今日の管長日記20240927
タイトルは「早稲田で講演」と、早稲田大学エクステンションセンター開催のセミナーでの講演・講義の話であった。早大エクステンションセンターは大学が一般向けに企画しているコースのようだ。講座の数はそれなりに多そうな感じ。参加は3000円となっていた。安いともいえるが、毎週参加する人からしたら、それなりではある。
考えてみれば、お寺の講演会の参加費も高くても数千円だろう。
そのセンターのホームページから
【サタデーレクチャー】【対面】二度とない人生を生きる~禅から学ぶ生き方・死に方
09/21(土) 13:00~14:30 全1回
講義概要
人はやがて死ぬものです。いつ死んでしまうかわかりません。それを受け止めて、どう生きたらいいのでしょうか? それにはまず、死というものをしっかりと見つめて、それに足る生き方を求めていく。そして、二度とない人生だからこそ、全身全霊でいつくしみ、精一杯生ききらなければなりません。それが私たちの使命であり、この世に生まれてきた意味なのです。本講演では、講師に鎌倉にある臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師、聴き手に駒澤大学教授の小川隆氏をお迎えして、禅が教える人生の大道とは何か、今ここをどう生きるかについて考えます。「二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう」、そう思えるように、生きるための禅の心をお伝えいたします。
サムネイル写真の参加者を見ると、お寺の参加者より幅広い層の人が聴講している感じがするので、良いこととは思う。参加者も多いと思う。
日記文章の構成、
1.講座のこと、小川駒大教授とのこと、大学の樣子、講義概要、準備のこと、
拓鉢の翌日ということなので、拓鉢は9/20だったのだろう。
2.講演の内容
僧侶になって初めての葬儀のこと、小池心叟老師の話
関東大震災、管長になった翌年
朝比奈宗源老師の話、佛心の世界
雲巌寺の植木憲道老師「死に直面して」の紹介
死の問題の核心「人間は生まれたから死ぬ」、松原泰道先生(老師)の本、お釈迦様のチュンダへの言葉「おまえの料理をかりに食べず、今日を生き抜いたとしても、明日はほかの原因で死ぬかもしれない。だから嘆き悲しむことはないのだ」
自著『悩みは消える!』に引用の立花隆『死は怖くない』より「自分が海であることを自覚して生きる。」
3.まとめ、小川先生への感謝
講演の内容は上手く設計されている。また、禅的な難しい概念は一切使っていないように思う。この講義の場合は、これが特によいのかもしれない。
興味深かったのは小池心叟老師の話である。南嶺老師は円覚寺僧堂の前に、大学在学中のころは小池心叟老師のところ、また卒業して建仁寺僧堂に行っている。白山道場とも関係があるようだが、これは小池心叟老師との関係からだと思う。また円覚寺以外のお寺の住職を兼任しているが、若いころの活動がベースになっているのではなかろうか。
その頃は、小池心叟老師のもとで小僧をしていましたので、ただひたすら葬式のお手伝いをしていただけなのです。ただ印象に残っているのが、ご遺族の悲しみであります。大きな企業の専務さんでしたので、大勢の方が参列になっていました。
小川先生に聞かれて思い出したのですが、その折りに小池老師のおそばにずっとお仕えしていましたが、老師は説教らしいことは全く仰いませんでした。法話らしいことはなさらなかったのです。ただご遺族の話を聞いておられるだけでした。
その後もご遺族はたびたび老師のもとを訪れていました。そんな折りにお茶を出していましたが、老師は説教らしいことは一切仰らずに、話を聞かれていました。
そのうちにお墓もそのお寺に求められて、私も後に寺の住職を務めましたので、三十三回忌は私が務めるようになったのでした。
遺族や、相談に来ている人にあまり話さない、といったことは、確か足立大進老師もそうだった、と聞いたように思う。南嶺老師は足立大進老師との想い出についての法話を何年か前にしていたが、それは感動的だった。
死と生きることについては、仏教、法話で語られることは多い。セミナーの内容は広い話、導入や雰囲気を掴むものだろうと思う。それが大学側の要望であり、講座の狙いなのだろう。小川先生がうまく老師を引っ張ってこれたということかもしれない。