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「お気楽短歌生活」と「梨の実歌会」

 私の短歌生活が大きく変わったのは2人目の子どもの育休中でした。1999年に短歌のWEBサイトを始めたのです。

 PC自体は上の子の育休中にエプソンの98互換機(時代を感じるなー)を持っていたのですが、WIN3.1だったので、その環境でネットにつなぐのは私には難しかった。しかし最初の育休が明け、仕事に復帰すると職場はWIN95が普通になっており、私はベビーカーを押しながら地元のコジマでNECのノートPCを買い、すぐ一太郎経由で知ったジャストネットに加入してインターネットを始めました。初めてクレジットカードを持ったのはそのためです。

 当時の私はインターネット自体が物珍しく、もっぱらネットサーフィンばかりしていましたが、 Netscapeという無料ブラウザのHP作成機能でいろいろやっているうちにたのしくなり、ホームページビルダーを買ってきて、1999年に「お気楽」というハンドルネームで短歌発表サイト「お気楽短歌生活」を開設しました。「お気楽短歌生活」は、一昨年に家のネット環境をNURO光にするまで存在していて、ヒットカウンターは12万くらい行っていたと思います。縦書きに変換するタグを探したり、CGIを勉強して自分で掲示板を作ったりもしていました。

 ネットを意識し始めると、世の中には「ネット短歌」と呼ばれる様々な現象が次々と起こっていることに気がつきます。わたしが最も影響を受けたのは2000年に始まったBBS掲示板を使ったネット歌会「梨の実歌会」 
http://www.sweetswan.com/nashinomi/kakailog.cgi と
2003年の「題詠マラソン2003」
http://www.sweetswan.com/daiei-2003/2003doc.htmlです。

 どちらも、五十嵐きよみさんと荻原裕幸さんの多大なるご苦労の元に成り立っていた場なのですが、わたしはここでその後の短歌活動の方針が変わったと言っても良いくらい影響を受けました。

 まず、たくさん作らなければ駄目なのだ、という至極当然の現実を知りました。次に、世の中にはまだ教科書には載っていないけれどものすごい短歌を作る若い人たちがたくさんいるのだということ。前述のサイトから分かると思うのですが、題詠マラソンの参加者には、いまの歌壇のトップランナーがたくさんいて、改めて驚かされます。

 しかし、何より眼を開かされたのは、短歌にはびっくりマークや英語や「 」、全部ひらがな全部カタカナもありなのだと言うことです。当時私が入っていた結社ではそのどれも許されておらず、学生の時に作っていた「・・・・」の歌などは封印でした。

 それを書き込んだとき、管理人の荻原さんがこんな返事をくれたのです。
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英字や記号は短歌観の問題でしょうけど、
作品やルビの文字数制限というのは、
印刷の都合上そのようにしたいという
結社サイドの事情に過ぎないので、
すべて同じ種類の制約のように語るのは
何か話が違うような気がするのですが……。(^^;;;
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 荻原さんに直接返事をもらったこともそうですが、わたしは、自分がこんな当たり前のことに気付かず今まで歌を作っていたのかということに驚いた。

 私は自分の歌をもっと自由に解き放ってやらないと駄目なのではないかと思うようになりました。

 今日はこれでおしまいです。

 こんなまどろこっしい文章ですが、よろしければサポートお願いします。  あたし、いつもふと気づいたことはいっぱいあるんですが、ほっとくと忘れちゃうんですよ。  で、ここではもうちょっと落ち着いて深く考えてみたことを書いて見ようとしているんです。