今日の管長日記20240914
三者三様の法話会の2回目、小池陽人さんの講演の話。
小池陽人さんの紹介のような前半と、講演内容である糞掃衣プロジェクトの話の後半である。聴いていて印象に残ったのは、良くしてくれた人が亡くなってしまい、「いつか」ということにできなくなった、というところ。
文章を見ていく。
1.小池陽人さん紹介、三拍子そろった人、糞掃衣プロジェクトで作られたお袈裟、今法話会の中心、やたらと誉める
2.小池さんのお子さんの話、注射はする前に嫌がって泣く、長女(妹)が2年後の注射をおもって泣く
死も同じ構造だが、簡単ではないだろう。
「今ここ」の対極の「いつか」
3.糞掃衣プロジェクトのいきさつ
般若寺(山口県)の住職だった福嶋弘昭さんが計画、福島さんの活動、寺づくり、「いつか(会いに)行く」、しかし50歳で急死、後悔、「いつか」という言葉は使わない。
これで、小池さんが糞掃衣プロジェクトを進めることとした。
4.糞掃衣の作成
老子、細川さんも昨年の三者三様の会のときに手を入れた。今年五月に完成。
須磨寺の靈泉で清める際、ご婦人が雑巾をすすいでいたが、三田先生はありがたいと喜んだ。
本当の糞掃衣、和泥合水「泥まみれになり水に濡れながらも、溺れている人を助ける」という意味
2~4は、まるまる小池さんの法話だろう。小池さんは須磨寺の副住職らしい。事務長とも聞いたことがあるような。
それは、エピソード3つで、お子さんの注射、プロジェクトを計画していた福嶋住職、糞掃衣の清めで、いずれも今ここのテーマに会っている。人の先延ばしの性質、「いつか」のよくないこと、今の捉え方、といった意味だろう。出す順番やそれぞれの話の順序(序盤中盤終盤)の扱いがとてもうまい。また法話臭くない。大体、熱心に説明する傾向があるように思うのだが、ナラティブで止めている。おそらく、聴者の反応をみて、それで十分なのだろう。感動・反応があれば話は伝わったのだ。説明は、聴者としては勉強なのだ(もっともそれが重要として聞くのだが)。
小池さんの話は面白い。四国のお遍路の話は本当に笑った。H1というある種のコンテストも有名だろう。関西の方で地上波TVにも出ているようだ。三拍子かどうかは知らないのだが、逸材だろう。最近、浄土真宗の人たちのライブを見ていると、youtubeで盛り上げること、コラボとかについて小池陽人さんの名前が出ていた。すでに宗派を超えて有名といえるのだろう。
大井際断老師は「三拍子」なんてことは言わなそうな経歴の人だ。
大井 際断(おおい さいだん、1915年(大正4年)2月26日 - 2018年(平成30年)2月27日)
臨済宗方広寺派管長ならびに方広僧堂師家、2018年遷化。世寿104。
1940年(昭和15年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業後、1940年(昭和15年)に家永一道のいる京都の東福僧堂に掛搭。しかしその後、第二次世界大戦のため兵役により京都を離れ、戦後1948年(昭和23年)に茂松寺住職となり、その頃から再び京都東福僧堂の家永に通参し参禅。
家永が愛知県犬山の妙心寺派瑞泉寺閑栖になると、大井も瑞泉僧堂に転錫。その後、家永一道の法嗣となる。そして花園大学教授として禅哲学を教えていたが、1960年(昭和35年)4月、大分の妙心寺派萬壽僧堂(万寿僧堂)師家に就任し、1975年(昭和50年)3月まで15年間在任した。その後、妙心寺山内にある四派の一つ東海庵住職となる。東海本庵でも雲水見習いや花園大学生さらに居士等を指導しつつ、15年間住職として留まった。
そして1990年(平成2年)に大井は方広寺派管長・方広僧堂師家に就任した。また萬壽僧堂師家から方広寺派管長となったのは足利紫山、奧大節に続き大井が史上3人目である。また大井は関雄峰(永源寺派管長)との縁で、座禅指導のためにドイツ各地を訪れ教化に努めた。
小池陽人の肩書などについては、とりあえず糞掃衣プロジェクトのネットの記事から。
神戸新聞「聖徳太子がまとった日本最古のけさ再現 「令和の糞掃衣」披露 須磨寺、専門家の協力得て」
聖徳太子がまとったとされる日本最古のけさを再現した衣のお披露目式が25日、神戸市須磨区須磨寺町4の須磨寺であった。「糞掃衣(ふんぞうえ)」と呼ばれるけさで、専門家の協力を得て実物に忠実な復元を目指し、のべ約千人の参拝者が祈りを込めて縫い合わせた。同寺の本堂で営まれた法要で完成を祝った。
復元は般若寺(山口県)の住職だった福嶋弘昭さんが計画していたが、昨年1月に急逝。親交があった須磨寺の小池陽人寺務長(37)が、恩返しにと引き継いだ。
昨年7月から「令和の糞掃衣プロジェクト」がスタート。奈良国立博物館の主任研究員と大阪のアパレル・繊維メーカーが監修し、布には須磨寺のサクラ、高野山のスギやヒノキの倒木や剪定(せんてい)の際に出た端材から作った「樹木布」を採用した。けさを頭からまとった僧侶の姿(3カ所)も最古のけさと同じ場所に再現した。
奈良国立博物館の主任研究員というのが三田先生。
須磨寺は真言宗須磨寺派の大本山である。
お寺の住持(とよんでよいのか?)は小池弘三貫主で、小池陽人の叔父にあたる。
ホームページに次のようにある。
須磨寺略歴縁起(寺蔵)によれば、兵庫区和田岬の海中より出現し給える聖観世音菩薩像を安置するために、淳和天皇の勅命により、兵庫区会下山に、恵偈山北峰寺が建立された。
後に、仁和二年(AD886)に、光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北峰寺より聖観世音菩薩像を遷し、本尊としてお祀りしたのが、当山の開基と伝えられる。
南北朝時代から江戸時代にかけて歴代住職が書き継いだ、当山歴代(県指定文化財)によれば、本尊聖観世音は嘉応元年(AD1169)源頼政が安置したとある。
真言宗は大きな教団である。本山数は18。
チベット密教はともかくとしても、真言密教は勉強したいと思っているのだが、なかなか難しい。禅仏教や淨土系のような単純さがなく、きっかけが得にくい。
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