管長日記「人間は姿勢が悪くなる生き物か」解釈20241117
古稀と還暦の会での、参加者からの質問で、いつも坐禅をしていても、「忙しい日が続いたりすると、坐禅の時間が減り、姿勢が崩れて呼吸が浅くなり、疲れてしまう。なぜ人は意識しないと良い姿勢を保てないか」という質問に対し、考えたことが述べられる。
質問自体がなかなか凄いものではある。朝、夜に30分やってリフレッシュといった感じだろう。おそらくもっと長い時間坐禅して、椅子に坐っても座面に坐骨を当てて、腰を立てるといったことを維持するのだろう。坐禅をするようになってから、そのような姿勢をとることは増えたと思うが、気づいたら背中が丸くなっている。さて、なぜだろう。
構成:
1.質問と答え
2.佐々木奘堂さんの見解
佐々木奘堂さん大阪天王寺の天正寺の老師であって、坐禅、その姿勢についてかなり詳しい、というか見解がユニークだと思う。円覚寺にもよく出向いているようだし、東京でも坐禅会を開く。『禅文化』でも連載している。
坐禅に正解があったとしても、坐禅への取り組みについて、1つの方法のみが良いことにはならない、という例になるだろう。藤田一照さんもそうなのかもしれない。
■1.質問と答え
問い:「なぜ人は意識しないと良い姿勢を保てないのでしょうか」
答え:習慣付けにより保てる。保てない理由は昔と今で環境・状況が変化し、安全になったから。
「現代は楽な姿勢をしていても、危険な環境ではないので、坐禅のような姿勢が崩れる」が、昔は「(坐禅のように)腰が立っていないと、急な時に応対できなかった」。
つまり、「楽な姿勢は短い時間に限るというように習慣づけ」ればよい。
以下、文中の検討過程。
「そもそもお釈迦様の頃から坐禅があることを考えると、人間は本来的に、姿勢が悪くなる生き物のように思うというのです。そのようになる原因がわかれば、気をつけることができるので教えてほしいという質問でした。」
一照さんは、姿勢が崩れていても、どのように立ち直ってゆくのか具体例を示す。
老子は、あくまでも自分自身の想像といって、姿勢が崩れる理由を答えた、という。読むと、質問への解答(yesかno)を出している。
「それはおそらく環境の変化だと思うのです。
たとえば、今成人病が増えていると言われます。しかし、もともと人間は成人病になるように出来ているわけではありません。おいしいもの、栄養価の高い食べ物など、昔はそうめったに食べることはできませんでした。砂糖などは貴重だったのです。それが今おいしいもの、甘いもの、栄養価の高いものが、手軽にいただくことが出来るようになりました。そこでついついおいしく感じるので、たくさん食べ過ぎてしまうようになり、成人病を引き起こす原因のひとつになることもあるのだと想像します。昔は貴重だったからこそ、おいしく感じたのだと察します。
姿勢についても原始時代などは、いろんな動き方をしていました。でこぼこの道を歩き、ぬかるみも歩き、かなりの距離も走り、木に登ったりもしていました。そして人間は弱い動物ですので、常に他から襲われる危険がありました。油断していたら、襲われたり、食べられたりしてしまいます。だらっとした楽な姿勢でいたら、襲われ食べられてしまったのです。そこでいつでも動ける姿勢でいなければいけませんでした。たまに腰を落として楽な姿勢というのは、休む姿勢です。長時間休んでいては生きていけなかったのだと想像します。そこで、短時間は楽にして休んでもすぐに動ける姿勢にもどっていたのだと思います。
ところが、現代は襲われたり、食べられたりする危険がかなり減ってしまいました。電車の中で安心して居眠りしていられるようになったのです。腰を引いた楽な姿勢でいても安全になってしまったのだと思うのです。
人間の体が姿勢の悪くなるものではなく、昔のままの体で現代が便利で快適になったから、楽な姿勢でいてもだいじょうぶとなったのだというのが私の考えです。」
つまり、「現代は楽な姿勢をしていても、危険な環境ではないので、坐禅のような姿勢が崩れる」ということだろう。
昔は、坐禪のように、「腰が立っていないと、急な時に応対できなかった」のであり、「良い姿勢というのは、そのような必然性があった」。
今の時代に、良い姿勢を保つには、「楽な姿勢は短い時間に限るというように習慣づける」、と老師は結論する。
食生活の例を使って、推論していた。確かに、ダイエットなど意識しないとできない。運動でもよい。しかし、太ってしまう最大の要因はストレスなのではなかろうか。もうちょっと言うと、ストレスへの対応で、緩い方に流れてしまう、ということかもしれない。昔は、緩い方という選択肢がなかったということだろう。ということは、現代は選択するという、一つの問題を解決しなければならないということだ。楽になったつもりが、問題を作ってしまったようなものだ。まあ、直接的な命の危険はなくなったのだから良かったのではある。
■2.佐々木奘堂さんの見解
「最近佐々木奘堂さんにお越しいただいて坐禅の講座をしてもらいました。そんな話を奘堂さんにしたところ、人間に生まれた時から姿勢が悪くなると言われました。そう言われてしまうと救いようがないのですが、奘堂さんは胎児の姿勢や、赤ん坊がハイハイしてそこからお坐りする姿勢が、実に正身端坐になっていると仰います。誰しも生まれながらに正しい姿勢で坐れていたというのは、これは大きな救いとなります。しかし、それを失ってしまっているのです。」
つまり、本能的には、ある程度、すぐに動けるような姿勢をとっている、ということだろう。
白隠禅師の臘八示衆「脊梁を竪起し、気を丹田に充たしめ、正身端坐する」
「0歳児がハイハイして自然とお坐りできるようになる動画をいくつか見せてもらいました。たしかに見事な正身端坐なのです。」
これは藤田一照さんの本でも示されるし、佐々木奘堂さんの記事でも見た。
「しかしお坐り練習をすると悪くなってしまうのです。赤ちゃんがお坐りをするのが、だいたい六ヶ月くらいから九ヶ月くらいなのだそうです。そういう知識を得ると、六ヶ月頃からお坐りの練習をさせたりすることがあるというのです。」
ほう。
「親が一所懸命にお坐りの練習をさせる動画も見せてもらいました。親は一所懸命ですが、子供は嫌がっているようにみえました。赤ん坊はハイハイをしたり、寝返りを打ったり、自然の成長の過程でお坐りできるようになるのですが、無理にさせるとうまくゆかないのです。無理に坐らせると、人間は苦痛でありますから、すぐにだらけてしまうことになります。」
なるほど。
「そこでハイハイからお坐りする過程、坐った姿勢から立ち上がる動きを何度もならいました。座骨で坐るということはよく言われますが、奘堂さんは足で立つのだと仰います。そこで膝立ちの姿勢を何度も繰り返しました。たしかに膝立ちでは腰が自然と立ちます。膝で立つかわりに、坐る場合は、足の付け根で立つのだというのであります。」
足の付け根ですわる、というのは以前も言っていたように思う。なるほど、とイスに坐っているが、足を動かし、今体をゆすり確認した。
「立ってすべてを投げ放つのです。楽をしたら失われてしまうというのですから、難しいところです。また繰り返し練習すればいいというものでもないのです。毎回毎回新たに立ち上がるのです。足で立つ、これを何度も繰り返していると、だんだん感じがつかめたようにも思います。しかし、そのような思いを抱くのも、また遠ざかってしまうのです。常に新たに立つ、この連続しかないのだと思います。」
確かに~。腿のを上げたり、開いたりすると、腰の位置が勝手に修正される。
「いつもながら奘堂さんの講座を受けると、よい刺激をいただきますし、新たな気持ちになって学ぼうと意欲が湧いてきます。立ち上がる気力が湧くのです。
人は楽をしていると悪い姿勢になってしまいます。しかし本来正しく坐れていたのはお互いの事実です。
ここに希望があります。常に新たに立つ、これは大事なところです。」
足が重要なのだ。