの。あなたの方が真紀ちゃんの勉強は早く終わると思う」
「……そうか」
最近では、右手の事情もあって、灯が真紀の世話をすることも少なくなかった。だがあくまでそれは家事や美容などがメインだ。
「それよりあなたは、学校に行くための準備をしておいた方が良いわ」
「……本当に行かなきゃなんねぇのか?」
「当たり前でしょ不登校児」
「あいと、学校いこうよ」
「……はぁ、つっても今更何を用意すれば」
「別に大したものは何も要らないわよ……」
灯は愛人の顔を見る。
「あなた、顔はいいんだし、モテるでしょう」
「……アホか」
「……前に学校に通っていたときは、どうだったの?」
「あぁー結構前だからな……」
「あのときはそもそも、あいとには髪がまだ生えそろってなかったんだ」
「あぁ……そう」
一気に気まずい空気となり、灯は言葉を探す。
「でも、今なら大丈夫でしょ?」
「それは俺が吸血鬼だって、バレなきゃの話だろ?」
「まぁそうかしらね……」
基本的に恋愛不適合者は周りの人間に自分が恋愛不 お適合者だと告げない限りはバレることはない。
だが、真紀のような健常者は他人の心素を敏感に感じ取ることが出来る。
故に相手の心に対する想像力や共感力を働かせることができる。
同時に、愛人のような恋愛不適合者や自分と相性の悪い人間を無意識のうちに直感することもできる。
故によほど鈍い者でもない限り、基本的に直感で恋愛不適合者は見破られてしまうのだ。
「まぁ流石に高校だし、吸血鬼だからどうこうってのはないと思うけど……」
「好き好んで寄ってくる奴はいないだろ。まぁその方が楽だけどな」
中学までは、恋愛不適合者へのいじめは珍しくも無かったが、歳を経るごとにそう言った問題は無くなり、恋愛不適合者には距離を取るようになる。
故にどんな集団であっても、基本的に恋愛不適合者は孤立してしまう。
「それよりそっちはどうなんだ?」
「私?」
「お前、女子に嫌われてるんじゃなかったか? 真紀がいるとはいえ、大丈夫なのか?」
「あぁ、それは……」
「もう大丈夫だよ」
つい最近まで灯は圧倒的な美貌や才色兼備から、同性からかなり疎まれていた。それだけでなく、数々の異性と付き合っては破局したため、悪い噂が絶えない。
そんな灯だが、真紀という友人を得て、少し変わった。
「真紀ちゃんが色々と手を回してくれたらしいのよ」
「違う。あかりが頑張ったんだ。もう誰も傷つけないように」
灯は準吸血鬼であり、自分が優秀であるがゆえに、優秀でない人間の気持ちを理解できなかった。
だから否定してきた。
つまりは僻みや妬みをぶつけようとする女子を叩きのめしてきたのだ。
だが真紀と出会い、自分の弱さを知り、相手の弱さを簡単に否定することは無くなった。
もちろん準吸血鬼である以上、理解はできないし、共感能力はやはり乏しいものがある。
だが確かに、灯はやさしくなっていた。
「私、自慢じゃないけど口喧嘩が凄く強いの」
「……まぁ、そんな気はする」
「けど、自分の正論をぶつけるだけじゃ解決できないこともあるって、真紀ちゃんに教わったからね」
「……そうか」
愛人は二人が着実に成長していることを知り、少し嫉妬する。
「まぁそんなわけで、私は大丈夫。あなたもいつまでもぐずぐずしてないで、前に進みなさい」
「前にって……あのなぁ、俺は準吸血鬼のお前と違って、成長することなんてないんだよ」
恋愛不適合者の特徴の一つとして、大人びているというものがある。
それは精神年齢という概念が存在しないからだ。
子供だろうと、大人になろうと、等しく人の心を理解せず、一切の共感能力を持たない。
吸血鬼はその精神構造上、心が成長するということが存在しないのだ。
「……そんなことない」
それに異を唱えたのは、真紀だ。
「……あ?」
「愛人は、吸血鬼なんかじゃない」
「……いや、どういう? 今更何を……」
「治せるってことよ。あなたの恋愛不適合者は」
「……はぁ?」
愛人は眉をひそめる。
「言っておくが、前に灯に言ったのは、嘘だぞ? いや、お前が準吸血鬼なら確かに話は違うんだが……とにかく俺は無理だ」
「そうかしら? 少なくとも、恋愛不適合者を完治している人を、私は二人知っているわ……あなたもね」
「はぁ? 恋愛不適合者を完治だと? そんな奴……」
そこでふと、愛人は記憶を遡る。
「新堂……司……」
「そう。彼は元吸血鬼だって言っていたわ。……そしてもう一人」
「さっきの、八咫烏のおじさん」
「……」
そう言えば、そんなことを言っていた気がする。
自分を吸血鬼だと。
「……治せるよ、きっと」
「方法も分からんのにか? それに二人は裏社会の人間だ。どんな代償があるのかも分からないのに、それに賭けるのか?」
いつまでも変わろうとしない愛人に、灯はため息をつく。
「愛人、今更逃げるのはやめなさい」
「あん?」
「今のあなたには私達がいるんだから、何があっても大丈夫よ」
「……」
「それとも、何かあったら私達があなたを嫌いになるとでも思ってるの?」
愛人は大きくため息をつく。
「分かったよ……今更だが、まぁ学校ついでに、吸血鬼のことも考える」
「あいと……」
「そうと決まれば……!」
灯はコーヒーを飲み干して、立ち上がる。
「勉強も終わったことだし、遊びに行きましょ?」
「お前はやってないだろ」
「私はいいのよ。賢いから」
「……そうかい」
愛人が病院へ持っていく荷物をまとめてから、三人は再び外へ出た。
「で? 何処へ行くんだ?」
「ふふ、黙ってついてきなさい」
それから三人はカラオケ、映画館、そして近場の遊園地にて、遊び倒した。
「はぁ……ったく、怪我人を連れまわしやがって」
「ふふ、でもあなたも楽しめたでしょう?」
「……まぁな」
愛人もこのときばかりは、素直に二人と遊ぶのを楽しんでいた。
そして病院へ愛人を送り届けて、三人は解散。
流石に平日は遊べないが、愛人が退院するまでの間、三人は貯金を使い尽くす勢いで、穏やかに遊び続けた。
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