管長日記「禅文化の旅」解釈20241024
老師が(公財)禅文化研究所の所長に就任してから行ったこと(企画したこと?)のなかで、「所長と行く禅の旅」のことの話。確かSNSのXでつぶやきが会ったと思う。
午後3:16 · 2024年10月22日に投稿があった。
「公益財団法人 禅文化研究所 @zenbunka·10月22日10/17(木)
埼玉県新座市にある、臨済宗妙心寺派 平林寺にて、
賛助会員限定の「所長と行く禅の旅」を以下の日程で開催いたしました。
当日は雨も降らず、秋らしいとても過ごしやすい天候となりました。ご参加いただいた賛助会員の皆さま、ありがとうございました!」というものだった。写真をみると、老師を入れて参加者は20人弱といったところだが、このような「好意的な会社的な関係者」との関りも、ちゃんとやっておこうということだろう。
記事で武蔵野(埼玉の地域)の話があって興味深かった。玉川上水は東京の多摩地区への貢献も大きかったと知っている。お寺の存在がそのような歴史を知るきっかけになる。ある程度の規模のお寺なら、今でも、地方行政と連携して活動できるのではなかろうか、と思ったりする。
1.老師の、禅文化研究所の所長就任後に行ったイベント
2.「所長と行く禅の旅」という企画、文化研究所理事長松竹寛山住持の平林寺訪問
3.平林寺の紹介
4.臨済宗の専門道場
5.武蔵野の開拓のこと
5.まとめ、感想
■3.平林寺の紹介
十時半に集合、到着茶礼(平林寺の中書院)、般若心経と四弘誓願文のお唱え(本堂)
「金鳳山平林寺は、臨済宗の禅寺です。
創建は南北朝時代にさかのぼり禅修行の専門道場として臨済宗の法灯をいまに伝えます。
本山は京都花園の妙心寺です。
平林寺は永和元年(1375)武蔵国 (武州) 中部、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。開山は当時の鎌倉建長寺住寺石室善玖禅師、開基は岩槻城主の大田備中守春桂薀沢居士です。」
石室善玖(せきしつ ぜんきゅう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の臨済宗の僧。別称に金剛幡下。
文保2年(1318年)、中国元に渡り、金陵保寧寺の古林清茂に師事し法を嗣ぐ。嘉暦元年(1326年)、元僧の清拙正澄の来日に従い帰国。
帰国後は、京都天竜寺、鎌倉円覚寺、建長寺の住持をつとめる。永和元年/天授元年(1375年)、武蔵平林寺の開山となる。ほか甲斐海岸寺、備前康徳寺の開山としても招かれた。偈頌を能くし、五山文学の基礎を築いた。
法系は、
圜悟克勤―虎丘紹隆―應菴曇華―密菴咸傑―松源崇嶽―滅翁文禮―橫川如珙―古林清茂
であり、世代的には南浦紹明、大応国師のひとつあとの代である。
諡号は直指見性禅師であり、なんとも凄い命名である。
山門は、「平林寺が岩槻から移転した際に移築された貴重な伽藍。建築物としてもいまなお状態が良いとされています。350年以上の風雪に耐えた堂々たる構えです。
金剛力士像は鎌倉期の作といわれ、近代日本の電力事業の礎を築いた実業家松永安左エ門によって寄進されています。
禅宗では、山門(三門)は「空・無相・無作」の三解脱門を表し、この門をくぐると迷いや煩悩から解放されるといわれます。」
■4.臨済宗の専門道場
「平林寺専門道場(平林僧堂)は明治35年(1904) 平林寺第二十一世峰尾大休老師によって開設されました。
大休老師は、万延元年(1860) 武蔵国生まれ。鎌倉円覚僧堂に入門後、今北洪川老師、釋宗演老師に参禅し、印可を受けます。円覚僧堂では宗演老師に代わる師家代参も務め、明治34年(1901)平林寺に晋山しました。
昭和12年(1937) 妙心寺派管長、また臨済宗各派が合同した際には、第2代臨済宗管長を歴任しています。
大体老師に続く白水敬山老師は、当時「天下の鬼叢林」と恐れられた正眼寺(岐阜、臨済宗妙心寺派)で修行後、平林寺第二十二世に就任。「雲水(修行僧)の修行には大自然が不可欠」という信念のもと、近隣の雑木林を寺域としてととのえ、僧堂の修行環境の基盤を築きました。」
専門道場は、江戸の中期以降にできた制度のようだ。今北洪川老師の法嗣が臨済宗管長になっていた。釋宗演と兄弟弟子なので、今北洪川はやはり凄いと思う。
■5.武蔵野の開拓のこと
「昭和43年(1968) 平林寺境内林は、武蔵野の風情を広くとどめる貴重な文化財として、国の天然記念物に指定されました。
後年の追加指定も合わせて、現在はおよそ43㏊(東京ドーム9個分)がその範囲となっています。
平林寺に残されたかけがえのない自然、そして文化資産でもある雑木林を再生し、後世に受け継ぐため文化庁、埼玉県新座市、平林寺の自然と文化を守る会と連携し、境内林の雑木林を整備、保全する事業が進められています。」
これは平林寺としては、大きな資産だろう。
地元、埼玉の人にとっては、結構有名な土地なのかもしれない。
(現在の)上皇陛下のお言葉(昭和五十二年、皇太子妃殿下とご一緒に、平林寺行啓の折)
「このかけがえのない武蔵野の自然を訪ねる人々が生態系の微妙な仕組みに十分留意することによって美しく豊かな自然が保たれいつまでも人々を楽しませてくれるよう願っております。」
天皇ご即位後の平成二十一年、皇后陛下とご一緒に、平林寺行幸啓の折のお言葉
「急速な都市化が進むなか、都会の近くにあって広大な武蔵野の自然が残っていることは
非常にありがたいことです。
このかけがえのない自然は心の故郷でもあり多くの方々が癒しの場として訪れることでしょう。
これからも皆さんの協力や努力によって武蔵野の自然を大切に守り育てていくことを望みます。」