管長日記「学ぶ喜び」解釈20241006
毎月の東京湯島の麟祥院での、臨済録の勉強会のこと。もう9年になるという。
駒大小川教授の臨濟録の講義から始まって、今は宗門武庫の講義をしており、また老師が臨済録の講義をしているとのこと。日記でも度々採り上げていて、要チェックだろう。小川先生は『大慧普覚禅師宗門武庫』訳注稿を (1)、(2)と出しており、次を早く出して欲しい。なお大慧禅師の文献には、この宗門武庫と大慧普覺禪師語錄(全30巻)がある、『大慧普覺禪師書』とその書の中には書かれる。宗門武庫とは別である。宗門武庫は他の禅師とのことを書いた逸話集の1巻である。語録は上堂、示衆、歴史(行録)、偈などが書かれる、いわゆる語録であるが30巻の大作である。
今日の日記は、論文を読む際にもとても参考になるだろう。わからないことをちゃんとわからないと認識して、訳注に参じてみることは重要と気づく。確かにその場ですぐに聞ける、というのが一番よいのだが、すぐに聞けるような、対象に集中したい。
構成
1.南嶺老師の青年からの公案勉強、9年前の気づき
2.小川先生の講義のこと、宗門武庫「慈照禅師」
2-1.宗門武庫について
2-2.今回の逸話「慈照禅師」
2-3.「平地に骨堆を起こす」、疑問と解決
■1.について
臨済録をはじめて読んだのは中学生の頃、高校にかけて読んだ。自分自身の身の上において実感がでなかった。足利紫山老師『臨済録提唱』(大法輪閣)もよく読んだ、これもよく分からず。そうして実際に参禅の修行に励んだ。
公案の修行は、無門関、碧巌録、宗門葛藤集を経て、臨済録を参究。臨済録は何度も何度も繰り返し繰り返し読んだ(ほかの公案集もそうであろう。いつも文庫本を懐に入れて寸暇を惜しんで繰り返し読んだ。
そうしていますと、臨済録に説かれていることがはっきりした。あたかも自分の手のひらを見るよう。それは大きな喜び。長年の修行もあった為か、大きな自信にもなった。
しかし、更にもう一度臨済録を勉強してみようと、九年前から小川先生に教わる。言葉の問題が大きなこと、虚心坦懐に学び直している。すると、だんだんと臨済録が分からず、難しい。今まで分かったようなつもりになっていたのが恥ずかしい。一字一字丁寧に読み直すしかない。
小川先生に教わるおかげで気がついた。
ここのところは、とても良い話だろう。このとき、老師は既に、師家として多くの弟子の指導し、提唱(講義)をし、また近年では無門関や臨濟録の本を出していることも併せて考えてみるのだ。
■2-1.宗門武庫について
大慧禅師の宗門武庫は、今日宗門随筆と呼ばれる。大慧禅師が見聞きした禅僧たちの逸話を集めたもの。景徳伝灯録など禅の正史にない逸話が多く、当時の禅僧たちの暮らしぶりがよく分かる。
なお、講義では事前に小川先生から資料が送られるとのこと。先生にして見れば、仕事をしているのだろう。老師の方々の意見を取る良いチャンス、そして講義をまとめて論文にするのだろう。
■2-2.今回の逸話「慈照禅師」
CBETAより、該当を取った。
《大慧普覺禪師宗門武庫》卷1:
慈照聰禪師。首山之子。咸平中住襄州石門。一日太守以私意笞辱之。暨歸眾僧迎於道左。首座趨前問訊曰。太守無辜屈辱和尚如此。慈照以手指地云。平地起骨堆。隨指湧一堆土。太守聞之。令人削去。復湧如初。後太守全家死於襄州。又僧問。深山巖崖中。還有佛法也無。照云有。進云。如何是深山巖崖中佛法。照云。奇怪石頭形似虎。火燒松樹勢如龍。無盡居士愛其語。而石門錄獨不載二事。此皆妙喜親見。無盡居士說。
慈照禅師という方は、首山省念禅師の法を継いだ方で、石門山に住していました。
ある日のことその地の知事が、私情から禅師をムチ打って辱めたというのです。
寺に戻ってくると、修行僧たちが道の端に並んでお迎えします。
修行僧の頭が進み出て合掌し頭をさげて「なんの罪もないのにこんな屈辱を与えるとは」と言います。
禅師は、「平地に骨堆を起こす」と言いました。
すると地面に一つの山が盛り上がりました。
知事がそのことを耳にして、山を削り取らせました。
しかしまた土は盛り上がってくるのです。
その後知事は、その地で一家みんな死んでしまった(後太守全家死於襄州、まで)。
■2-3.「平地に骨堆を起こす」
(疑問)
当時の禅寺は、官僚機構の中に取り込まれていて、禅寺の住持というのは位の高い存在でありました。
ムチ打ちの刑などのはずかしめを受けることは本来あり得ないのだそうです。
今のように法の上には誰しも平等であるというわけではなかったのです。
しかもムチ打ちの刑というのは、痛いのはもちろんですが、屈辱でもあるというのです。
修行僧の頭が、罪もないのにこんな屈辱を与えるとはと怒りをあらわにするのも当然なのです。
しかし、禅師はただ「平地に骨堆を起こす」といい、その言葉通りに地面が盛り上がったというのです。(慈照以手指地云。平地起骨堆。隨指湧一堆土。)
小川先生は、該博な知識と古今東西の事例で、この一家がみな亡くなるとの悲惨を示した。その、全体の意味は分かったが、何を表しているのかが分からない。
禅師の「平地に骨堆を起こす」とは何をさして言っているのか。何の罪もないのに罰を与えたことか。
(解決)
小川先生、「骨堆」には土まんじゅうの意味もある、と答える。
平地を指して、ここに土まんじゅうが出来る。土まんじゅうは「土を饅頭のようにまるく盛りあげた墓」、つまり「こんなことをしていては、ここに土まんじゅうが出来るようになるぞ」ということ。これは恐ろしいことに知事一家の死を予言した言葉である。呪いかもしれない。
日本でもそうかもしれないが、中国は厳しい。大慧禅師も、政権の都合で、追放されたことがあったようだ。
■他
湯島の麟祥院:麟祥院は、東京都文京区湯島にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天沢山。徳川家光の乳母として知られる春日局の菩提寺である。
平林寺と大乗寺:過去の日記でもよく登場される、平林寺の松竹寛山老師、大乗寺の河野徹山老師のことだろう。
過去日記2023.10.08に、「松竹老師は、埼玉県野火止の平林寺僧堂の師家であり、臨済会の会長でもいらっしゃいます。また京都の禅文化研究所の理事長でもいらっしゃいます。松竹老師とはお互いに修行僧の頃から親しくさせてもらっています。実に三十年にわたる御法愛をいただいています。」とある。
大乗寺は、四国唯一の臨済宗の僧堂、坂村真民が参禅していた。河野老師は筑波大学時代の後輩だったような。