ニートな吸血鬼は恋をする 第一章
保護観察処分
火事場の馬鹿力、という言葉が昔から存在している。
人間が危機的状況に陥ったときに発揮される超人的な力のことだ。
その力の正体を科学が突き止めた答えは、感情であった。
怒り、悲しみ、憎悪、喜び、愛……そして恋。
心が動くときに不思議と分泌されるその物質は、心素と名付けられた。
現代において心素は、誰しもが扱える超常の力として浸透している。そして男性が女性よりも力が強いという時代は終わりを迎え、女性が身体的な優位に立つ時代が到来した。
しかしその力は必ずしもプラスに働くわけではない。
灯のように。
ゆえに法律は整備され、主に心素の関わる犯罪は特殊犯罪と名づけられた。そしてその特殊犯罪に立ち向かうのが、愛人のような特務犯罪対策警官。
――通称、恋愛警官である。
「……はい勝ちー」
愛人は家で寝転がりながらスマホでゲームをしていた。
愛人は素早くスマホをタップする。
「おいおい、それ運ゲーじゃねぇか。死ね」
因みに愛人は猫被りなので、こうして一人でいときには、かなり汚い言葉を使う。
昼下がりにベッドで愚痴るその姿は、まさしく社会的負け犬……ニートの姿だ。
「クソゲーかよ……「~♪」……ん?」
不意に、ゲームの中でも負けている愛人の部屋にアラームが鳴り響く。
その音源は机の上に置いてある、警察手帳からだった。
「……来たか」
愛人は面倒くさそうに立ち上がると、机に腰かけて警察手帳を開く。
タブレット型の警察手帳には、電話のマークと黒田という文字が表示されていた。
「……んんっ……はい」
愛人は咳ばらいをして、声のトーンを少し上げてから、電話に出る。
「おう。愛人か? 俺だ」
手帳からは、野太い男の声が聞こえてきた。
愛人のことを下の名前で呼ぶように、二人は旧知の仲である。
「黒田さん。事件のことですよね……?」
「あぁ、そうだが。……お前、また学校サボってるのか……?」
黒田と呼ばれたその男は、平日の昼間にだというのにすぐに電話に出て、他の生徒の喧騒も聞こえないことから、愛人のサボりを察知して、呆れたよう呟いた。
「はい。まぁ、いつものことです」
「自分で言うか? それ」
呆れたようにツッコむが、愛人のことをよく知っているのか、その男はそれ以上咎めるようなことはしなかった。
愛人はその男のこういうところを気に入っている。
「まぁともかく。お前の言う通り事件のことだ。事件の規模はCクラス。判定はBランクだとよ」
説明しておくと、電話の男――黒田友樹は警察署の人間であり、愛人が行きつけにしている交番に居座る警官でもある。
黒田は三十代で愛人は十代と、歳こそ離れているが愛人が最も警察署内で信頼している人間でもあり、愛人はいつも黒田から事件の詳細資料や、解決後の報酬を受け取っている。
黒田の言う事件の規模とはその名の通り、事件を解決する難易度や危険度を計る指標であり、判定とは解決の出来を計ったものだ。どちらも警察署から判断される。
「……そうですか。で、報酬は?」
その男からの情報に、愛人は明らかに興味を示さない。
「……来週末に振り込まれるそうだ」
「なるほど。結構結構……♪」
電話の向こうから、大きなため息が聞こえる。
「お前な……ちょっとは事件のことに興味持てよ。ここまで正義感のない警官、見たことないぞ。……お前さん、どうやって警官試験通ったんだ……?」
男の言う警官試験とは、恋愛警官になるための資格試験のことだ。
国家公務員である一般の警察と違って、民間の士業である恋愛警官は、試験さえ通れば未成年でも恋愛警官を名乗ることが出来る。
「それほどでも」
「褒めてねぇよ」
聞きたいことを聞き終えた愛人は、さっさと電話を切ろうとする。
「……で、話はそれだけですか?」
「いや、まだある……つか、お前ほんとに金以外興味ねぇのな」
「それほどでも」
「褒めてねぇよ」
男は一度咳払いをしてから、本題に入った。
「お前。今回の事件の犯人のこと、知ってるか……?」
「いや、何も」
愛人はあの後、救急車の中で意識を取り戻し、そのまま二人を病院へ送り届け、録画していた警察手帳のデータを警察署へ送信して、事態は収拾へと向かった。
以後愛人は再びニート生活に戻っていたので、事件のことなどほとんど忘れていた。
「お前が捕まえた犯人だけどな。黒吹の市長の娘さんだそうだ」
「……へぇ」
愛人は一瞬、驚いたように黙り込んだが、やがて自分には関係ないことに気付いて、素っ気なく返事をする。
「で、その娘さんのことだが、色々あって保護観察処分となった」
「ふーん」
「で、当然この黒吹市の保護司が面倒を見ることになったんだが……実は保護司がまだ決まっていないらしくてな。なんでも、急に黒吹の担当の保護司が辞めたんだと」
「ふーん」
「で、その保護司の代理が必要になったんだが、急な人事で他の保護司は手一杯らしく、今どこも代理がいないんだわ」
「ふーん」
「で、お前が代理に選ばれた」
「……は?」
愛人は固まる。
いつも猫を被っているが、この時ばかりは素の声が出てしまった。
「……まぁお前は嫌がるかもしれんが、犯人である神崎灯の関係者の中で今のところお前さんが一番適任だと判断されたらしい」
「え、いや、ちょ……待って下さいよ。僕が観察役をやるってことですか!?」
愛人は自分が置かれている現状を黒田に再確認する。
「あぁそうだ。よかったな、特別に給与も正式な保護司並みに出るらしいぞ」
「いや、そういうことじゃなくて……!」
愛人は急いで断ろうとするが、黒田はまるでそれを先んじて制するように畳みかける。
「とにかく、神崎灯の住所とかは送っとくから、ちゃんとこなすんだぞ?」
「いや、僕まだ引き受けるんなんて一言も」
「やらなきゃ責任問題になるからな。もちろん、お前の恋愛警官の資格も剥奪されることになるかも知れない」
「なっ……!? それ、本当ですか……!?」
「さぁな……まぁ、頑張りな」
「いや、まだ話は――「ブチッ」――……あ、あの野郎切りやがった……!」
愛人が何かを言う前に黒田は電話を強制的に切った。
「クソっ……! ふざけやがって……! なんで俺が観察役なんか……!」
愛人は汚い本音をぶちまけながら、警察手帳を投げ捨てる。
警察手帳は頑丈なので、投げた程度で壊れはしない。
ピロンッと投げ捨てた警察手帳から音が鳴る。
どうやら、本当に例の娘の情報が送られてきたらしい。
「はぁ……」
愛人はベッドに背中からダイブして、大きなため息をついた。
(……正直、絶望的にやりたくねぇ)
愛人はくたびれたように、目を瞑って思考する。
(だが、黒田さんの言っていたことが本当なら、やらなきゃライセンスを剥奪される可能性がある……か)
それは流石にまずい。
愛人が一人暮らしという親のいない場所で、不登校という現状を親に許されているのは、自分で身銭を稼いでいるからだ。愛人の親がいくら放任主義とはいえ、流石にごく潰しのニートを野放しにするとは思えない。
(つまり……これには俺のニート生活が懸かっていると言っても過言じゃねぇ……!)
非常に最低な動機だが、愛人は自分の中でこの仕事に対するやる気を高めていく。愛人はカッと目を見開いて、立ち上がる。
「……こんなことで、俺の引きこもりは終わらせねぇぞ……!」
そして虚空を見つめながら、高らかに宣言した。
「さっさと終わらせて……輝かしい生活に俺は舞い戻る……!」
聞いているこっちが恥ずかしくなるような宣言と共に、愛人は天に拳を突き出した。
(待っていろよ、我がマイホーム……すぐに帰ってきてやるからな……!)
ダメ人間全開なやる気で、愛人は意気揚々と支度を始める。
その最中。
「バカなの……?」
「うおぉおおおっっ!?!?!? ……あだっ!? ぐはっ!?」
愛人は飛び上がり、肘をテーブルにぶつけ、バランスを崩して壁に顔面から激突する。
いつの間にか、部屋には紅い瞳の少女がいた。
「……バカなの……?」
間抜けすぎる愛人に、少女は同じ言葉を掛ける。
「……な、なんだ……真紀ちゃんか。来てたなら言ってくれよ」
愛人は急いで猫を被り直して、クールな声色で取り繕う。
たんこぶが出来ているのに、無理やり余裕そうにしている様が最高にダサい。
「あいと……電話してたから……」
(そこからいたのかよ……)
愛人は全く気付けなかった自分に少し腹が立った。
「そ、そうか……いや、じゃなくて、なんで勝手に入って来てるの……?」
寡黙な少女は、簡潔に返事をする。
「合鍵……あるから……」
「……」
愛人は物理的な理由を聞きたいわけでは無かった。とはいえ、絶妙に聞きたいことが伝わっていないのは、いつものことだ。
「はぁ……それで、何の用……? 真紀ちゃん」
真紀と呼ばれた少女――師子王真紀は、愛人の幼馴染だ。愛人の同居人でもある。ニートの愛人と違って、きちんと毎日学校に通っており、今は学校から帰ってきたようだ。
「ん……」
真紀はテーブルの上を指さす。
そこには、学校で支給される教材用の大きなタブレットが置いてあった。
(またかよ……)
愛人はその意味を瞬時に理解して、ため息をつく。
つまり真紀が来た理由は、勉強を教えてほしいということだ。
「悪いけど、今日は無理だよ……」
愛人は素っ気なくあしらう。
実は愛人は学力に不自由はしていなかった。まぁ欠席しまくっているので成績という意味では無意味だが。
それ故に今までも何度か真紀に勉強を教えたことがあった。
「あいと……出かけるの……?」
真紀は愛人の外出用の服を見て、不思議そうに愛人を見る。
どうやら電話の内容までは聞かれていないらしい。
「あぁ……そうだ」
「なんで?」
「まぁ、野暮用……?」
「引きこもりなのに……?」
「……」
愛人は苦い顔をする。
真紀の言う通り、愛人は普段家から一歩も外に出ない。
精々、トレーニングの時だけランニングに行くくらいだ。
「……私もいく」
愛人が押し黙ったのを見て、真紀は唐突に荷物をまとめ始めた。
「えっ……いや、来なくていいよ」
「だめ。私も行く」
「え、えぇ……」
愛人は訳も分からず、困惑するしかない。
「……もしかしたら、戦うことになるかもしれないし」
(……そうかよ)
愛人は心の中で、盛大にため息をついた。
実はこの前の事件の後、真紀はかなり怒っていた。
何故自分を呼ばなかったのかと、愛人を責めていた。
「……違うんだ。今回は通報じゃない」
愛人は仕方ないと判断して、支度を再開しながら真紀に事情を話した。
「実は前の事件の犯人の面倒を見ることになったんだ」
「……面倒……?」
真紀は訝し気に愛人を見る。
「保護観察処分になったらしくて、観察役が必要なんだけど……どうやら人員が足りないらしくて、僕がやることになったんだ」
「……嘘だ」
真紀は問い詰めるように愛人に近づく。
「本当だよ」
「嘘。愛人がそんな面倒くさそうなこと、するわけない」
真紀はコミュ障で普段は意思疎通が図れないくせに、こういうときだけは妙に鋭い。
(……めんどくせぇ)
真紀の愛人に対する理解の深さは、ときに愛人を困らせる。
「……まぁとにかく今回は戦いじゃない。コミュ障の君が来ても、迷惑なだけだ」
「……」
迷惑、という言葉に真紀は瞼を落とし、目を細めた。
(……)
まるで捨てられた子犬のように顔を俯かせる真紀に、愛人は何も感じない。
「……まぁ、帰ったらまた勉強教えるからさ」
ロングコートを着て、支度を済ませた愛人は俯いた真紀の頭に手を置いた。
「うん……でも、また犯人が何かしそうになったら……すぐ呼んで」
「わかったよ。じゃ、行ってくる。あ、今日はご飯はいらないから」