管長日記「法縁の有り難」解釈20241110

歴住開堂という臨済宗の派の「世代に入る」儀式のこと。妙心寺の持住になるということではなさそうだ。言ってみるなら、会社では社長か会長になるお祝いみたいなものだろうか。ただ、日本では鎌倉時代からの、そもそもの中国から来た禅宗の慣習なので、何とも言えないところもあるが、お寺の記録に残ることになると思われる、名誉と思うが、責任という面もあるだろう。注目というところだろう。

構成:
1.11月3日の出来事
2.円福寺僧堂の師家政道徳門老師の歴住開堂
3.南嶺老師の祝辞
4.「『坐禅儀』を読む」:呼吸
5.「『坐禅儀』を読む」:歩行禅

南嶺老師は坐禅の技術が好きなのだ。儀式へ招かれることは法縁なのではあるが、ある意味で類は友をよぶ、といった感じもある。

あと『新坐禅の勧め』はいい本だと思います。

■1.11月3日の出来事
「十一月三日は文化の日、もとは明治節といって明治天皇のお誕生日だったそうです。
戦後は文化の日として、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」となったのでした。
この日は晴れになる確率が高いとも言われています。」

「この文化の日の前後に円覚寺では宝物風入れと、舎利殿の特別拝観を行っています。
宝物は、近年、数を限定して公開するようにしています。
国宝舎利殿はふだんお参りできませんので、この日には、多くの皆様がお参りくださっています。」

「また最近はこの時期に、功徳林坐禅と法話の会も開催しています。~
三日の日に京都に入り、四日は妙心寺の儀式に参列していました。」

■2.円福寺僧堂の師家政道徳門老師の歴住開堂

京都八幡市の円福寺僧堂師家の政道徳門老師の、妙心寺での歴住開堂。南嶺老師はそれ招かれた。

「歴住開堂というのは、妙心寺派には二十ほどの僧堂、修行道場があり、その老師が、妙心寺の第何世住持という、妙心寺の世代に入る儀式なのです。
その日、妙心寺に第何世として就任して、はじめて妙心寺の法堂に登ってお説法をなさるのです。」

「はじめてお説法なさることを「開堂」といいます。
「中国では南宋以降 清朝にいたるまで、人々の尊崇を集めた禅僧たちは、いわゆる五山十刹などの大寺院に「住持」として入りました。
こうして禅院の住持として、はじめて寺院に入ることを「入院(じゅえん)」といい、新命住持は仏祖ならびに開山禅師からの宗旨を継承して、法堂において仏法を説きました。
これを「開堂」といいます。
この儀式が日本に伝来し、変容しながらも今日の禅宗各派に伝わっています。
妙心寺における「歴住開堂式」とは、師家分上の禅僧が「歴住職」という法階を得て、古例に倣い 法堂にて最初の説法を行う儀式です。」と書かれています。
~今回の政道老師は、妙心寺の第七百十一世にご就任なされたのでした。」

ちょっとわからなかったのだが、妙心寺の持住と妙心寺派の管長は違うのだろうか。管長は変わっていないと思う。「師家分上の禅僧が「歴住職」という法階を得」るということの意味が難しい。役職というより資格に近い概念なのかもしれない。

なお、政道徳門老師は過去管長日記に登場しており、例えば2024/6/1の「人は変われる」でイス坐禅についての話があった。

「今年の四月に愛媛の大乗寺の老師が、この歴住開堂をなさって私も参列させてもらいました。」と、こちらはよく登場の河野徹山老師だろう。

「思い返せば、この私も二〇〇三年に円覚寺で歴住開堂の儀式を行いました。
そこで円覚寺第二百十八世に就任させてもらったのでした。
もうあれから二十一年も経つのであります。」
1991年から円覚寺僧堂で修行し、1999 年円覚寺僧堂師家、2010年円覚寺派管長に就任、ということであって、役職というのとも違うのだろう。
なお、師家は住持であって、老子とよばれるようになると思う。
ただ、お寺の中に、塔といったまたお寺みたいな位置づけがあるので、結構複雑である。

■3.南嶺老師の祝辞
「三日の晩には、政道老師を囲んで前日の祝宴が行われました。
有り難いことに私が祝辞を述べさせてもらったのでした。」

「政道老師のことを、私がただいまの老師方の中で、もっともご尊敬申し上げる老師でありますと申し上げました。
そして近年いろいろとご指導いただいますと言って、開堂の無事円成と仏法の益々の興隆を祈念申し上げました。
~もともと堂々たる体躯の老師ですが、まさに威風堂々たるお姿でありました。」、という老師の印象。

二〇一八年に発行された季刊『禅文化』二四七号に、「『坐禅儀』を読む」で政道老師を知ったという。
「政道老師は一九七三年のお生まれですので、私より九歳お若いのです。
二〇〇九年に円福寺の老師になられていますので、まだ三十六歳で老師になられています。
私と同じく三十代で師家となられていますので、親近感は抱いていました。」

なお、この「『坐禅儀』を読む」は、禅文化研究所発行の『新・坐禅のすすめ』に掲載される。

■4.「『坐禅儀』を読む」:呼吸

「まずはゆっくり息を吸います。
吸いながら、頭のてっぺんが天からひもで引っ張られるイメージで、背筋を伸ばしていきます。
同時に自然にへその下(丹田)に気がみなぎるのを意識します。今度は息を吐いていきます。
吐きながら上半身が緩んでいくのを感じ、息が出て行くのを見届けます。息の出入にともなう身体の変化に心を置きながら、しばらくの間、自然な順腹式呼吸(普通の腹式呼吸)を続けます。
身体と心が「呼吸を介して」一つになっていることを確認します。
呼吸が落ち着いてきたら、さらに今度はスケールの大きな坐禅をすることを心がけます。
息を吸う時は天地の恵みを頂くように吸い、息を吐く時は自分が天地の隅々に溶け込んでいくように吐いていく。
自己と天地が「呼吸を介して」 つながっていることを意識します。」

この、呼吸が落ち着いてから、「スケールの大きな坐禅を心掛ける」というところの解釈がポイントなのだろう。私は、息を吐く時間を長くしていくようなイメージなのだが、ちょっと違うようだ。「獨坐大雄峰」のイメージ?
ただ、公案工夫というのでもなさそう。ただ、冥想っぽい感じもするが、念というのは使っていないようだ。

「……数息観、特に随息観は「出入の息に任せる」というところがポイントですから、この時点で「呼吸を調えよう」とか「大きく吸おう」とか「長く吐こう」等、呼吸に対して計らうことを一切やめてしまいます。
そうすると実際の呼吸には、長短、粗細、深浅、実に様々なものが存在することに気付きます。
そういった次から次へとやって来ては去って行く「千姿万態の呼吸」に対して心を開いて、「一息」また「一息」と丁寧に観察していきます。呼吸に身と心を任せてしまうのがポイントです。」

呼吸を観察する、内觀やヴィパッサナー型だろうか。

「私などは意識的に丹田に気を集め、長く吐くことに心を用いていましたので、この解説は新鮮でした。」と老師はいうので、どこかで老師はこのことを言っていて、筆者はこれを参考にしていたのかもしれない。

なお「『坐禅儀』を読む」には「自ら一片と成る」というところ(p.26)のところだろう。「自成一片、此坐禪之要術也」と。そもそもこの『坐禪儀』は四部録に入っているものだ。

花園大学のデータベースにテキストがある。

四、『坐禪儀』。
坐禪儀_ZGR16_[1]夫學般若菩薩、先當起大悲心、發弘誓願、精修三昧、誓度衆生、不爲一身獨求解脱爾。
坐禪儀_ZGR16_[2]乃放捨諸縁、休息萬事、身心一如、動靜無間、量其飮食、不多不少、調其睡眠、不節不恣。
坐禪儀_ZGR16_[3]欲坐禪時、於閑靜處、厚敷坐物、寛繋衣帶、令威儀齊整、然後結跏趺坐。先以右足安左&C4-344A;上、左足安右&C4-344A;上。或半跏趺坐亦可、但以左足壓右足而已。次以右手安左足上、左掌安右掌上、以兩手大拇指面相&C0-A9D6;、徐徐擧身前缺<VAR=G>徐徐擧身前後反</VAR>、復左右搖振、乃正身端座。
坐禪儀_ZGR16_[4]不得左傾右側前躬後仰、令腰脊頭項骨節相&C0-A9D6;、状如浮屠。又不得聳身太過、令人氣急不安。要令耳與肩對、鼻與臍對、舌&C0-A9D6;上&C3-4423;、唇齒相著、目須微開、免致昏睡。若得禪定、其力最勝。
坐禪儀_ZGR16_[5]古有習定高僧、坐常開目。向法雲圓通禪師、亦訶人閉目坐禪、以謂黒山鬼窟。蓋有深旨、達者知焉。身相既定、氣息既調、然後寛放臍腹、一切善惡、都莫思量。念起即覺、覺之即失。久久忘縁、自成一片、此坐禪之要術也。竊謂坐禪乃安樂法門、而人多致疾者、蓋不善用心故也。
坐禪儀_ZGR16_[6]若善得此意、則自然四大輕安、精神爽利、正念分明、法味資神、寂然清樂。若已有發明者、可謂如龍得水、似虎靠山。若未有發明者、亦乃因風吹火、用力不多。但辨肯心、心不相賺。
坐禪儀_ZGR16_[7]然而道高魔盛、逆順萬端。但能正念現前、一切不能留礙。如楞嚴經、天臺止觀、圭峯修證儀、具明魔事、預備不虞者、不可不知也。
坐禪儀_ZGR16_[8]若欲出定、徐徐動身、安詳而起、不得卒暴。出定之後、一切事中<VAR=G>一切時中</VAR>、常作方便、護持定力、如護嬰兒、即定力易成矣。
坐禪儀_ZGR16_[9]夫禪定一門、最爲急務。若不安禪靜慮、到這裏總須茫然。所以道<VAR=G>所以</VAR>、探珠宜靜浪、動水取應難。定水澄清、心珠自現。故圓覺經云、無礙清淨惠、皆依禪定生。法華經云、在於閑處、修攝其心、安住不動、如須彌山。
坐禪儀_ZGR16_[10]是知、超凡越聖、必假靜縁、坐脱立亡、須憑定力。一生取辨、尚恐蹉駝<VAR=G>尚恐蹉&C0-E06F;</VAR>。況乃遷延、將何敵業。故古人云、若無定力、甘伏死門、掩目空歸、宛然流浪。幸諸禪友、三復斯文、自利利他、同成正覺。

SATなら緇門警訓 (No. 2023 如巹續集 ) in Vol. 48の「長蘆慈覺賾禪師坐禪儀」が相当する。
CBETAなら、例えば、《(重雕補註)禪苑清規》卷8:「坐禪儀」である。

■5.「『坐禅儀』を読む」:歩行禅

経行のことだろう。歩行禅といっている。南嶺老師は次のように言っている。

「坐禅の間に歩行禅を取り入れることで、実際に「動静間なく」正念を相続する感覚を学んでいきます。
歩行禅にも色々な方法がありますが、一つの方法として「呼吸に心を置いたまま、その出入に合わせてゆっくり一歩一歩足を進めていく」方法があります。
すなわち吸う息に合わせて足を上げ、吐く息に合わせて足を降ろしていきます。
これは臨済宗の「速く歩く経行」は勿論、曹洞宗の「一息半歩の経行」と比べても、取り組む感覚が少し違います。
日々歩行禅を修習することで、実際に作務など「動中の工夫」のための下地を作ることができます。」
と書かれていて、私はこの「歩行禅」とはどんなものかとても興味をもって円福寺まで教わりに行ったのでした。
また政道老師に円覚寺にお越しいただいて歩行禅をご指導いただいたこともあります。

つまり「道中の工夫」としての経行であって、歩行禅ということのようだ。

坐禅儀では、動中の工夫としては、継続する工夫、つまり呼吸の継続のことを言っているようだ。「若欲出定。徐徐動身安詳而起。不得卒暴。出定之後。一切時中常依方便」と。
ここに徳門老師は歩行禅を加えており、オリジナルなのだろうか。

道中の工夫については、白隠禅師のことばがあったような。

「動中工夫勝静中百千億倍」(どうちゅうのくふうは じょうちゅうにまさること ひゃくせんおくばいす)
白隠禅師が常套語として愛した禅語。ユニークな「中」の書き方も白隠禅師ならではです。静かに坐禅するだけよりも、誠心誠意日々の作務に汗を流すことのほうがはるかに尊いという意味です。

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